15. 22日には行かせない

「愛してます……って。だから、心配しないで。怖いけど、前向きに精霊になる道を考えてみるから」


「……」


 一層力がこめられて、私は小さくうめいた。


「分かった。君の言う通りにしよう。……22日には行かせない」



 私たちはまず洋裁店の扉を叩いた。


 寸分の隙もなく敷き詰められた生地の棚が壁を埋めている。しっとりとした布地の匂いが立ちこめた店の奥から出てきたのは初老のテーラー。

 微笑しながら、慣れた手つきで巻き尺をぴんと張った。


「おお、お客さん、鍛えてますねえ」

「いえ、仕事をしてるだけです」


 ヴァルディスは落ち着かない様子で体のあちこち巻きつけられていた。高所でバランスをとるかのように両手をあげて、腰を捻ったりしている。


 どんな風になるのかしら。


 奥からカーテンを開けて現れた彼に、私の心臓がどきんと鳴った。


 髪の色に合わせたグレーのスーツに身を包んだその姿は、いつもの煤にまみれた作業着姿とまるで違う。その引き締まった長身と、童顔ながらもどこか憂いを帯びた瞳。ノインにだって引けを取っていない。


「あんまり見ないでくれ。変なのは分かってる」


 彼は居心地が悪そうに髪をいじる。


「いやいや、似合ってますよ! うちの店の宣伝になってもらいたいくらいだ」


 テーラーが腕を組んで感心したように唸る。


 ヴァルディスがちらっとこちらを見るので、ふいっとそらした。


「なんだか、腹がたつ……似合いすぎて」

 

「なんだよ、それ」


 最近流行の大量生産品でも十分素敵だわ。

 ……一ヶ月かかるオーダーメイドだったら、一体どんな風になるんだろう?


「着替え、本当におれも必要だったのか?」


 私は即座に首を振って答える。


「『いつもと違う』って、日常の大切な要素なのよ」

「そうなのか」


 真面目にうなずくヴァルディス。


 二人で並んで歩いた。横目でちらりと見ると、緊張した横顔。私も胸がどきどきしている。忙しくて、こんな風に二人で歩いたこと、なかったものね。


 今回は朝から馬車に押しこまれることはなかったので、私も入念に装いを整えてきた。


 繊細なレースの飾りが首元にあしらわれたシャツと、ふわりと歩く度に舞う淡い青のスカート。


 ヴァルディスが時折視線をよこしては、耳を赤くしながら逸らした。


 街行く人たちがすれ違うたび、はっとしたような顔をする。ヴァルディスの横を歩くのが気持ちがいい。

 

 しばらく歩いていて気がついた。


 ……会話が、ない。


 こんなに距離ができていたなんて。


 ヴァルディスが繰り返した多くの21日が、私が知らない私が、彼を遠ざけてしまっている。


「ねえ、予定変更してもいい?」


「ああ、君の行きたいところなら、どこでも」


 私の行きたいところは、あなたに近づける場所だから。


 腕を引いていった先で、ヴァルディスが驚きの声を上げる。


「屋台?」


 私が連れてきたのは、職人街の賑やかな屋台通りだった。

 炭火の煙が鼻をくすぐる。


「実は、一度来てみたくて」


 一応貴族の令嬢だった私にとって、屋台は縁のない場所だ。職人街に近いから、ヴァルディスはよく来ているだろう。


 私の知らない彼の顔を知るのには、絶好の場所のはず。


 暖かい灯りをともした屋台で、二人並んで座った。串を通した肉が炙られて乾いた音をたてている。脂の焼ける匂いが空腹を切なくさせる。


 カウンターごしに焼き串を両手で受け取り、湯気を息で吹きかけて、おそるおそる噛みついてみた。


 うわ、焼きたて……焼きたての味! 熱い!


「うまそうに食べるな」


 串を片手に私を見て微笑するヴァルディス。彼も噛みついて横に引きちぎっていた。スーツ姿で野生的な動きを見せるのはやめて。その数個外れたボタンから覗く鎖骨も。

 正直、もう正視に耐えられないくらいだから。


「屋台なら、いつもの作業着で良かったな」


「えっ、どうして。その違和感が最高なのに」


「……君の、違和感の方が凄いけどな」


 ヴァルディスの指が伸びてきて私の唇を拭う。その指を舐めながら、


「顔が赤いな。疲れたか?」


「だっ、大丈夫。楽しいし」


「そうか。なんだ。こういう所が平気なら、もっと早く連れてくれば良かったな」


 最後に残った肉片を歯でこそぎとり、ヴァルディスはぽつりとつぶやいた。


「ずっと自慢したかったんだ」


「えっ」


「職場の連中や仕事相手に」


「何を?」


「何をって……君を」

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