第二話 その2
部室を奪う――折戸花子の指摘の意味を理解するためには、もう少しの補足が必要であろう。
まず説明すべきは、本校の同好会における部室のルールである。
本校は種々雑多な同好会の犇く伏魔殿であり、その管理には教師も手を焼いている。とりわけ同好会ごとの部室の管理は物理的制約がある中で適切な分配ができるように学校側も苦心している。
学校側がそれらの問題に対して導き出した結論は、同じ部屋を曜日ごとに異なる同好会に振り分けることであった。そして、実習棟に存在する三つの実習室には、それぞれ月曜から金曜までに異なる利用者が立てられた。例えば、学園アイドル研究同好会は第一実習室の水曜日の利用の権利を得ている。要するに、同好会は週一で部室を借りることができるのだ。
しかし、ここまでは原則。実のところ、全ての同好会が上記の恩恵に与れるわけではない。三つの実習室に対して各平日の曜日に同好会を割り当てた場合、そこにはごく単純な掛け算の結果として、『15』という限界が導き出される。即ち、『15』の上限を実際の同好会の数が上回る場合、そこに平等は成り立たなくなる。現に本校の同好会は17の多様な数を内包している。
かつて同好会の数が16個の時代に部室利用の権利を得ていた『ブレインストーミング同好会』、通称『惰性部』は、その活動実績の希薄さから、本年度の四月より『オッカムの剃刀同好会』、通称『シンプル教』にその席を奪われ、第三実習室から追い出されてしまった。そして、その活動の主軸をリモートミーティングにシフトし、『リモート惰性部』を名乗り始めた。
以上が折戸花子の言葉の経緯である。
その言葉を受け、堀田教師は微笑みの声を上げた。
「折戸さんを恨むことはありませんよ、リモート惰性部は形を変えてうまくやっていますし、部室を再び取り返す準備はゆっくりと整えています。私があなたを止めるのはもっと倫理的な理由からです」
「私が落ちぶれりゃ自ずと部室は空くわな」
「それを本当に望むなら私は何もする必要はありません。放っておけば腐るだけですから」
「賞味期限の話してんのか?」
「人としての尊厳の話とするならば、そうでしょう」
「
「笑い事ではありません」
「笑い事にしたのはそっちだろチン毛女」
「ありません」
折戸花子は「御託はいいぜカス」とローテンションで言う。堀田教師は涼しい顔で彼女の暴言を受け止める。
「要は勝つか負けるかだ。勝たなきゃ敗北、当たり前の話だろ」
「あなた自身もまた負け犬になり得るのですよ」
「そん時ゃ私はオオカミになる。てめェは貧弱な豚だ」
「ならば私はレンガの家を建てます」
二人の睨み合いが続く中、突然に生徒指導室の入り口のドアが開かれ、一人の男性教諭が顔を出した。筋肉質な身体と短く整えられた髪とからは、それとない健康と清潔感とが匂わされていた。肌は若々しく浅黒いが、全身を纏うスーツが大半を覆っている。彼は折戸花子の姿を認めるや否や顔を晴らして、彼女に呼びかけた。
「やっぱりここにいたのか」
「石尾先生、ちょうどいいところに」
折戸花子に石尾と呼ばれた男性教諭は、続いて堀田教師の方へ視線を送り、やおら眉根を寄せた。
「堀田さん、折戸にちょっかいかけちゃダメですよ」
「ちょっと世間話をしてまして。私たちマブダチなので」
ふざけろよ、と折戸花子は嘲笑して答えた。
「金輪際関わるんじゃねえよクソDIY女」
「ならば真面目に生きてください」
「田舎くせェその眼鏡に、必殺の雷が走るぜ」
「親御さんを悲しませたくないでしょう」
堀田教師が適度な牽制を最後に収束させようとした話題は、その時、折戸花子の逆鱗によって再燃した。一人の女子生徒が女性教諭の胸倉を掴んで唇を噛みしめているその光景は、傍から見れば異様だった。
折戸花子は珍しく適切な言葉の取捨選択に迷うように沈黙した暫時の後、自嘲的にほほ笑んだ。
「……シンプル教の鉄則をすっかり忘れてたぜ」
「……」
彼女は掴んだ胸倉を突き放した。
「てめェの持ってる写真と私は一切無関係だよ。他人の空似で人生狂わされたらたまったもんじゃねえ」
「そうですか、とりあえず今日は不問とします」
「シンプル教万歳だぜ」
「あなたの地雷は理解できました」
堀田教師を背にして、彼女は生徒指導室を辞去する。堀田教師に呼び止められた石尾教師は、そのまま入室をして厳重に戸をしめる。
堀田教師は笑顔を振り撒きながら、やおら立ち上がって彼に忠告をした。
「しっかり指導してくださいね。オッカムの剃刀同好会の顧問として」
「……パパ活の件ですよね?」
「はい」
「生徒の権利を束縛するだけの大人の傲慢を、僕は指導とは呼びませんよ、堀田さん。そういう時代じゃないんです」
「看過し難い非行を多様性の一言で突き放すことこそ大人の傲慢だと私は思います。それは無関心を庇うための言葉ではありませんよ」
「彼女の家庭の事情をきちんとリサーチしてください」
互いに平行線を行く会話を締めるように、石尾教師は踵を返した。そして、別の話題を思い出したように再び振り返った。
「そういえば、星能グループのアイデアコンテストに、ブレインストーミング同好会も出るんですね」
「活動成果は死活問題ですからね」
石尾教師はゆっくりと首肯した。「お互い頑張りましょう」という彼のコメントに、彼女もまた笑顔で「楽しみにしていますよ」と応えた。
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