第16話 潮風の日々 星をめぐる


「戻った、、」

 民宿の掃除をしていた日向ひゅうがは玄関で聞こえた「男」の声を聞いて、慌てて自分の部屋に戻って行った。

 動いてたことが分かるとまたお小言を喰らいそうだった。

 「男」がキッチンで動いている音が聞こえた。

 いま、気がつきましたよ、というていで、日向はキッチンに向かった。

「あ、お帰りなさい、買い出しありがとうございました!」と伝えた。

「、、お前、動いてたな、、まぁ、いい、財布はその上に返したからな」

と言っていつもの食卓を指差された。

 

「は、はい、すみません、(何故バレた?)、、ありがとうございます。あ、高そうな干物、金目鯛、ですね、」

 出された品の中に、高級魚の金目鯛の干物と切り身が有るのを日向は目ざとく見つけた。

 (わ、最近、超高いので、伯母さんの料理でも滅多に出てこないのに、、)

 日向の目の色が変わったのを見て面白そうに「男」は言った。

「大丈夫だ、コレはおれが食べたいからおれの金で買った。昔はもうちょい安かったのになぁ、高くてびっくりした。昼飯用には干物を焼こう。切り身は伯母さんに煮てもらいたい、」

「分かりました、では俺はもう少し廊下やトイレ掃除を続けます、あ、」


「、ふ、お前は、、面白いな、、」

 

 ――――――――――――――――

伯母さんはちょうど正午になった時刻に戻ってきた。

 日向達も、キッチンでアサリの味噌汁を作り始めた頃だった。

 パタパタと小走りにやって来ると、

「日向君、矢尾さん、ありがとう、伯母さん料理頑張るからね」と言ってくれた。

 

「日向君は足の怪我は、どうかしら?、、」

「はい、もう殆ど治りかけています、化膿もして無いです、ご心配をお掛けしました、」

 日向が絆創膏の踵を見せると、良かったわと喜んでくれた。

 

でも、日向はどれだけ伯母さんが伯父さんを大切に思って、ずっと寄り添っていたのかを知っている、

 だからこそ、伯母さんが戻ったら言おうと思っていた言葉を伝えた。数回深呼吸してから言った。

 

「あ、あの、伯母さんは、もっと、伯父さんと一緒にいて欲しいんです、俺の、、勝手な言い分かも知れませんが、、

 お二人の、助け合う、民宿の事とか、伯父さんの病気のお世話とかをずっと寄り添ってされてたとか、、

 あ、、俺、、ずっと本当に尊敬しているんです。伯父さん伯母さんを、、。

 だから、俺には構わずに、矢尾さんのお世話、料理とか、掃除とか、俺が頑張るから、どうか、伯母さんは伯父さんのそばにいてあげて下さい、、」


「すみません、勝手なことを言ってしまって、、」

 一気に話して息が続かなくなり、最後は言葉が出てこずに、日向の目には薄ら涙が滲んできた。

「……ごめんなさいね、言ってもらって、、日向君、ありがとう……」

 伯母さんも、涙を浮かべて言ってくれた。

「男」はその情景を黙って見つめていた。


 涙をサッと拭くと、

「さぁ、美味しい自慢の料理作ってお二人に味見して貰うわよ、手伝ってね、日向君」

 と伯母さん。

「はい!、お手伝いします。」日向も大切な人たちの為に、と明るく声を出した。

 

 日向と伯母さんで昼食を作った。「男」は夏の日差しであっという間に乾く洗濯物を取り込んでくれていた。

 

調理の2人は、「男」が買ってきた、金目鯛の干物を焼きながら、副菜の大根と揚げの煮物、アサリの味噌汁、ミニトマトと玉ねぎのサラダを用意した。

 更に具材が減ってきた漬物の補充で、新しい材料を日向が伯母さんにコツを教わりながら糠床にセットした。

「糠床に唐辛子や、ビールを足して上げるとより美味しくなるのよ、入れ過ぎは禁物だけど、、」

「はい、覚えておきます、」

 甘い卵焼きも作ってくれたので日向はその焼き加減も教えて欲しいと伝えた。


「金目鯛の干物は高いけど、美味しいです!」日向は久しぶりに味わう高級魚の風味に驚いた。

 伯母さんは

「本当に良いの?矢尾さん、いただいてしまって、、?」と訊ねるが、「男」は

「おれが味を忘れられなくて、買ったものです、美味しくて良かった、煮魚もお願いします」

 とにこやかに喋った。


 午後は、日向は伯母さんと共に、尚且つ教わりながら、作り置き出来る調理を山ほど作った。

どうやら、伯父さんの緩和ケアは上手くいっているらしく、それを伯母さんから聞いて、日向は安心した。

「かえって食欲も出て来たの、良かったわ」という。

「矢尾さんに申し訳無かったわね、高いお魚買って貰って、、でも主人も好きだから、煮魚が出来たら持っていくわ。今度は日向君買っておいてね、お返ししなくちゃいけないわ」

「ですね!、俺、良いのをまた魚屋で買っておきます」

「そうね、お願い、では、金目鯛を煮ましょう」

と伯母さんは言ってくれた。

 ふっくらと金目鯛の身が甘く感じられるほどに美味しくて照りの出るような煮方は、日向もいつかは聞きたいと思っていたので、コツを聞きながら授業のように学んだ。

「卵焼きまで教えられなかったわね、これは次回の宿題ね」

「はい、沢山また教えて貰いたいです。楽しみです」

 互いに見合って、微笑む2人だった。


その後は、伯母さんの指示に従って、日向と「男」は、使わなくなった粗大ゴミを片付けたり、客室の幾つかを全て空にした。

 とはいえ、重いモノを持つのは「男」だけで日向は持つことさえできなかった。

ずっと座らされて、小物を片付ける作業だけになった。

 

(いや、確かに、歩きすぎたり、料理し過ぎたけども、、もぉー)

 日向は心の中でぶつぶつ文句を言った。

 

――――――――――

 徐々に空っぽになって行く客間を見て日向は

 (淋しいな、)

 と、胸が寂寥せきりょう感で一杯になるが、そんな時は必ず「男」の視線を感じるので、慌てて次の作業に入らざるを得なくなった。

 

「お疲れ様、夜はカレーにしましたよ」

 夕方になって、伯母さんから声を掛けられた。

 真夏の作業で、汗をかいた2人をスイカとカレーライス、たっぷりのサラダ、オニオンスープ、漬物の夕食で労ってくれた。

 (ほとんどの重いものを動かしていた方が汗をかいていたのだが、その本人である「男」はケロリとしていた、、)

 

「とても、美味しいです。」

 カレーライスを一口食べた日向と「男」は同時にその味を褒め称えた。

 ――――――――――――――

 夜も更けてきて、部屋の中から日向は海を眺めていて、ふーっと溜め息をついた。

(今日も、朝から落ち着かなかった、、)

 それもこれも、あの人のせいだ、、、。

 

風呂から上がって、自然の海風の入る過ごし易くなっていた部屋で、ようやく穏やかに気持ちになった日向が夜半にぼんやりと海を見ていると「男」が、

「入って良いか?、入るぞ」

 と言いながらやって来た。


 (、え、俺はまだ返事してないのに、、、強引なのは、性格?)

「今日はお疲れ様でした、手伝っていただいて、ありがとう、、うわっ、何を?」

 傷を見せろ、と「男」は言い、寝巻きの日向の左足を持ちあげた。

 (強引な、、)

でも、「男」の処置、その後のケアで化膿もせずに回復しているのは、日向も感謝していた。

 (……だからといって、いつも急に踏み込まれるのは困るのだけれど、、)

 と、日向は思った。

 しかも、今朝のあの愛撫をされた手の感触を思い出させる、日向の踵を撫ぜる手に、危うく血が下半身に集まりそうだった。

 

 風呂上がりに日向が貼ったばかりの絆創膏を、剥がして捨てると、「男」は傷の確認をし、消毒液をまたたっぷりと塗った。

「うん、午後は大人しくしてたから、良くなってる。」

 ぐぅの音も出ないので日向は黙るしか無かった。


 処置も終わったし、この人は自分の客間に戻るだろうと思っていると、網戸のみにしていた窓際、そこの柱を背にして片膝を立てて座ってしまった。


 また、されるのか!?

 いや、離れているから大丈夫なのか?

 とドギマギして警戒していると、

 「何もしないから、、」と言われた。

 そして、

「……本を読んでくれ、、」と言って、片膝に頬杖をついてから日向では無く、暗い海を見始めた。


「えっ、あっ、、?、本ですね、どれを読みますか、」

 何で俺が読むんだろう、、?と思いながらも、文庫本を並べた。


あれがいいな、……、朝に見た、、賢治の「春と修羅しゅら」、

 名作だ。読んでくれ。お前の声で、、、。

 

 (、、朝のあの時に、チェックしてたの?、)

 顔が火照りそうになった。

「……はい……分かりました、」

 日向はお気に入りの文庫本、「春と修羅」を手に取って読み始めた。

 

「わたくしという、存在は、、」

 

 日向の部屋に波音と、宮沢賢治の詩が響いて流れて行く。

 この本を読むたびに、同じ場所、或いは全く違う場所で、日向には、現実では鳴らない、聞こえないたえなる響きを感じるのだった。

 

 そんな感覚を思い出しながら日向は宮沢賢治の魂の音のような「詩」を、海を見つめている人の前で読んだ。

しばらく読んでいると、、

 横になる、眠い、悪いな、、と「男」はゴロっとその場で横たわってしまった。

 

 あっ、と、日向が朗読を止めると、制された。

「、止めないでくれ、そのまま読んでいて欲しい、、お前の声は心地いい、、」

 日向は、読み続けた。

 

「男」が眠りやすいよう天井の照明は消して、持っている読書灯で小さく照らして「春と修羅」を読み続ける、網戸越しでも海がよく見え、その上に幾つかの星もあった。

 (星めぐりだ、、)

 日向が思っていると、「男」も

「銀河鉄道の夜みたいだな、、カムパネルラとジョバンニ、、」

 と呟いた。

 (彼らは、ホントはどこまでも続くたびに出たのかも、、な、、)

 その後は、すーすーと寝息が聞こえて来た。


 眠ってしまったのか、、?

 日向が本を置いても、何も反応は無かった。

 夜風が当たるので、どうにかしないと、と日向は考えながら、「男」が横たわる窓際に近づいた。

 

 綺麗な髪の毛だ、、

 これまでの交わりでは、よく知らなかった「男」の容姿が無防備な姿で、僅かな月明かりでも見えた。

 日向の布団を寄せて、

「こちらに、、」とうつ伏せて寝ていたのをそっと転がす。

 日向のタオルケットを掛けようとすると、

 腕を掴まれた。

 

 口付けを、、ひゅうが、、


 ?、、寝ぼけているの? 息が止まった。

 けれど、掴んだ腕はパタリと落ちてしまい、寝息が続いた、、

 日向はどうにも分からなくなって、それでも、「男」の顔に近づいた。

 穏やかに眠っていて、魅入られる程だ、、。

 

 ジョバンニとカムパネルラ、、彼らはどこまでも続く道に、共にいられるのだろうか、、

 

 海の音が、星めぐりの唄を密かに奏でる、、


 静かに、気付かれないようかすかな口付けをした、、

 

 


 



 

 

 


 

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