第14話

祝賀会当日。

王城は朝から、浮き足立ったような華やかな空気に包まれていた。

私は侍女たちによって、まるでお人形のように着飾られていく。


「リナ様、お肌が真珠のように輝いていらっしゃいますわ」

「こちらの髪飾りはいかがでしょう? 夜空の星を閉じ込めたような、青い宝石でございます」

「まあ、なんてお似合い。まるで宝石がリナ様のために作られたかのようですわ」


侍女たちは口々に楽しげな声を上げながら、私の髪を結い、薄化粧を施していく。彼女たちの熱意と興奮が、部屋の空気を満たしていた。

その手によって、私は自分でも見たことのない自分へと生まれ変わっていく。


最終的に選ばれたのは、月の光を思わせる淡いクリーム色のシルクのドレスだった。

胸元から裾にかけて、金糸で繊細な世界樹の刺繍が施されている。肩を出すデザインは少し気恥ずかしい。しかし生地が私の体の線に沿ってしなやかに流れ、優雅なシルエットを描き出していた。


「……まあ……」


最後に姿見の前に立った時、私は思わず感嘆の息を漏らした。

そこに映っていたのは、会社でくたびれたスーツを着ていた、あの頃の私とは似ても似つかない女性の姿だったからだ。


「聖女様、お時間でございます」


侍女長に促され、私は客室を出た。

廊下で待っていてくれたのは、カインさん、アルフォンス王子、そしてエリアスさんの三人だった。

三人はそれぞれに最上級の正装に身を包んでいる。


カインさんは騎士団の正装である、白銀の装飾が施された漆黒の礼装。彼の持つ実直さと力強さを際立たせている。

アルフォンス王子は王家の血を示す、紫紺の豪奢な礼服。気品と威厳が、その立ち姿から溢れていた。

エリアスさんは学者らしい落ち着いた色合いだが、細部にエルフ族特有の美しい刺繍が施された、異国情緒あふれる服装だった。


三者三様に魅力的な男性たちが、私を見た瞬間、ぴたりと動きを止めた。


「……リナ様」


カインさんが、呆然とした声で私の名前を呼ぶ。

その青い瞳は驚きと、それ以上の深い感嘆の色で見開かれていた。耳がほんのりと赤く染まっている。


「……ああ……。なんと美しい。天上の女神が、我が目の前に舞い降りたかと見紛うた」


アルフォンス王子が、うっとりとしたため息と共に、芝居がかった口調で言った。

彼の紫色の瞳が、熱っぽく私を射抜いている。


「これはこれは。今宵のパーティーの主役は、どうやらリナ様お一人に決まったようですな」


エリアスさんだけが、いつもと変わらない優雅な笑みを浮かべていた。だがその翠の瞳の奥には、確かな称賛の色が宿っていた。


三人の反応に、私の顔にかあっと熱が集まる。

少し気恥ずかしくて俯いてしまった。


「さあ、リナ様。俺がエスコートしよう。今宵、貴女の隣に立つ栄誉は、この俺にこそふさわしい」


アルフォンス王子が、すっと私に腕を差し出した。


「お待ちください、王子殿下。リナ様のエスコートは、彼女の騎士である俺の役目です」


カインさんが、王子の前に立ちはだかるようにして、私に腕を差し伸べる。


「おやおや。聖女様はおモテになりますな。では、お二人が争っている間に、私がその役目を頂戴しましょうか?」


エリアスさんまで悪乗りして、私に手を差し出してきた。

三人の美形に囲まれ、私はどうしていいか分からなくなる。


「も、もう! 三人とも、やめてください! 恥ずかしいです!」


私がそう言うと、三人は顔を見合わせ、楽しそうに笑った。

結局、パーティーの主賓である私はアルフォンス王子にエスコートされる形で、大広間へと向かうことになった。

カインさんは一歩後ろから、不満そうな顔で私たちについてくる。


大広間は、謁見の間以上に広く、そしてきらびやかな場所だった。

天井からは星々を散りばめたような巨大なシャンデリアがいくつも吊り下げられ、床は鏡のように磨き上げられている。

壁際には楽団が配置され、優雅な音楽を奏でていた。

広間はすでに、国中から集まった大勢の貴族たちで埋め尽くされている。


色とりどりのドレスをまとった貴婦人たち。勲章を胸につけた壮年の貴族たち。野心に満ちた若い貴族たち。

その数、数百人はいるだろうか。

すべての視線が、入り口に立つ私たちに一斉に注がれた。


ざわめきが、波のように広がる。


「おお……! あの方が、聖女様か!」

「なんと清らかで、美しいお方だ……」

「本当に、嘆きの庭園を蘇らせたというのか……?」


好奇心、畏敬、そしてわずかな疑念。

様々な感情が渦巻く視線を一身に浴びながら、私はアルフォンス王子に導かれて広間の中央へと進み出た。

玉座の前までたどり着くと、国王アルベール陛下が満足そうに頷いた。


「皆の者、静まれ!」


国王の一声で、広間は水を打ったように静まり返る。


「今宵は、我がエルスリード王国にとって記念すべき夜となるであろう。長らく我々を苦しめてきた大地の呪いに、ついに終止符が打たれる時が来たのだ!」


国王は高らかに宣言する。


「皆に紹介しよう! こちらが、天が我々に遣わしたもうた希望の光! 伝説の『花の聖女』、リナ様であられる!」


その言葉と共に、私は広場に集う貴族たちに向かって練習した通りに優雅に礼をした。

一瞬の静寂の後、広間は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。

多くの貴族たちが、心からの喜びと期待の眼差しで私を見ている。

しかし、中には冷ややかな目で私を観察している者たちもいるのが分かった。

特に、最前列に陣取る恰幅のいい壮年の貴族。サイラス宰相と似たような、感情の読めない目をしている。


「聖女様より、皆に一言いただく!」


国王に促され、私は声がよく響く仕組みの演台の前に立った。

ごくりと唾を飲み込む。

ここで何を話すかで、私の今後の立場が決まる。

私はそっと息を吸い込むと、集まった人々を見渡した。


「ご紹介にあずかりました、リナと申します」


私の声は、不思議なくらい落ち着いていた。


「私には、聖女と呼ばれるほどの力はありません。ただ、枯れてしまった花や病に苦しむ大地を見ると、悲しくなるのです。助けてあげたい、と。そう思うだけです」


私は自分の正直な気持ちを、飾らない言葉で語り始めた。


「私のこの力が、少しでもこの国の人々の、そしてこの世界に生きるすべての命の役に立てるのなら、これ以上に嬉しいことはありません。皆さんと共に、この国を緑豊かで笑顔あふれる場所にしていきたい。そう願っております。どうか、未熟な私ですが、皆様のお力添えをよろしくお願いいたします」


話し終えると、私は再び深々と頭を下げた。

一瞬の静寂。

そして、先ほどよりもさらに大きな地鳴りのような拍手が沸き起こった。

私の謙虚な言葉と誠実な態度は、多くの貴族たちの心を掴んだようだった。

私の体から自然と放たれる温かく清らかなオーラも、彼らの心を和らげたのかもしれない。


「素晴らしい……! なんと謙虚で、慈愛に満ちたお方だ!」

「聖女様! 我らも全力でお支えいたしますぞ!」


貴族たちの声が、熱を帯びていく。

国王陛下も満足そうに頷いている。

これで、私の立場はひとまず安泰だろう。

私はほっと胸をなでおろした。


やがて祝賀会が始まり、音楽が華やかなワルツに変わる。


「リナ様。記念すべき最初のダンスの栄誉を、この俺にいただけませんか?」


アルフォンス王子が、優雅に手を差し出してきた。

聖女のお披露目の最初のダンスは、王太子が務めるのが慣わしだという。


「……はい、喜んで」


私は少し緊張しながら、その手を取った。

アルフォンス王子に導かれ、私たちは広間の中央へと進み出る。

彼のリードは完璧だった。

練習の時よりもさらに滑らかで、情熱的。

私たちはまるで物語の中の王子様とお姫様のように、くるくると踊り続ける。

周りの貴族たちが、うっとりとしたため息をつきながら私たちの姿を見守っていた。

一曲が終わり、喝采の中で深く礼をする。

私の心臓は、どきどきと大きく高鳴っていた。


王子とのダンスが終わると、今度は次々と大貴族たちがダンスの申し込みにやってきた。

公爵、侯爵、伯爵。

普段なら会うことさえないような雲の上の人たちが、私の前に列を作っている。

私は少し戸惑いながらも、一人一人と丁寧に踊った。

ダンスは苦手だったはずなのに、不思議と体は軽やかに動く。


何曲か踊り、少し疲れてきた頃。

私は飲み物で喉を潤すため、壁際のテーブルへと向かった。

そこには、カインさんが厳しい顔で立っている。

まるで、不審者が近づかないように見張っている番犬のようだ。


「カインさん、お疲れ様です」

「リナ様こそ。……あまり、無理はなさらないでください」

「ふふ、大丈夫ですよ。でも、少し疲れちゃいました」


私がそう言うと、カインさんの表情が少しだけ和らいだ。


その時だった。

一人の若い貴族が、私の方へと近づいてきた。

歳の頃は二十代半ばだろうか。

アルフォンス王子とは違う、冷たい美貌の持ち主だった。

服装は誰よりも豪華で、その態度には隠しきれない傲慢さが見て取れた。


「これはこれは、聖女様。今宵は一段とお美しい。私とも、一曲お相手願えませんかな?」


彼は私の手を取り、有無を言わさず自分の唇へと持っていこうとする。

その無礼な態度に、カインさんの手が鋼のような速さでその手を制した。


「リナ様に気安く触れるな」


カインさんの声は、絶対零度の氷のように冷たかった。

若い貴族は、面白くなさそうに眉をひそめる。


「ほう。これは失敬。聖女様の番犬殿でしたかな? 私はただ、ご挨拶をしようとしただけだ」

「挨拶なら、言葉だけで十分だろう。名を名乗ったらどうだ」


カインさんの鋭い視線に、若い貴族は少しだけたじろいだが、すぐに傲然と胸を張った。


「これは失礼。私はコンラッド・フォン・ゲルラッハ。ゲルラッハ公爵家の嫡男だ」


ゲルラッハ公爵家。

確か、サイラス宰相の出身一族であり、王国内でも王子派と勢力を二分する保守派の筆頭だったはずだ。


「聖女様。貴女様が嘆きの庭園を蘇らせたという奇跡、この目で見てもにわかには信じがたい。一体、どのような手品を使われたのですかな?」


コンラッド様の言葉は丁寧だが、その中には明確な棘があった。

私の力を、インチキか何かだと言いたいのだろう。


「手品などでは……」

私が反論しようとした、その時。


「コンラッド。聖女様に対して、無礼であろう」


いつの間にか、アルフォンス王子が私たちのそばに来ていた。

その表情は穏やかだが、瞳の奥には冷たい光が宿っている。


「これは王子殿下。私はただ、聖女様と少しお話を……」

「君のその態度は、話しているとは言わん。聖女様を、ひいてはこの俺を侮辱していると受け取られても、仕方ないぞ」


王子の静かな、しかし有無を言わさぬ威圧感に、コンラッド様の顔がさっと青ざめた。


「も、申し訳、ございません……」

「リナ様は、我が国の宝だ。今後、リナ様に対して礼を欠くようなことがあれば、ゲルラッハ公爵家とてただでは済まさぬと心得よ」

「……は、はい」


コンラッド様は悔しそうに唇を噛むと、すごすごとその場から立ち去っていった。

周りで見ていた他の貴族たちも、さっと顔を伏せる。

この一件で、私が王太子の絶対的な庇護下にあることが誰の目にも明らかになっただろう。


「ごめんね、リナ様。不愉快な思いをさせてしまった」

「いえ、大丈夫です。お二人とも、ありがとうございました」


私が礼を言うと、カインさんとアルフォンス王子は互いに牽制するような視線を交わした。

二人の間には、まだ見えない火花が散っているようだ。


「リナ様、少しよろしいですかな?」


そんな険悪なムードを破ったのは、いつの間にか現れたエリアスさんの声だった。

彼はフルーツジュースの入ったグラスを二つ、盆に乗せて持っている。


「お二人とも、少し頭を冷やされた方がよろしいかと。聖女様が困っておられますよ」

彼の言葉に、カインさんと王子ははっとしたように、私を見てバツが悪そうな顔をした。


「リナ様、こちらをどうぞ。王宮特製の果実水です。気分がすっきりしますよ」

「ありがとう、エリアスさん」


私は彼からグラスを受け取った。

ひんやりとした甘酸っぱい液体が、火照った喉に心地いい。


「それにしても、厄介な虫がついたものですな」

エリアスさんが、コンラッド様の去っていった方を一瞥して呟く。


「ゲルラッハ公爵家は、古くからの名門であることを笠に着て王家の決定に何かと口を挟んでくる。リナ様の存在も、彼らにとっては面白くないのだろう」

アルフォンス王子が、苦々しげに言った。


「私の力が、政争の具にされるのは本意ではないのですが……」

「そうもいかないでしょうな。貴女様の力は、それだけ強大で魅力的だということです」

エリアスさんは肩をすくめた。


「それからリナ様。先ほど、図書館でまた一つ気になる文献を見つけました」


彼は声を潜めて、私にだけ聞こえるように言った。


「五百年前に聖女が封じたという『闇』。それは、完全に消滅したわけではないようです。文献によれば、『星の巡りが再び闇に満ちる時、封印は破られ大地の嘆きは蘇る』と」


「封印が、破られる……?」


「ええ。そして、その封印の地の一つがどうやらこの国の南の地方にあるらしいのです」


南の地方。

その言葉に、私はごくりと喉を鳴らした。

私の聖女としての役目は、まだ始まったばかりなのかもしれない。

そう思うと、少しだけ背筋が寒くなるのを感じた。


パーティーの喧騒が、少しだけ遠くに聞こえる。

私はこれからのことに思いを馳せ、手の中のグラスをぎゅっと握りしめた。

少しだけ人いきれに当てられてしまった私は、気分転換をするために広間の隅にあるバルコニーへと続く扉を開けた。

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