欠落百合姫のステイルメイト

藤村時雨

1話 出会い

 きっと、これからも寂れた学校生活を送るのだろうと、何度思ったことだろう。

 希望的観測はない。何かが起こる雰囲気も一切感じなければ、実際今日に至って何も変わらない。破滅思考、とは異なる心の蟠り。言葉は幾らでも並べる。それが平凡な毎日が続けば、いずれ事象は日常や習慣と呼べるものになる。


 立花鳴海は帰宅部だ。


 高校生という身分にようやく慣れて、独り帰宅することに虚無感を覚えた日頃。教室が無人になるまで、閑散とした放課後の時間を過ごしてきた。

 昇降口を通り正門を潜ると、一層と聞こえてくるのは運動部の掛け声と吹奏楽部の練習音。基本的にこの時間帯は帰宅する学生の姿は少なく、様々な理由を含めるが、鳴海の方は至極単純なものだった。


 部活は疲れる。人間関係もそうだ。


 志願して進んだり、無駄な労働はしたくもないし、もちろん偏見ではないが帰宅して自分の部屋に戻ると疲れて動けなくなるのは、時間の無駄にも程がある。


 適度な運動と可能な限りの体力作り。

 意識して、効率良く時間を扱えるように、鳴海は帰宅部を選んだ。


 君は未来がある、先生に注意されてしまったけれど。

 自分には出来ることがある、そうらしくない熱弁をして、結果的に信頼を得た。


 青春を謳歌する者達と同じように鳴海にはそれ相当のやるべき意味がある。それを無くしてしまえば立花鳴海ではないし優柔不断でつまらない人間になる。


 とにかく。今鳴海にはやるべき意味があるのだ。



(今日はなるべく早く行こう)



 焦る気持ちを含めて、鳴海は赤から青に変わる信号機を見て交差点を渡る。行き交う人達の流れを沿って歩いていく。



(この時間帯になると学生も少なくなるな。流石に同級生に見られたくない)



 雑音だだ漏れの都会の中、疎らな学生の姿を目撃する。

 門限が迫る黄昏色模様。夕焼けが傾き、夜の片鱗を覗かせる。プライベート優先の為には。馴れ合いの連鎖を引き千切ることにした。


 戯れる事を毛嫌い、暇さえあればスマホで音楽を聴く。周りの雑音を打ち消す為に有線イヤホンを耳に付けている。


 遮断しないと。彼等の無駄話は鳴海には関わりないものだから。



(所詮は見栄なんだ。興味ないジャンルほど意欲的に燃えるのは難しい。自分の色に染めたいばかりに、囃し立てる相手が欲しいだけだ。自分だけが贔屓にして、顔色を読むばかりの高校生活なんて、何処に青春があるんだ)



 鳴海は問題を抱えるような友達がいない。

 むしろ、皆無だった。


 境界線に佇む中庸的な立場だからこそ、鳴海は俯瞰する。


 贔屓はしない。妥協もしない。

 孤高の道だろうと、良くなる為には、困っている人を見捨てることはしない。

 冷たい陰に紛れず。温かな光を手放す。誰一人と孤独にさせない為に。見据えた景色の先にある世界が美徳を語れるものなら、それだけで十分だ。


 人の痛みを知らない彼等には、絶対に辿り着けることのない景色だ。


 彼等は言葉を話す猿だ。そして、立花鳴海は健常者のフリをした猿である。

 根本的に相容れることのない青春らしさ。その隙間にある差異は価値観の有無。本質を見失い、勉学を嫌いと謳いながらも登校をする矛盾の行動。部活と男女一線の関係だけを有意義に、成績の不調は他責を理由に、最悪は溶け始めた脳髄で誇張した机上の空論が罷り通るご時世なんて、泥水に浸かった気分になる。


 猿は嫌いだ。足を引っ張るだけの猿が嫌いだ。

 支え合うことも忘れた猿が嫌いだ。


 今の彼等は人の話を聞く耳を持たない。ホントに観察眼が狭い連中である。

 それの何がカッコいいのか鳴海には分からない。不良の真似か?


 意味不明な集団とは近付かず、ただ鳴海は歩いていく。

 夜の青が染まり、溶け込んでいく黄昏は人々の影を斜めに伸ばす。時間の境界線に誘われた鳴海は自然と路地裏の方へ振り向いていた。


 一匹のネコがいた。


 黒色の毛並みが凄く綺麗で、手入れされているネコだった。人の寄り添いに慣れているのか鳴海から逃げることはせず、自ずと歩み寄る。

 屈む仕草で黒ネコと目が合う。


「にゃー」

「もしかしてお腹減っているのか? ほら、ビスケットがあるんだ。食べな」


 たまたまビスケットを持っているワケではない。

 下校中に偶然見掛けて、いつの間にか目の当たりにする場面が増えた。クラスメイトよりも顔馴染みの小さな友人には孤独の時間を埋めてくれた。感謝したい。


 背負っていたリュックを取り出して、袋から数枚のビスケットを食べやすい半分サイズに砕き、そっと地面を置いた。


 すると黒ネコは素直に小さく食べてくれた。

 当たり前だけど、些細な幸せを感じられることが嬉しい。


「あはは、そんなに美味しいんだ。良かった」


 環境に囚われない、カラッとして澄んだ空気感に憧れを抱いている。

 故にネコは気の向くまま寝たり、適当に散歩をして、好きなタイミングで食事を取る。そこには文句を言う者も自由を妨げる障壁も存在しない。

 鳥だってそうだ。空を飛べる。広大で明瞭な世界を独り占めに出来るのだから。


 そんな夜が訪れる前に、鳴海は不可解な違和感を見付けた。


「……なんだ?」


 振り向き、イヤホンを外して、怪訝そうに鳴海は路地裏に目を向ける。


 日中だろうと光が届かない奥行き。全体的に薄暗く、長く迷路のように続く細い道は不気味な雰囲気が漂い、誰も通ろうとしない。綺麗に並べているものの、花壇は訪問者を歓迎するように存在しており、その触れることの出来る人の気配が逆に背筋を凍らせるのだが、路地裏の奥には公園があるにも関わらず、無邪気な子供達でさえ遊ぶことも否定するほど。


 名前の知らない公園。

 公園に繋がる路地裏の奥で、大きな影が動いていたような……?


 ビスケットを完食した黒ネコは路地裏に向いている鳴海の姿を見ていた。

 謎に直面して、底無しの疑心暗鬼が生まれる。その微弱に揺れる瞳に何かを感じ取れたのか急に黒ネコは細い道に向かって走ってしまう。


「あ、待ってくれ」


 咄嗟に手を伸ばすものの、影には届かない。


 直感が働いた。あるいは鳴海の感情をキャッチしたのか。不思議な行動をした黒ネコに鳴海は目の色を変える。

 煽る無心の感性が追い掛けろと騒いでいる。本能に従えとやけに五月蝿い。

 薄暗い路地裏の向こう側にある景色を見据えて。


 影が呼んでいる。


「影が、俺のことを呼んでいる」


 再びリュックを背負って、鳴海は黒ネコが消えた路地裏を駆けていく。

 鳴海は影の正体が知りたい。好奇心。息を整えたつもりだが、進む度に心臓の鼓動が早くなる。視界に映る黒ネコの尻尾を頼りに、深淵に浸かる。

 人は目の前にある興味には勝てない。



(……明るい! 光が差し込んでいる場所があるのか……!)



 道標は見失った。その代わりに鳴海はまだ見ぬ路地裏の未知を見た。

 異世界に辿り着いたような、光の匙加減。差し込む光芒は辺りだけを照らして、ステンドグラス調の硝子窓を通して幾何学的に屈折する。太陽の方向と見える傾きによっては、擬似的に虹を連想させる―――。


 注意を怠らず、周辺を凝視する鳴海は息を呑む。


 黒ネコは光の中に紛れ込んだ。

 颯爽と。尻尾を揺らして。黄昏色と虹を模した世界に姿を眩まして。


 けれど鳴海は歩むことを止めない。


 答えは目の前だ。今更心境を変えるつもりはない。

 小さな路地裏を駆ける。差し込んだ虹の光芒を遮るように手を目の上に掲げて。

たとえ影の正体が抑揚に欠けるものなら、鼻で笑うかもしれない。

 その方が青春らしさが含んでいる。


 黒ネコを探して。違和感を感じた影の正体を知るために。

 やっと辿り着いた鳴海の見開いた瞳には、透き通った景色を捉えた途端に。


 影の正体。それは超常現象じゃなかった。

 人だった。


 落胆。想像通りというか。

 一度限りの好奇心の為だけに、黒ネコの尻尾を辿って、夕焼けに傾く光芒を掻き分けて、探し出す為の躍進と勇気を振り絞った結果が、単なる人の影を追っていただけの事実に肩の力が抜けて脱帽すると、そう思っていた。

 本当にそれだけで終わって欲しかったのに。


 なんて、願いは届くワケがなくて、直面する現実に鳴海は愕然としていた。



 二人の女の子が地面に寄り添ってキスをしていたからだ。



「な、ん……」


 語彙力と共に。一瞬にして鳴海の思考が凍結した。


 目の前に広がるのは。これは現実なのか。混乱している。混濁する数多の情報が脳内で暴力的に流れ込み、処理が追い付きそうにない。

 噛み砕け。頭痛に苛われるよりも。焼き切れる前に理解しろ。


 その間、僅か三秒。


 視界に映る情報。端的に要すると、双方美少女だった。

 片方は右胸に不死鳥を象る校章で有名な翔星学園の制服を身に纏う少女。片方は誰もが知る名門女学校、聖アグネス女学院の少女。翔星の少女は変装をしているのか、帽子とサングラスを持参していたが、唐突と地面に転がっていた。


 当然だろう。


 彼女達も同じく、不本意な状況を受け入れていないのだから。


「……」


 硬直した時間の中で、唯一、視線だけが重なる。


 表情が歪む。気詰まりな雰囲気。

 心臓を鷲掴みにされて、強烈な圧迫感に陥る。不可解な光景を前に発声はおろか鳴海は怯んでしまい、見て見ぬフリをするという現実逃避の手段が浮かばない。目を奪われ、空間を支配していたのは、彼女達が織り成す美しさだった。


 唖然とした様子の鳴海と目があった翔星の少女の方は、一瞬にして顔を真っ赤にしては何か言いたげそうに手足をバタバタ動かして狼狽えていた。


 唇が塞がれている状態なのに。一体何がしたいのか……。


 不憫に思う鳴海の眼差しを余所に、翔星の少女は一応正気に戻ったのか、強引に聖アグネスの少女を押し退かす。口元を拭って、立ち上がる彼女の頬は朱色に染める中で、動揺した態度の顔付きが、無防備の鳴海に迫る。


 その時だった。


 細やかに靡いた彼女の髪、上目遣いの視線、間近に迫る端麗な容姿に。

 思わず、鳴海は息を呑んでしまった。


「待って、これは違うから!!」

「……いや、なにが!?」

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