9秘密の場所

ミカの異変に気づいたのは、5年生の始業式の日だった。その日は先生の挨拶と新しい教科書の配布で終了し部活動は休みだった。5年連続でタケシと同じクラスになったが境先生が担任になったのは嬉しいことだった。


ミカは隣の3組に編入され3年生から結局同じクラスにはなれなかった。マサルは一年生だったので母親も入学式に来ていて、ナオトだけ先に帰ることになった。9号棟に向かう帰り道、先を歩くミカに気づいて久しぶりに何か話しかけてみることにした。


「ミカ久しぶり、元気?」


「………ナオト、、元気よナオトはどう」


言葉には覇気がなく顔色もあまりよくない


「元気だよ。……習い事大変だね」


「…………………………………………」


返事はない


「…僕は地元の中学に行くから再来年は別々の学校になるね」


ミカは上の空で聞いている


「…また聞こえるようになったの」


「声が聞こえるの?」


「怪獣がまた私のことを呼んでいるの」


………………………………………………………………………………………………


ナオトとミカの間には二人だけの秘密があった。ミカと沼へ初めて行ったのは、2年生の5月だった。家で遊んでいると、いつからかミカは沼が呼んでいると言い出すようになった。話を聞くうちに、段々ナオトも興味が湧いてきて、二人であの沼に行こうということになった。


フェンスを超え、森を抜けると、白詰草の花が沢山咲いた野原に出た。そこで二人は花輪を作ったりして遊んだ。野原を抜けさらに進むと大きな沼に着いた。波は無く静まりかえり、鏡のような水面には、森の景色が映り込んで黒く見えた。その大きく黒い沼は、小さな二人の目には、より巨大に映りナオトは背筋が寒くなった。


沼につくとミカは夢遊病者のようになり、様子のおかしいミカについて行くと、葦の茂みの中に小さく開いた入口を見つけた。二人はトンネルを抜けると沼全体が見渡せる砂浜に出た。さっき見た不気味な印象と異なり、霧が立ち込めた幻想的な景色にしばらく見惚れていた。すると不意にミカが遠くを指差した。その方向を見ると、霧の中に大きな生き物が佇んでいる。大きくて美しい生き物だった。


「ちょっと待って。沼の怪獣ってほんとに……」


ナオトはキョウコの質問に答えず続けた。


その大きな生き物は桃色の肌をしていて首が長く、その上にラグビーボールくらいの頭が乗っかっていた。アーモンドみたいな形の真っ黒で大きな目があって、たてがみが生えていた。その動物を見ていると無性に触れてみたい衝動に駆られた。


その生き物は二人のいる方へゆっくり近づいてきた。近くで見ると見上げるほどその生き物は大きかった。視線はこちらに向けられ何か表情のようなものも感じられる。キョウコは自分が編んだ花の首飾りを掲げると、その動物は首を下にして器用に受け取った。


花輪を受け取ったその動物はゆっくり背を向けて二人を見つめてきた。するとミカはこう言った。背に跨がれと言っていると。二人は生き物の背に恐る恐る跨った。生き物は二人を乗せゆっくり泳ぎ始めた。最初は怖かったが、次第に生き物と心が通じ合うような気がしてきて、楽しくなっていった。普段大人しいミカは声を出して笑いナオトも笑った。


「それからどうなったの」


「それから僕らは沼に行ってその生き物と遊ぶようになったんだ。でもその生き物と遊んでいるといつも途中で眠くなって、気がつくと二人とも秘密の場所の岸辺に寝かされているんだよ。生き物に会える日もあるし会えない日もある。会えなかった日には、ここへ来た印に白詰草の花を置いて帰ることにしたんだ」


そう言うとナオトは鞄の中から一輪の萎れた花を取り出しキョウコに渡した。


「確かめたいことってこのことだったのね」


ナオトは頷き続けた。


「ある日沼にタケシたちがやってきた。タケシたちは、白詰草の花畑を踏み荒らし、沼に石を投げ込んだり、僕たちの大切な場所は蹂躙されたんだ。ミカはやめてと泣きながら頼んだけど、わるさは余計エスカレートしていった。僕も抗議してタケシと取っ組み合いになった。一方的に殴られたけど、耳に噛みついて離さなかったら、降参して渋々仲間を連れて帰っていったよ。


「和田タケシくんのことね。先生から聞いている」


「それでも秘密の場所のことは、守ることができたんだ。けれど……」


「けれど?」


「けれどその日から秘密の場所への入り口が分からなくなってしまったんだ。ミカと何度も探したんだけど結局見つからず、声も聞こえなくなった」


「見たい人には見えるってキョウコは言ってたね。そうかもしれない。けれど二人で見たものは間違いなく手触りや匂いがあった」


「細田さんはまた声が聞こえるようになって、それでナオトは沼のことを調べようと思ったのね」


「ミカは一人で何度か沼に行ってたみたいだ。意識が戻らないのはあの生き物と関係あるのは間違いないと思う」


「ナオト、僕も連れてってよ」


マサルがいつの間にか目を覚ましていた。いつから聞いていたのか分からないが、目を輝かしてこちらを見ている。ナオトはちょっとまずいことになったと考えていると、


「私も行ってみたい、その秘密の場所!」


キョウコがこんなことを言い出すのは意外だった。二人とも好奇心で顔を輝かせている。キョウコの予想外の反応とマサルに知られてしまったことに困惑し、ナオトは頭を抱えるのだった。




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