6.
どうしたら、辛い時でも笑えるのだろう。
占い師に常に笑っていろと言われてから、わたしは余計に辛く感じていた。
もう生きているのが辛い。
けれど、母や占い師に弱音を吐くとわたしは余計に傷つけられる。
部屋の闇は、わたしの皮膚に溶け込み、わたしも闇に侵食される感じがした。外の世界との繋がりは全部断ち切られ、わたしは狭い空間に、閉じ込められている。しかしそれを認めるのは許されず、ここだけが安心できる空間だと思わなくてはいけない。携帯電話もパソコンも電源を切られたままで、ただの冷たい金属だ。わたしを呼ぶ声も、わたしを心配するメッセージも、全てが闇の向こうに追いやられた。
辛い。わたしは本当は、普通に沢山の人と関わりたかった。けれどそれで母や占い師に見放されるのが怖い。わたしには従順にしていることしか価値がないのだ。
逃げ出す勇気が持てなくて自分が嫌になる。本当は普通の幸せを手にしたいが、せめてわたしが都だったらと思ってしまう。
都は強い。いえをでるゆうきをもてて、一人で十年も耐えられたのに羨んでしまう。わたしには、羨むことしか出来ない。わたしには一歩を踏み出す勇気が持てない。
完全な孤独の中で、わたしは、一つの偽りの光に、しがみつく事しか出来ない。
占い師から購入した、不気味なものを見て、わたしは自己嫌悪に陥った。わたしは疑り深くて、占い師を完全に信じることが出来なかった。母みたいに完全に占い師を信じられたら楽なのに、わたしは幸せになろうとすると一歩手間で絶望に落とされる。今ある嘘の幸せの1歩前がくらやみなのを、わたしはどうしても目に入れられなかった。
わたしの手首には、
その石は、冷たくて重い。はめているとさらにわたしは落ちる気がした。光を拒絶するその黒色は、この部屋の闇を、そのまま凝縮したように感じられる。
わたしは、不安になるたびに、そのブレスレットを、指で、何度も、何度も触った。ゴツゴツとした石の感触は、わたしの皮膚を削る。その摩擦の度に、心もすりへる気がするのに、お考の漂う部屋ではそれを辞められない。占い師に操られていることは、嫌でもわかる。
「これは椿さんを悪い運気から守る盾ですよ。」
占い師の声が、今も耳の奥で微かに響いている。わたしは、このブレスレットを触ることで、「運気が守られている」という、偽りの安心感を、必死で、確認し続けた。この冷たい石が、わたしと、外界の澱んだ気との間に、確固たる境界線を引いているのだと、わたしは、強く信じようとした。
枕元には、小さな水晶玉が置かれている。部屋の闇に馴染むように、布で覆われている。わたしは、その布越しに、水晶玉を、そっと撫でた。丸くて滑らかなその感触は、完璧な真実を秘めているように、わたしに、囁きかけた。
ずんと部屋の空気が変わった気がする。
「その玉は、椿さんの魂を映し、運命の流れを正してくれます。」
わたしは、その言葉を飢えて食べ物を求めるように、貪欲に求めていた。現実のわたしが、どれだけ無力で、どれだけ情けない存在であろうと、この水晶玉が、わたしの魂を、正しい道へと導いてくれているのだと、信じることが、わたしにとっての、唯一の希望だ。それがただ一つの道であることが悲しくて、過去の選択を後悔してしまう。
身体のあちらこちらが軋むように痛む。食事をろくに摂らず、太陽の光を浴びない生活がもたらしたことはすぐにわかったが信じたくなくてわたしは母や占い師のように気の流れからだと思い込むように努めた。
頭の奥にはいつも、鈍い虚無感が広がっている。それでもわたしは痛みや虚無感を、絶望として受け入れることを許されない。占い師のところに行かなければよかったと後悔した。それなのに今更抜け出せないわたしは弱いのだろうか。
「これは椿さんが生まれ変わるための、運命の試練なんですよ。」
占い師の言葉を、意味があるものと捉えようとするのに、わたしは信じ込むのに限界だった。
この身体の痛みは、わたしの中に溜まった悪い気が、外に排出されている証拠だ。この心の虚無感は、わたしという存在が、古い殻を破り、清らかなわたしに生まれ変わるために、一時的に空になっている状態なのだ。
わたしは、どうしても、そう思えない。
痛みは、罰ではない。
虚無は、無意味ではない。
それは一般論でも、占い師にも言われる事だが、わたしは意味がなくても、わたしのせいでも良いから解放されたい。
わたしは、ブレスレットを握りしめ、水晶玉に触れることで、その解釈を、何度も、何度も、上書きしようとした。
もし、この痛みが無意味なものだと認めたら、わたしは本当に壊れてしまう。
もし、この虚無感が辛いと認めて口に出したら、わたしは更に辛い場所に引きずり込まれてしまう。
だから、わたしは、信じなければいけない。
黒曜石のブレスレットが、わたしを守っている。水晶玉が、わたしの運命を、正しい方向に導いている。
耐えられないほどの苦しみはわたしを救いに導く試練──。わたしは、おかしくなりたくないと思った。占い師がおかしくて怪しいことくらいは分かっている。けれど占い師が疑わせないように一般論もまぜてくるからわたしは混乱してしまう。
どうしたら強くなれるのだろうか。1人でも、誰にも頼らなくても生きてゆけるようになりたい。
わたしは、偽りの安心という薄いガラスの檻の中から、二度と出ることができないのかもしれない。それは嫌なのに、わたしは一度踏み外した道を変えられなくなっていた。
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