第13話
謁見の間から下がると、私は侍女に案内されて再び客室へと戻った。
国王から与えられた試練は、明日の正午。王城の主だった貴族たちが、全員見守る中で行われるという。
「リナ様、お疲れではございませんか? 何かお飲み物でもお持ちしましょうか」
侍女たちが心配そうに声をかけてくる。謁見の間での私の態度を見て、彼女たちの目にあった疑念が、今は確かな興味へと変わっているのが分かった。
「ありがとう。でも大丈夫。少し一人で考え事をしたいから、下がってくれるかしら」
「かしこまりました。何か御用がございましたら、そちらの鈴を鳴らしてくださいませ」
侍女たちが静かに退出すると、広すぎる部屋に再び静寂が訪れた。
私は窓辺の豪奢な椅子に深く腰掛け、夕日に染まり始めた王都の街並みをぼんやりと眺める。
明日の試練について、失敗する不安は不思議と微塵もなかった。私の力なら、きっとあの庭園を元の姿に戻せる。
問題は、その先のことだ。
聖女として正式に認められれば、私の生活は間違いなく一変する。
もう、誰にも知られず静かに暮らすという願いは叶わないかもしれない。
国の行く末を左右するような、大きな問題に深く関わっていくことになる。
それは、私が本当に望んだ人生なのだろうか。
会社を理不尽にクビになった時、私が願ったのはささやかな平穏だったはずなのに。
コンコン、と控えめなノックの音が響いた。
「リナ様、俺です。カインです」
「エリアスもおりますよ」
ドアの向こうから聞こえてきたのは、いつの間にかすっかり馴染んだ、心強い仲間たちの声だった。
「どうぞ、入って」
許可すると、静かに扉が開かれる。騎士の制服に着替えたカインさんと、普段通りの学者姿のエリアスさんが、少しだけ心配そうな顔で立っていた。
「リナ様、謁見、お疲れ様でした。国王陛下から試練を与えられたと聞きました。あまりに無茶です! なぜお断りにならなかったのですか!」
カインさんは部屋に入ってくるなり、矢継ぎ早に言葉を続けた。その声には、隠しきれない不安と焦りが滲んでいる。
「大丈夫だよ、カインさん。私にできることだから、引き受けたの」
「しかし、王城の庭園にかけられた呪いは、生半可なものではないと聞きます。多くの神官や魔道士が匙を投げた難題です。万が一、リナ様のお体に何かあったら……!」
「私の騎士様は、本当に心配性ですね」
私が悪戯っぽく微笑んでみせると、カインさんは「ですが……!」と反論しかけて、うっと言葉を詰まらせた。彼のこういう真面目で実直なところが、私の心を和ませてくれる。
「まあまあ、騎士殿。そう熱くならないでください。リナ様がやると言っているのですから、我々は信じて見守るのが役目でしょう」
エリアスさんが、やれやれといった様子で二人の間に割って入った。
「それよりもリナ様、王立図書館で少し面白いことが分かりました」
「面白いこと?」
「ええ。土地の枯渇に関する古い文献をいくつか発見しました。それによると、この現象は五百年前にも一度、大陸全土で起こっているようです」
彼の言葉に、私は思わず息をのんだ。
「五百年前に……?」
「はい。その時も、貴女様と同じ『花の聖女』が現れて世界を救った、と記されていました。ですが、その顛末に少し気になる記述があったのです」
エリアスさんは懐から数枚の羊皮紙を取り出し、テーブルの上に丁寧に広げた。そこには神代文字らしき、私には読めない古代の文字がびっしりと書き写されている。
「これには、こう書かれています。『大地の病は聖女の力にて癒されん。されど、病の根源たる“闇”を滅せぬ限り、病は幾度となく蘇る』と」
「闇……?」
カインさんが、訝しげに眉をひそめた。
「ええ。どうやらこの一連の現象は、単なる呪いや自然現象ではない。誰かが意図的に引き起こしている可能性が非常に高い。そしてその黒幕は、五百年前から存在しているのかもしれません」
壮大すぎる話に、私は言葉を失った。私たちが戦うべき相手は、目に見える枯れた大地だけではないのかもしれない。
「リナ様のお力は絶大です。ですが、その力をもってしても、すべての原因を断ち切れるとは限らない。我々は慎重に行動すべきです。特に、貴女様の力を利用しようと企む輩には、細心の注意を払わなければ」
エリアスさんは意味ありげにそう言って、部屋の扉の方を一瞥した。まるで、誰かが廊下で聞き耳を立てている可能性を示唆するように。
「……分かっています。エリアスさん、ありがとう。大事な情報を教えてくれて」
「いえ。私はただ、私の知的好奇心を満たしているだけですよ」
彼はにこりといつもの笑みを浮かべた。
カインさんはまだ納得いかないという顔をしていたが、私の決意が固いことを悟ると、深く息を吐いた。
「……分かりました。リナ様のお覚悟、しかと受け止めました。明日は俺も、末席から見守らせていただきます。リナ様の栄光の瞬間を、この目に焼き付けるために」
「ありがとう、カインさん」
頼もしい仲間たちの存在が、揺れ動いていた私の心を確かなものにしてくれた。
もう迷いはない。私は私のやるべきことを、やるだけだ。
***
翌日の正午。
私は国王アルベール陛下、アルフォンス王子をはじめとする王族、そして国の重臣たちが見守る中、『嘆きの庭園』に立っていた。
そこは、話に聞いていた以上に酷い状態だった。
地面はコンクリートのように固くひび割れ、不吉な黒ずんだ色をしている。かつては美しい噴水だったであろう場所も、今は澱んだ汚水が溜まっているだけだ。生命の気配が一切しない、まさに死の庭だった。
「……本当に、このような場所を元に戻せると申すのか」
「不可能だ。やはり王子はどこぞの詐欺師に騙されておられたのだ」
遠巻きに見守る貴族たちから、侮蔑を含んだ囁き声が聞こえてくる。
アルフォンス王子は壇上から心配そうな顔で私を見ている。カインさんは、祈るように固く拳を握りしめていた。エリアスさんだけが、いつも通りに面白そうにこの状況を観察している。
私は誰の声も意に介さず、ゆっくりと庭園の中央へと歩み出た。
そして、その場で静かに目を閉じる。
深く、深く息を吸い込んだ。
この地に残る、悲しみの記憶を感じ取るように。
かつてこの庭を愛したという王妃様の悲しみ。花や木々の嘆きの声。
それらすべてを、私の体で受け止め、浄化するイメージを思い描く。
そして、私はそっと両手を広げた。
私の体から、金色の温かい光が奔流となって溢れ出す。
「おお……!」
誰かが息をのむ音がした。
光は庭園全体を、慈愛に満ちた母親のように優しく包み込んでいく。
固くひび割れていた地面が、光に照らされてみるみるうちに潤いを取り戻し、ふかふかとした生命力あふれる黒土へと変わっていく。
澱んでいた噴水の水は浄化され、きらきらと輝きながら再び天へと吹き上がった。
だが、奇跡はまだ始まったばかりだった。
黒土の中から、一斉に無数の緑の芽が顔を出す。
芽はまるで喜びの声を上げるかのように、ぐんぐんと天に向かって伸びていった。あっという間にみずみずしい葉を広げ、色とりどりの蕾をつける。
そして、ぽん、ぽん、と優しい音を立てて一斉に花開いた。
赤、白、黄色、青。
かつて王妃が愛したという、あらゆる種類の薔薇がその芳香を放ちながら咲き乱れる。
それだけではない。
地面は柔らかな芝生に覆われ、乾いていたはずの場所に清らかな小川のせせらぎが聞こえ始める。
骸骨のようだった枯れ木には若葉が茂り、美しい羽を持つ小鳥たちがやってきて楽しそうにさえずっていた。
ほんの数分で、死の庭は生命力に満ちた楽園へと生まれ変わったのだ。
見守っていた人々は、言葉を失い呆然と立ち尽くしている。
その神聖なまでの静寂を破ったのは、国王アルベール陛下の震える声だった。
「……信じられん……。これこそ、古文書に記された奇跡そのもの……」
しかし、私の起こす奇跡はまだ終わらない。
私は庭園の中央に、ひときわ強い力を注ぎ込んだ。
地面がゆっくりと盛り上がり、そこから一本の若木が姿を現す。
その若木は眩いほどの光を放ちながら、天に向かってぐんぐんと成長していく。
そして、見事な枝葉を広げた、美しい大樹へと姿を変えた。
それは、王家の紋章にも描かれている、伝説の『世界樹』そのものだった。
「せ、世界樹だと……!?」
「古文書の記述は、真実だったというのか……!」
貴族たちが、今度こそ完全に度肝を抜かれて叫んだ。
もう誰も、私の力を疑う者はいなかった。
皆が皆、神を見るような目でひれ伏し、私を見上げている。昨日まで私を嘲笑っていた貴族たちも、今は顔面蒼白になって震えるばかりだ。
私はゆっくりと振り返ると、玉座から降りて呆然と立ち尽くす国王陛下の前に進み出た。
「陛下。お約束は、果たしました」
私の言葉に、国王ははっと我に返った。
そして、次の瞬間。一国の王が、私の前に厳かに片膝をついたのだ。
「……リナ殿。いや、聖女リナ様。我が不明を、どうかお許しいただきたい。貴女様こそ、このエルスリード王国を、いや、この世界を救うために天が遣わされた、まことの聖女にございます」
国王が深々と頭を下げる。
それに倣うように、アルフォンス王子も、居並ぶ貴族たちも、その場にいるすべての者が私に跪いた。
ただ一人、壇上で微笑むエリアスさんを除いて。
私は、この国の希望として、その頂点に立った。
花の聖女としての私の新しい人生が、今、本当に始まろうとしていた。
国王はすぐに立ち上がると、威厳に満ちた声で高らかに宣言した。
「聖女リナ様の誕生を祝し、三日後に王城にて祝賀会を開く! 国中の貴族を集め、聖女様の御披露目を盛大に行うのだ!」
その声は城中に響き渡り、新たな時代の幕開けを告げた。
こうして、私の聖女としてのお披露目パーティーが、正式に決定した。
それからの三日間は、目まぐるしいほどの忙しさだった。
「リナ様、こちらのドレスはいかがでしょう? 聖女様の清らかさを引き立てる、純白の絹でございます」
「まあ素敵。でも、こちらの空色のドレスも捨てがたいわね」
パーティーで着るドレスを選ぶだけで、半日以上が過ぎていく。侍女たちが次から次へと持ってくるドレスはどれも素敵で、本当に目移りしてしまった。
「リナ様はどんな色もお似合いになりますから、私たちが困ってしまいますわ」
侍女たちは心から楽しそうに笑っている。彼女たちも、今ではすっかり私の熱心な信奉者だ。
ドレス選びの次は、パーティーでの作法を学ぶ時間。王族や大貴族への挨拶の仕方、優雅なお辞儀の仕方、そして何より、ダンスの練習が待っていた。
「ダンスなんて、会社員時代にやったことありません……」
音楽に合わせてステップを踏むなんて、運動音痴の私にできるだろうか。
そんな私を見かねて、練習相手を買って出てくれたのは、アルフォンス王子だった。
「心配はいらない、リナ様。私が手取り足取り、教えて差し上げよう」
彼は優雅に私をリードしてくれる。そのエスコートは完璧で、私はただその身を任せているだけで、自然とステップを踏むことができた。
「素晴らしい。リナ様は筋がいい。すぐに上達するだろう」
「王子殿下のご指導が、お上手だからです」
練習用のホールに、穏やかなワルツの曲が流れる。
アルフォンス王子の腕に抱かれて踊っていると、まるで夢を見ているような気分になった。
彼の紫色の瞳が、すぐ間近で熱っぽく私を見つめている。その視線に、私の心臓が少しだけ速く脈打った。
ホールの隅では、カインさんが仁王立ちで腕を組み、ものすごく不機嫌そうな顔で私たちのことを見ていた。
その隣でエリアスさんが、実に面白そうににやにやと笑っている。
「カインさんも、後で私と練習してくれますか?」
私が気を遣ってそう声をかけると、カインさんの顔がぱあっと明るくなった。
その単純さが、なんだかとても愛おしく思えた。
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