SCENE#69 優しいから好きだったんじゃない、正しかったから好きだったんだ…

魚住 陸

優しいから好きだったんじゃない、正しかったから好きだったんだ…

第一章:甘えの代償





師匠の工房の扉を叩いたのは、俺がまだ若く、自信だけは人一倍あった頃だ。出来上がった自慢の作品は、一見して完璧に見えた。いや、そう見えていただけだった…しかし、師匠はそれを一瞥すると、冷たく言い放った。





「やり直しだ。こんなものが、使い物になるか!」





工房にいた兄弟子たちは、「気にしなくていいから!」「師匠はああいう人だから!」と優しい言葉をかけてくれた。しかし、師匠は違った。俺の作品に何一つ触れず、ただその問題点を指先で示した。工房の道具はすべて機能性のみを追求して配置され、無駄な装飾や非効率的なものは一切なかった。





今、振り返ればその徹底ぶりが、師匠の正しさを象徴していたのかもしれない。俺の作品がその場所にそぐわないことを、師匠は言葉ではなく、その空間全体で示していた。その厳しさに戸惑いながらも、俺はなぜか心惹かれていった。






第二章:割れた茶碗と道なき道




ある日、俺は誰もが避けるような難解な仕事を任された。不安と恐怖で手が震える俺に、師匠は最初から最後まで何も言わなかった。他の弟子たちが「無理をするなよ!」と心配してくれる中、師匠はただ俺の作業を静かに見守った。一度、俺が「師匠、このやり方で合っていますか?」と尋ねると、師匠は冷たく言い放った。





「自分で考えろ!それができなければ、この工房にいる意味はない!」





その夜、師匠の工房の片隅に、修復されていない見事な茶碗が置いてあるのを見つけた。割れた茶碗は、まるで芸術品のようにそこにあり、不思議な違和感を放っていた。





「それは、俺が若かった頃の失敗の代償だ…」





師匠は静かに言った。




「あの頃の俺には、ただ、優しさばかりを教える師匠がいた。技術の甘さを指摘されず、俺は褒められてばかりいたんだ。その結果、この茶碗のように、二度と元には戻せない失敗をした。だから、俺はお前に甘えを教えたくないんだ…」





その時、俺は初めて知った。師匠の厳しさは、彼自身の後悔から生まれていたのだと。師匠は俺の感情に寄り添うことよりも、俺が困難を乗り越え、技術者として成長するための「正しい道」を確保してくれていたのだ。





第三章:感情と正しさの狭間で





月日は流れ、俺は師匠のやり方に反発するようになっていった。俺の理想と師匠の教えが食い違い出し、俺は感情的に「こんなやり方はおかしい!もっと良い方法があるはずです!」と詰め寄った。





「感情に流されるな!この仕事には、このやり方が最も正しい。理由が知りたければ、自分で考えろ!」





俺はその言葉を、師匠の冷酷さだと勝手に解釈した。その夜、俺は「こんな工房には居られない…もう出ていく!」と決意し、荷物をまとめて出ていこうとした。その時、兄弟子が俺を呼び止めた。兄弟子は、師匠の旧友で、別の工房の師匠でもある人物から聞いた話を俺に教えてくれた。





「かつて、師匠のライバルだった男がいたらしいんだ。弟子を失いたくないばかりに、弟子に対する優しさばかりを追求して、結局、自分の工房を潰してしまったらしい。そのライバルが、師匠にこう言っていたらしいんだ。『俺は、弟子に優しさだけを教え続け、正しさをひとつも教えなかったことを後悔している…』って…」





夜が明ける頃、俺はようやく理解した。師匠が俺に教えたかったのは、感情に振り回されず、論理と技術に基づいた「正しい判断」を下すことだったのだと…






第四章:受け継がれるもの





やがて、俺は一人前の職人として独立することになった。その門出の日に、俺は師匠に尋ねた。





「師匠、なぜ、あなたは最後まで俺に優しくしてくれなかったのですか。あなたは俺のことが嫌いだったんですか。俺は、ずっと孤独でした…」





師匠は静かに微笑み、俺の目をまっすぐ見て答えた。





「優しさだけでは、お前はいつまでも甘えを捨てられなかっただろう。お前が欲しかったのは、安っぽい慰めではなく、本物の強さだったはずだ。お前の師匠はな、優しいだけの人間にはなれない…そんな人間だ。それは俺自身が、一番よく知っていることだからだ…」





そして、一つの道具を僕に手渡した。それは、俺が最初に失敗した時、師匠が俺の作品の問題点を指し示した時に渡した道具だった。師匠は言葉でなく、行動で、そしてその正しさで、俺を育ててくれたのだ。俺が師匠を尊敬し、そして好きになったのは、その正しさゆえだった。






第五章:優しいから好きだったわけじゃなくて、正しかったから好きだった





今、俺は弟子を抱えている。彼らが失敗した時、俺は師匠と同じように、安易な慰めは与えない。ただ、彼らの問題点を明確に示し、彼ら自身が正しい答えにたどり着くための道筋を示す。





ある日、俺の弟子の一人が、俺のあまりの厳しさに反発し、「師匠は冷たい!俺のことが嫌いなんですか!」と不満を漏らした時、俺は静かにこう答えた。





「お前が本当に欲しかったのは、安っぽい慰めじゃないはずだ。自分で考えるんだ!答えは、いつでもお前の中にある。そして、その答えを導き出す手助けをすることこそが、俺の出来ることだ…」





俺は、あの時、師匠の正しさが、俺の最も深い部分に響く、最も温かい優しさだったと、今、心から理解している。そして、俺は自分の弟子にこう語りかける。





「俺の師匠はな、優しい人間じゃなかった…けれど、大好きだった。優しかったから好きだったわけじゃない、正しかったから好きだったんだ…」





その師匠も、もうこの世にはいない…しかし師匠から受け継いだ教えは、俺の中で永遠に生き続けている。俺もまた、その愛を次の世代へと伝えていく…

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SCENE#69 優しいから好きだったんじゃない、正しかったから好きだったんだ… 魚住 陸 @mako1122

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