17. 今日は、出かけないでいよう

 彼の言葉に、ヴァルディスは不機嫌そうに答える。


「奥様」


 ノインは、そのぶっきらぼうな返事に、恭しく腰を折る。


「失礼いたしました」


 ヴァルディスと私、そしてノイン。三人の間に、奇妙な空気が流れる。ノインは、そんな空気を楽しんでいるかのようだ。


「どうしました、奥様」


「あの……ノイン」


 私が言葉に詰まると、ノインは私の心を読み取ったように、微笑んだ。


「僕は構いませんよ」


 ヴァルディスが、何か言いたげにノインを睨む。ノインは、そんなヴァルディスに構わず、私の耳元に顔を近づけた。


「妬ける、という気持ちを味わったのは初めてです」


 彼の言葉に、私の顔が予期せず熱くなる。ノインは、そんな私を見て、くすりと笑った。


「22日が、ますます楽しみになりましたよ」


「……!」


 彼の低い声が、私の背筋をぞくっと震えさせた。ノインは、私の手を取り、優雅な仕草で馬車へ促す。私は引かれるまま、馬車に乗り込んだ。


「ノイン」


 黙って一歩踏みだすヴァルディス。

 長身の二人が一歩も引かずに睨み合う姿に、私は息が止まりそうになる。


「おれの妻を、唆すのはやめてくれ」

 その声は低く落ち着いていたけれど、凄みがあった。

 

「旦那様は、勘違いをしていらっしゃる」


 ノインは両手を小さく上げて、軽く口角を上げて見せた。


「僕たちはそもそも、構造的に敵対関係になりえないのです」


「あ?」


「リディア様が精霊になってからが僕の出番です。生きている間は、ただ好感度をあげる期間。あなたとの関係改善に務めることだって、僕にとっては喜ばしい仕事です」


「……どういうことだ、それは」


 目を伏せて、ノインは左胸に片手を添える。


「僕たちにはという構造がありえる。皆が勝って皆が負けない、幸福な三角関係がね。強欲なリディア様にとってぴったりだとは思いませんか?」


 ヴァルディスは訝しげな目をして、諦めたように息をつく。


「お前がしてくれたことは感謝してる。信じるよ」


「ありがとうございます!」


 ノインは嬉しそうにヴァルディスの両手を握る。何度もうなずきながら、不意に目を細めた。


「あなた様とのこと、よく勉強させていただきますよ。ええ、大事なのは僕の番が来た時ですからね。同じ間違いを犯すなんて愚は絶対犯しません。働きすぎさせたり、とか。服装を雑にしたり、とかね」


「お前、やっぱり喧嘩売ってるだろ」


「そっ、そろそろ行きましょうよ!」


 不敵な笑みを浮かべるノインと、敵を睨む目つきになるヴァルディス。最高潮に達した空気を感じとり、私は慌てて声をかけた。


 どうしよう。私の手に追えなさそう。アリシアに相談しなきゃ。いい話のネタにされてしまう気がするけれど。


* * *


 それからの「21日」は、私たちにとって、まるで無限の休暇だった。二人で少し遠出したり、評判の良い食堂で食事をしたり。忙しさにかまけて、今まで見過ごしてきたたくさんの「初めて」を、私たちは分かち合った。


 ある日、二人で私の実家に戻り、これまでのことをすべて話した。弱っていた父が、私たちの再会を心から喜んでくれたのは意外だった。


 良かった。夜がくれば、父は私が会いに来たことを忘れてしまうでしょうけれど。それでも、ノインが感情を父に記しておいてくれるから。きっと心安らかに過ごしてくれるはず。


 そして、またある「21日」の朝。いつものように起き上がろうとすると、ヴァルディスに手を引かれ、ベッドに戻された。


「あっ」


 彼の腕が、後ろから私を優しく抱きしめる。いつの間に私のベッドに来たのだろう。


「今日は、出かけないでいよう」

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