6ナオトのプラン
和田タケシとその一味は金網を乗り越え沼へ続く林道を歩いていた。林道を抜けると開けた場所に出て、そこには白詰草が繁盛していた。3人はクローバーの葉を踏み締め沼を目指した。
「危ないからやめとこうよ」
そう言ったのは佐々木ヤスマサだった。4号棟に住んでいる。
「細田ここで何やってたんだろうな」
ヤスマサを無視してこう言ったのは、村上ハルオ。2年生の時タケシとこの沼に来ている。クローバーの広場を抜けると沼に到着した。森の中に突如現れる黒い水面は、大きく口をあけ待ち構えている怪物のようだった。3人は沼を前にして怖気立った。水面は静まり返り、見つめていると吸い込まれていきそうな錯覚を覚える。
タケシは先陣を切って進み始めた。残された二人も遅れて後を着いていった。3人はそれから薮を棒で薙ぎ払ったり、沼に石を投げ込んだりして遊んでいたが、すぐに飽きてしまった。四方を森に囲まれた沼は、昼なお暗く時間の感覚がおかしくなっていく。ヤスマサの腕時計がピピピピと16時を知らせた。
「塾があるからそろそろ帰らないと」
ヤスマサがそう言うと他の二人もそうするかと顔を見合わせ頷いた。
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「すなわち沼は江戸時代から存在し、元々馬洗池と呼ばれていた池が現在の貯水池であることがわかりました」
ナオトはキョウコと共同でまとめたレポートを読み上げた。境先生はそのレポートのコピーに目を落としてふむふむと頷いていた。
「よくまとめましたね。良いレポートでした」
マサルはふあーと声をあげて欠伸をした。その顔にはやっと終わったと書いてあった。1年生になってからマサルが行儀よくなっているのは、団体生活に慣れたことと、このクラブ活動に参加しているからだと、ナオトは思っていた。境先生もこの部活動の顧問として真剣に取り組んでいたので、週一回の報告会は本格的なものだった。議事録をとっていたキョウコもペンを置き、ここからは雑駁な意見交換が行われる。
報告会では視聴覚室の準備室が使われ、四人はテーブルを挟みソファに座っていた。先程まで発表を行なっていたナオトはキョウコに詰めてもらい、境先生の正面に腰を下ろした。湯沸かし器からティーポットに湯が注がれ甘い香りが部屋に満ちた。
「先生もここにきて長いけど、水害があったのは知らなかったわ」
菓子器にはビスケットが盛られキョウコは両手で恭しくつまみ上げている。海外のメーカーのものでロゴが表面に刻印されていた。マサルはもう三個も平げ四個目に手を伸ばそうとしていた。
「いくつかこの地域が描かれた古地図を見て気づいたけど、三川村のある場所が竹林や藪(キョウコが判読した)と書かれたものが多かった。開墾されて人が住むようになったのは、比較的最近のことなのかしら」
キョウコはビスケットの包装紙を剥がしながらそう言った。300年以上前を最近と言ったのは些か大袈裟かなと思ったが客観的な意見でもあった。
「確かにねえ、元は不便な場所だったのかもしれないわね、部長はこのことと未確認動物はどう関連づけて考えているのかしら」
むむっと口元に手をあて思案するような表情をする。ナオトの癖だ。しばらく間があって口を開く
「谷に手付かずの自然が長く残っていて野生動物に良い環境が残されていたのは間違いないと思う。けど貯水池の出自や規模を考えると、怪物は近代になってからナマズや鯉の魚影に驚いた子供達の噂話で、それ以前に怪物の伝承がないことからこれ以上の探索は意味がないと思う」
この度の調査と照らし合わせた論理的な答えだった。それを聞いて境先生は考え深げな顔をした後こう言った。
「細田さんのこともあったし貯水池の調査はひとまず終了ね。最初は正直感心しなかったけど、郷土資料として遜色のない良いものになったと思います」
境先生はそうまとめ次回からの活動についての話題になった。本来この部活動では自分達の手でオリジナルの未確認動物大百科を作ることが目標であり、沼の話はナオトがひと月前に言い出したことだった。その後ミカの事件があり大人たちの都合もあったため境先生はそのことを危惧していた。何より生徒たちを危険な目に遭わせたくないのが本音であった。
次回からは頓挫していたモケーレ・ムベンベの研究の再開が決定した。
「それにしても、もけーれべむべむって変な名前よね」
「モケーレ・ムベンベ」
ナオトはそう訂正した。キョウコの言い間違いが面白かったので皆がその意味のわからない呪文のような言葉を繰り返し口にして大笑いした。コンゴ、テレ湖の怪物モケーレ・ムベンベは現地の言葉で虹を意味する。
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「沼の調査は終わっちゃうの」
帰る道すがらキョウコは言った。
「いいやまだ続けるよ」
「先生にはあんなふうに言ったのに」
「安心してもらうためだよ。このことはマサルにも知られちゃいけない。僕とキョウコの秘密にしてもらいたいんだ」
「細谷さんのこともあるのね」
それを聞いたナオトは口をつぐんだ。
キョウコはナオトが何を考えているかわからなかったけれど、危ない目には合わないで欲しいと願った。
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