第二話 その3

「あ、先輩。こんちは」

 折戸花子が部室である第三実習室の敷居を跨いだ時、既に室内にいた手塚ジュニアがそう挨拶をした。実習棟一階の最南端に位置するこの場所は、生徒の立ち入る必要性の無さから、普段から森閑とした空気が支配する寂寥の地である。とりわけ放課後は、校舎を周回するテニス部員の足音と、校舎の僅か南側に敷かれた線路を走る私鉄の音とが時折聞こえる以外には、あらゆる人間の営みの気配が無かった。その日もまた例に漏れない。

 十畳ほどのだだっ広い部屋に入室した折戸花子は、手塚ジュニアの挨拶に視線だけを返し、部室の東側の壁に沿って並べられたスツールの一つに学生鞄を勢いよく下ろした。部室中央の長机に肘をついて座る手塚ジュニアは、その挙動から先輩の機嫌の悪さをそれとなく察知した。

「また堀田園と何かあったんですか?」

「パパ活がバレた」

「げ……マジすか?」

「私がマジな話以外したことあんのか?マジすか?ってなんだよ。マジでスカトロでもしてんのかよクソ生チョコレートが」

「この理不尽な怒りっぷりはマジッすね……」

 手塚ジュニアは苦笑いをしながら「でも今更っすね」と神妙に告げる。

「あのエスパーの前でよく今まで隠し通せてましたね。さすが先輩」

「エスパー?」

「ほら、あの女……」

 手塚ジュニアが言い終わるよりも前に、部室西側の戸が開き、石尾教師が現れた。予期せぬ教師の登場に、手塚ジュニアが「珍しいっすね」と訝しい表情でコメントする。

「イヤな予感がするって?」

「……ぶっちゃけ」

 石尾教師は快活に笑って、ゆっくりとした足取りで室内南側の壁に立てかけてあるホワイトボードの前に向かった。二人の学生の視線がボードと教師を行き来する中、彼は「あながち間違いでもない」とまず答えた。

「でも、俺が君たちに与えられる大きなチャンスでもある」

 まずは説明が必要だよね、と言って、彼はジャケットのポケットから四つ折りにしたA4用紙を取り出した。ホワイトボードの頂点にマグネットで留めたそれは、『星能グループ 第三一回高校生ビジネスアイデアコンテスト』の開催要項を示すポスターだった。要項の背景には、バストアップの女子高生が宇宙と思わしき暗黒に立ち、輪郭が黄色に発光する地球を抱いているイラストが載っている。

 石尾教師は粉受けから赤い水性ペンを手に取り、ポスター右下に記されている『七月十四日』という文字に丸をつけた。それは、およそ二か月後の日付を意味していた。

「うちの学校も属する星能グループ、分かるよね?」

 即座に頷いた折戸花子とは対照的に、手塚ジュニアは「セイノーグループ?」と首を傾げた。石尾教師は「知らなかったんだね」と愛想笑いをしながら解説を始める。

「本県に広く根を張る重工業メーカー『星能』を中心としたグループのことだよ。『星能は、say yes』のキャッチコピーくらいは聞いたことあるんじゃない?」

「あー」

「代表的な会社だと、商流を司る星能公正商社、製造を担う星能和久製鉄、国内の物流を司る星能永世運送、あとはうちの学校も運営している学校法人遂世学園などがある。どれも地元では大きな力を持った法人だよ」

「露骨な宣伝っすね」

「露骨な宣伝をする意味はもう少し話を聞けば分かると思うよ。これは前振りだ」

 石尾教師はポスターに記載されている『アイデアコンテスト』という文言と、その下側に提示されているコンテストのテーマ『MySDGsに向けてできること』を指で辿った。

「星能グループは毎年、全国の高校生を対象にビジネスプランのアイデアコンテストを開催している。今年のテーマは、タイトルだけだと分かりづらいけれど、要するに『SDGsに挙げられている一七のテーマのうち、自分に身近なテーマを一つ選択して、具体的な事例を元にその解決に向けてアイデアを創出すること』であるらしい」

 石尾教師の説明に割り込んで、折戸花子が口を開く。

「そのコンテストに、シンプル教として参加してほしいと?」

「話が早くて助かるよ。この部活が追求する『シンプル』という観点は、アイデアの創出とも親和性が高いと思う。シンプルだけど確信をついたアイデアとか、そういうのが出せると同好会のアピールにもなるかなと思ってね」

「なるほど」

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