第17話 勝負は正面から
朱鷺宮の家に、直談判に行く。
重厚な門構え、鋭く光る監視の目。朱鷺宮の屋敷は、城塞のように静かにそびえていた。
俺はどこかで自分こそが物語の主人公だから、何とかなると思っていた。
だけど、あまりにも住む世界が違う景色にビビる。
鏡の前で茜のタイを締めた瞬間、胸ポケットの桜鼠のチーフがここだとばかりに形を決めた。
香澄が用意してくれた一式は、見栄でも虚勢でもない準備の手触りがする。
「……よし」
「呼吸、三カウント吸って、五で吐いて、二で止める。はい、ご主人様」
背後から香澄の声。
「緊張はありますか?」
「ある。でも、覚悟は決めてきた」
「良い兆候です。では、出陣を」
朱鷺宮本邸の石塀。門は二重、表の門をくぐると、内側の門で女性の門番が二人、そろって一礼する。
視線は俺を直視はしないが見落とさないプロ仕様。
「蓮見様、ようこそお越しくださいました。当主・楓様がお待ちです」
通されたのは、庭に面した明るい応接。
障子が二重に組まれ、外の気配は見えるのに、こちらの音は漏れにくくしてある。
座る位置は当然、俺の脇に障子の控えが置かれ、背に陽が直に当たらないよう角度が調整されている。
襖が音もなく開き、朱鷺宮楓様が入ってくる。
黒に近い藍の着物、目の奥に湖面みたいな静かな光。
紅葉に似て綺麗な人だった。
俺は立ち上がり、一礼した。
「蓮見恭弥と申します。本日は、お時間をいただきありがとうございます」
「……礼儀正しいのですね。朱鷺宮楓です。……さぁ、まずはお座りなさい」
座してから、贈り物を出す。上座ぎりぎりまで滑らせて止める。香澄が一歩下がって見守る。
「ささやかですが、白い器を。色は入れておりません。彩るのは、家と人の側だと思ったので」
楓は一瞬、口角だけで笑った。
「あなたは、言葉を選ぶのが上手ね。よろしい、受け取りましょう」
茶が出る。湯気は低く、香は高い。最初のひと口をどうぞ、の視線。俺が口をつけると、楓さんは扇を畳み、真正面からこちらを見た。
「さて。蓮見さん。あなたが今日、ここで言いたいことはただ一つでしょう?」
背筋が自然に伸びる。
「はい。『朱鷺宮紅葉さんの未来を戴きに参りました』」
楓様の睫毛がわずかに動く。
「あなたが示す未来とは?」
「簡単です。彼女が『普通』でいられる時間を、増やす。姓より先に名で呼ばれる場所を守る。彼女の母であるあなたの普通も、同時に守ります」
楓様の顔に、ほんの微かな、けれど確かな波紋。
昨日、香澄が持ち帰った言葉。
母としての普通がそこに重なる。よかった、届いてる。
楓様は茶をひとくち。扇を指先でくるりと返し、静かに置く。
「……もし、紅葉本人が『嫌』と言ったら?」
「その時は引きます。彼女の人生は彼女のものです。俺は救いではなく選択肢でありたい」
部屋の空気がすっと動く。司の気配が、障子の向こうで壁に擬態から扉に化けるに切り替わったのが分かる。香澄は一拍だけ呼吸を止める。
楓が口を開きかけ、そこで、襖の向こうの畳が、ほんのわずかにきしんだ。
障子が外側からコンッと叩かれ、「失礼」と声。
低く太い、昨日のデートのレストランにもホテルにも、絶対に存在しなかったタイプの声。けれど、この家なら存在する声だ。
楓様の視線が、紙一枚ぶんだけ横にずれる。
「お入りなさい」
襖が開く。俺が転生してから初めて出会う男性。
紅葉の叔父。体格が大きいわけでもないのに、居丈高という言葉が似合う男だった。豪奢な帯、指に重たい印章のような指輪。笑いは口でだけ、目は笑わない。
「いやはや。話が早いのは良いことだ。蓮見くん、だったかな?」
「はい」
「ふむ。若い男はいい。希少で尊い。……で、うちの紅葉を妻に欲しい、だと? 面白い。君は何を持ってそれを言う? 金か? 血か? それとも、珍しい雄という事実そのものか?」
挑発。直球。挑発に乗るなという視線。
俺は茶碗をそっと置き、真正面から見た。
「どれも持っています。ただし、『足りる分だけ』」
叔父の眉がぴくりと動く。自尊心をくすぐるでもなく、叩き潰すでもなく、ただ間合いを示す返し。
「金は、彼女がやりたいことをやるのに困らない程度。血は、俺のものをこれから一緒に作る気があるかどうかに尽きる。希少性は、そんなことは関係ない」
叔父の口角が引きつる。楓様の扇が、音を立てずに半分開いた。
「戯言だな。女どもは君を甘やかす。君は甘やかされる。……その先に、家は何を得るのかしら?」
「紅葉が笑う暖かい家です」
叔父の目に、初めて理解不能の色が走った。
それはたぶん、この人間がいちばん嫌う色。
「笑い、だと?」
「はい。人間は嘘をつくのが下手になる。下手な嘘が減れば、家の膿も減る。膿は、外に出すより先に、作らないのが健全です」
言いながら、自分でも思う。
(俺、こんなに口が回るタイプじゃなかったはずだぞ)
多分、背中に香澄がいるおかげだ。
紅葉を思って、いくらでも言葉が出てくる。
叔父は鼻で笑い、畳に広げた裾を揺らす。
「君はまだ若い。若い理想は美しい。だが、世は理想では回らん」
「では現実で話しましょう」
俺の背にいる香澄を振り返って、用意した封筒を渡すように伝える。
「当主・楓様に、正式に紅葉さんとのご縁談の席を願います。こちらはもう一つの手土産です」
楓様の目の奥で、静かな光が増える。
叔父は目を細め、舌で歯を鳴らしかけて、やめた。
「……面白い。いいだろう。だが条件がある」
楓様を差し置いて、言葉を発する叔父。
「当人同士の意思を、まず示せ。紅葉が『はい』と言わねば、何も動かん。女のくせに、という顔を私はしないよ。うちは今そういう風に回している」
叔父は表向きな言葉を紡ぐ。
「ありがとうございます。紅葉さんからはすでに『はい』を、いただいております」
「なっ?!」
「こちらの資料、確かに受け取りました。そして、すでに条件を叶えておられるならば、こちらとしては問題ありません。娘をどうぞよろしくお願いします」
楓様は、叔父の言葉を肯定しながら、香澄が用意した叔父の悪事を受け取ってくれた。
つまりは、楓様は紅葉との関係を認めてくれたということになる。
「みっ、認めん!」
だが、一人だけ状況が分からなくて叫んだ男がいた。
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