第49話 (番外編)重い初恋⑥

「重い初恋」シリーズの6話目です。シリーズ最終話となります。


 12年前のエシャ(松本 仁香)とヒオス(ジョシュア・エバンズ)の出会いと、ジョシュア・エバンズがバイオリニストになって、やめるまでのお話です。


 このシリーズだけ読んでも楽しめる内容になってると思います。


 初めて立ち寄っていただいた方にも、読んでいただけると嬉しいです!!


 前提として、松本 仁香とジョシュア・エバンズは前世では夫婦、仁香には前世の記憶があるけど、ジョシュアはまだその記憶を取り戻してない。ここだけ押さえていただければ、これまでの話を読んでいなくても大丈夫!!

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「安心ですか…」

 出来ることなら、そうして上げたい。でもどうやって…


「一番良いのは、もうあなたに会わない事。彼が貴方のことを忘れて、音楽に没頭してくれたらいいけど、そうじゃなくても、もっと楽に好きになれる人を見つけるべきだと思うの。」


 確かにそうなのだ、彼が同世代の女の子と普通に恋愛をして、友達と遊んで、自分のやりたいことやって、私だってそう願っていた…そして、こんな事態を招いてしまった。自分のやり方が生温(なまぬる)かったのだ。中途半端に連絡を取っていたり、条件を付けて会える可能性を残してしまったり、結局は自分が彼から離れたくなかったんだ。


「…でも、そう言う事じゃないのかも。」

 彼女が煙草に火をつけて煙を一吹きしてつぶやいた。うわ、この部屋、禁煙じゃないんだ。今はそんなこと気にしている場合じゃないけど。


「そう言う事じゃない?」


「無理に貴方から引き離したりしたら、彼がどうなってしまうか…まあ。バイオリンはやめるでしょう、貴方のためだけに弾いてるんだから…ずっと。」


 彼女の視線が痛かった。


「でも、貴方が彼を世に出した。その点は感謝してる。」

 彼女は分厚い手帳を開いて、

「来年の彼のスケジュールは未定よ。何の予定も入れてないの。レコード会社との契約も単年契約。来年になれば長い休暇が取れるし、殆ど違約金も発生しないわ。」

 そう言って、彼女はバタンと厚い手帳を閉じて、ベッドの上に投げ捨てた。


「でも、簡単に休めばいいとか、バイオリンをやめてしまえばいいとか言わないあげてね。彼は思い詰めてるのよ、バイオリニストでいる間は貴方が会ってくれるって…やめてしまったら、自分は捨てられるって。本当に貴方がそう言う気持ちならば、彼の前から即刻消えて頂戴。その後のことは私がどうにかするから。」


 彼女の高圧的な態度には腹が立ったし、彼がバイオリニストじゃなくなったら捨てるなんてありえない、でも、なぜか何も言い返せなかった。悔しさの余り拳を握り締めた。



 ホテルのロビーでジョシュアは他の演奏者たちと話をしていたが、私を見つけると、直ぐにこちらにやって来た。


「ミランダと何の話をしてたの?」


「え?ああ、来年のジョシュアのスケジュールのこと。」


「どうして彼女はそんな話を仁香にしたの?」


「ええと、ジョシュアが随分と疲れているみたいだから、来年は少し長めにお休みを入れようかって…」


「僕、疲れてなんかいないよ、長い休みなんて必要ない。」

 ああ、言葉を間違えた…疲れてるみたいなんて言わなきゃよかった。


「この話は、うちに帰ってからゆっくりしよう。」

 そう言って、彼をなだめすかした。





 私と一緒の時、彼は普通にご飯を食べている。今も楽しそうに、私が作った肉じゃがを食べている。楽しそうにいろんな話をしてくれる。でもきっと、これは装っているんだと思う。本当は不安に押しつぶされそうになってるけど、それを隠しているんだと思う。

 彼の不安の原因は?人前でバイオリンを演奏することへの罪悪感?私のこと?


 罪悪感なのかどうかは分からないが、人前で弾くからには完璧な演奏をしなければならないという強迫観念にも似た気持ちになっているような気はする。

 そして、私のことは、私はどうしてそんなに彼を不安にさせるんだろう?

 彼のことが好きだと言ってるし、他の男の影もないし、実際にいないんだけど。連絡だって頻繁に取ってるし、メールには必ず返事してるし…自分から、彼の所に行くことだってある。普通のことは普通にしている気がする。バイオリニストじゃなくなっても好きだよと言うことは伝えているし…


 何をどうしたら、彼の不安を取り除けるのか?全く分からない。一人で考えてもきっと答えは出ない。


 以前、母や妹に相談したけど、二人の関係が歪(いびつ)すぎて想像がつかないと言われた。歪って…年は親子ほど離れてるし、今や彼は有名人、私は普通の個人事業主…どちらかと言えば、私が不安になる立場だ。若い彼に、若い美人のモデルみたいな女が出来て、私はポイっと捨てられる。そんなシナリオの方が容易に想像がつく。


 ただ、母親に言われたことが一つあった。「分からなかったら、直接聞けばいいんじゃない?」確かにそうかもしれない。





「ねえ、ジョシュア、なにか私に言いたいこととかある?」

 いざ、尋ねるとなると、何と聞いて良いのか分からなくなる…


「愛してるよ。」

 そう言って体を寄せて来た。


 出会ったばっかりの時は、自分より少し背が高いくら位いで、私の肩に頭を乗せて甘えてきたりしたけど、今では、私が彼の肩にもたれかかる方が楽になった。


 そう言う事じゃないんだけどな…と思いながらも、そのまま二人で映画を観ていた。

 暗い湿っぽい話は観たくなかったので、ラブコメで笑えそうなのを選んだ。幼馴染の男女が、本当は好き合っているのにハイスクールの卒業パーティーにお互いに別の人と行って、女の子は妊娠、男の子は海外の大学へ、その後は面白いくらいすれ違い続けるって話だ、切ない話だけど、主人公の女の子とその親友が面白くって、笑ってしまう。


「…私たちも、すれ違ってるのかな…何がそんなにジョシュアを苦しめてるのかな…」

 気が付くと、自分はそんなことを呟いていた。


 映画の主人公の女の子が、始めから素直に男の子のことを好きって言えば良かっただけなのに、それが出来なかったせいで、男の子の心には埋まらない大きな穴が開いてしまった。その穴を埋めようとして、他の女性を求めて右往左往している。これはコメディーだから面白いけど、本当にそんなことが起こったらどれだけ辛いだろう。彼女以外では、どんなに完璧な女性でも埋まらない心の穴を埋めようと、代わりになりそうな人を探して、この人が自分にとって最高の女性だと自分に一生懸命言い聞かせる。それでも心に開いた穴は埋まらないんだ。


 ジョシュアは、心の穴を埋めるために、他の女性ではなくひたすら私を追いかけているの?追いかけなくたって、こうやって隣にいるのになぁ…

 でも、いつどうして心にそんな穴が開いてしまったのだろう?


 ジョシュアが好きなのは仁香だ。

 仁香が好きなのはジョシュアだ。

 私が好きなのは…ヒオスだ。

 私はエシャで仁香だ。

 ジョシュアはジョシュアでヒオスだけど、まだヒオスじゃない。複雑だ。

 もしかしたら、私の愛が半分づつになってしまったのか?でも、仁香の愛は…

 それに、私はジョシュアに自分から自分の気持ちをきちんと伝えたことがない…


「…すれ違ってるだけなの?だったら……仁香も僕のことを愛してくれてるの?」


 仁香がジョシュアに会った時、私は、ヒオスを見つけたと思って嬉しくなった。

 でも、その後、仁香はジョシュアを可愛いと思った、ジョシュアを愛おしいと思った、そして、ジョシュアが幸せな人生を歩むことを願った。仁香はジョシュアが好きなんだ、一番大好きなんだ。きっと、松本 仁香が唯一愛している人がジョシュア・エバンズなんだ。


 そのまま、松本 仁香としての気持ちを伝えよう。


「松本 仁香が、人生でただ一人、最初で最後に愛してる人。それが、ジョシュア・エバンズだよ。」

 何かの台詞みたいだけど、これが今の正直な気持ちだ。


「本当に?もし、僕がバイオリニストじゃなくなっても?それでも、愛してくれるの?」


「うん。ジョシュアだったら何でもいいんだ。こうやって一緒にいられればそれで良いんだ。」


「じゃあ、どうしてバイオリニストになったら会ってあげるって言ったの?」


「あれは…ジョシュアの青春を台無しにしたくなかったんだよ。こんなに年の離れた私といるよりも、もっと幸せなことがあるんじゃないかって、だから、あんなことを言って、私のことを諦めてもらおうと思ったの。」


「…馬鹿じゃないの。そのお陰で僕の青春は台無しだよ。」


「だよね…ごめん。」


「うそ。でも、なにがあっても僕が仁香を諦める訳ないのに、馬鹿だな本当に。」

 彼が涙を流すのを見たのはこれが2度目かもしれない。でも、前回とは違う涙だ。





 彼はこのツアーとその後のアルバムの制作を持って、長期の休暇に入ることを発表した。発表後にチケットが売り切れる事態となり、追加公演も発表された。彼は忙しそうだったけど、前よりは元気そうだった。ミランダからも、今の所、心配はなさそうだと言う連絡をもらった。


 三度目の日本公演の時も元気そうに演奏していた。アンコールをもらった際は、俯いていたけど、ほんの少し口元が微笑んだように見えた。

 それを見て嬉しかったけど、もう、彼に無理をさせようとは思わなかった。

 長期休暇に入る前の最後の公演は、彼の故郷のエディンバラで行われた。





 ツアーが終わった後も、彼はレコーディングやオーケストラでの演奏なんかで忙しそうで、全然会えていない。

 来年になれば二人でゆっくり出来る。私も今のうちに仕事を頑張ろう。

 カフェの窓辺に座りノートパソコンを開き仕事を始めた。


 そういえば、私はそろそろ四十路に突入する。果たして、どのくらい彼と一緒にいられるのだろうか?もし私が突然死んじゃったら、彼はどうなっちゃうんだろう?振り回すにも程がある…だからと言って、今更、彼の前から姿を消すなんて事をしたら、きっと彼の頭がおかしくなるだろう…はて、どうしたものか?


 ノートパソコンを睨み付けながら、腕組をして考えていると、赤いチェスターコートを着た金髪で長髪っぽい男性が、窓の外を通り過ぎたと思ったら、戻って来た。

 私の横で何やら手を振っている気がする…何か私に言いたいのだろうか?でも、ちょっとヤバそうな奴かもしれない…目を合わせたくないな…まだ、横にいるよ。

 ジョシュアは長髪じゃないし、今は日本にいる訳ないし…こんな知り合いいたっけかな?…もしや?

 恐る恐る視線を窓側に向けると…


「に・か」

 窓越しに嬉しそうに、大きく口を動かしている。


 そして、カフェに入って来て、私の前に座った。

 ジョシュア・エバンズだけど、彼はこんな長髪じゃない。

 ということは…


「久しぶり!相変わらず、きれいだね。」

 流暢な日本語でしゃべりかけて来た。ジョシュアの日本語はここまで流暢ではなかった。


「…エデンに行ったの?」

 ヒオスの記憶が戻ってエデンまで行ったのか?


「記憶が戻った途端に呼び出しされて、大した用事じゃなかったけど。」


 そう聞いた途端に、彼の顔がかすんで来て、嬉しさの余り私は泣いていた。


「仁香、どうしたの?お腹でも痛いの?食べ過ぎたんじゃない?」


 心配しているのか、からかっているのか、どっちなんじゃい。でも、今はそんなことはどうでも良い。


「…会いたかったよ…」

 心の底からそう思った、そして私は鼻をすすりながら泣き続けた。人前で恥ずかしかったけど、涙が止まらなかった。


「ずっと、会ってたじゃない。」

 笑いながら彼がそう言った。そして、ちょっとむくれた顔でこうも言った。

「僕が、一途で、嫉妬深くて、面倒くさ~い性格なのは知ってるでしょう。無垢で幼気いたいけな僕をあんまりいじめないで欲しかったな。」





 翌年から彼は私のアパートにやって来た、狭い部屋でもなかったので、そのまま二人でそこに住んだ。彼は私の仕事を手伝ってくれた。


 月に数回は越谷の私の実家にご飯を食べに行った。


「こんな年上で良いの?ジョシュア君」

 妹の三咲みさきが、彼にまた尋ねている。私の年齢いじり、しゃくさわる。


「仁香の精神年齢は僕と同じくらいだから、全然大丈夫。」


「精神年齢で言ったら、ジョシュア君の方がむしろ上か!お姉ちゃん、うちの子と対等に喧嘩するからね。精神年齢小学生かよって思う時ある。」


 むしろってなんだよ、こどもと対等に喧嘩なんてしてないよ、精神年齢だって私の方がすべからく上だ。



 実家からの帰り道、月を眺めながら気になっていたことを彼に聞いてみた。


「ねえ、私が死んだら何するの?」


「え、考えてないし、まだ、考えなくていいでしょう。」

 ちょっとムッとしている声だ。


「ただの興味だよ、心配してる訳じゃないよ。」


「そう言う事なら…うーん、大学にでも行こうかな。」


「何を学ぶの?」


「多分、宇宙物理学」


「…なぜに?」


「ずっと考えてたの、地球からガーデンが見えるようになったら面白いだろうなって」


「…はあ」


「もしかすると、時空の歪みとかを研究したら、何か方法が見つけられるんじゃないかって思って。」


「ほお…」


 地球とガーデンの関係は物理とかでどうこう出来るものじゃないと思うけど、面白そうだと思うならば、やれば良い。




 ~・~・~・~・~・~・~・~

 時は戻って現代


「ジョシュアさん、随分とバッサリ髪を切りましたね。それに、今日は凄くお洒落ですね。」


 ギンちゃんと神社からの戻ると、会ったばかりの頃みたいな髪型で、黒いハイネックに赤いジャケットを着たジョシュアさんが車の横に立っていた。ルパン三世以外にこんな赤いジャケット着てる人を見たことがない。でも、彼が着るとちゃんとお洒落に見える。


あかりが褒めてくれるなんて珍しいね。今日は嵐かな。」

 青天の空を見上げ、そんなことを言って来た。


 もう、イチイチこういうやり取りで腹を立てるのは無駄だと言う事を私は悟っている。


「天気予報では晴れでしたよ。」

 普通に答える。


 彼は手にしている大きな黄色と白の花束を、車の助手席にのせた。


「きれいな花束ですね。」


「そうでしょう。黄色い花が好きだったんだ。」


 好きだった?なんだか引っかかる物言いだな…


「もらった人は、きっと喜びますね。素敵な花束ですもんね。」


「きっと喜んでくれると思うけど、花より食べる方が好きだったから、途中でお菓子でも買って行こうかな。」


「聞いてもいいですか?どなたなんですか?」


 そう言うと、彼は笑って聞き返してきた。

「知りたい?」


 この一言に毎回ムカつく、でも、今日はいきどおりをぐっと抑えて…

「はい、教えて頂けるならば。」

 朗らかに答えてみた。私だってやれば出来るんだ、ポーカーフェース。


「松本 仁香、ジョシュア・エバンズが、ただ一人、最初で最後に愛した人。今日は彼女の命日なんだ。」


 ん?ジョシュアさんが愛しているのは来海くるみちゃんでしょう?…もしかして?


「何年前だったんですか?」


「確か、8年前だったかな。」


 来海ちゃんは今年で7歳、何となく、それは、そう言う事なのかなって思った。








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