第6話「小さな願望」

「質問に答えて貰う。歳はいくつだ?」


 人気の無い通学路、街頭が弱々しく照らす道の真ん中にぽつりとその男は立っている。


 全体的に暗めの色で揃えられた服装、さらに黒く丈の長いコートを着用して極め付けには帽子すらも黒い。


 薄暗い背景に溶け込んでしまいそうなほどに黒一色の装い。


「バカね、不審者には教えちゃダメなのよ」


 エルは毅然きぜんとして態度を変えず、堂々としている。


「肝が座っている小娘だ。それともただの恐れ知らずなのか」


「すぐに分かるわ」


 相手は背丈180センチはあろう大男だというのにエルは一切動じる素振りを見せない。


 この状況だと何とも頼もしく思える。


「その人多分、吸血鬼だよ…」


 ひっそりとエルに耳打ちをする。


「へぇ、確かに悪魔とも違うみたいね」


 その大男の特質する容姿はやはりそのちぢれた白髪に薄汚れた赤目だろう。


 アリアさんとは随分印象が違うが、それでもその特徴が男が吸血鬼であると決定付けている。


「少し若過ぎるか。好みでは無いのだが仕方がない。下卑た料理でも食わねば生きれん」


「誰が下卑た料理よ。地獄で訂正なさい」


 エルは右腕を前方に突き出し、小さく唱えた。


「来なさい、我が為の剣」


 ふと、光の粒子が空中から出現する。


 薄暗いこの場所でほのかに発光するそれが、エルの右の手へと集まってゆきやがて一本の光剣に成る。


「天使…本当だったんだ…」


 目を見張ったのはエルの頭上に浮いた輪状の物体。


 ほんのりと輝きを放つ天使のリングは何よりも彼女が天使であることを証明していた。


「クク…いや失敬。まさか君が天使の末裔とはね。しかし天使と名乗る割には薄汚い光だが…何故だろうね?」


「黙りなさい。私は天使、アナタのような悪を討つ存在よ」


「そうか悪か…!そしてお前が善だと?ああ可笑しい!堪えられん…!!」


 口元を覆いながらも笑みが溢れ、口角が上がり鋭い歯があらわに成る。


 不気味で聞くものを不安にさせるような不安定な笑い声だ。


「残念ね。祈りの時間くらいはあげようと思ってたのだけど」


「良いのか?お前には必要だろう」


「後悔なさい」


 その言葉と共に吸血鬼に目掛け光剣を振り下ろした。


ーーーーー


 信じられない。


 今しがた繰り広げられた吸血鬼と天使の戦闘、その光景は余りにも現実離れしていた。


 まず、エルは本当に人間では無かった。


 右手に握られた光剣は常に薄く光を放ち、振るうたびにその残像、剣の軌跡が目に残る。


 その太刀筋はとても美しくて真っ直ぐ、まるで彼女自身を表しているかのよう。


 さらに、その光剣は吸血鬼が纏うコートを掠めただけで容易く切り裂く。形状からは想像の出来ない鋭利さだ。


 そのような代物が押し寄せる様に振るわれるのだから圧倒される。普通ならばすぐにでも微塵切りにされているだろう。


 何より注目すべきはエル自身の身体能力である。


 地面を蹴れば街灯と同じ高さを飛びあがる脚力を有しており、それは平面移動での高速化を可能としている。


 おそらくどの陸上競技者よりも彼女は速く走ることが出来る。


 小さな体で素早く、かつ力強い。


 心に残っていた最後の疑念が確信へと変わってゆく、やはり彼女は人間では無いのだと。


 しかし、残念な事に吸血鬼は全てにおいて天使の能力を上回っていた。


 天使ご自慢の光剣は大男の爪に軽く折られ、嘲笑うように街頭の高さを悠々と超えて高く飛ぶ。


 その結果、当然天使の少女よりも速く動く。


 先程まで達者であった少女の口は閉じ、代わりに傷口が開いていく。


 時折り苦悶の声が漏れ出て聞こえてくる。


 徐々に少女の体に傷が増えてゆく。生々しく、痛々しい傷が増えてゆく。


 出血は言うまでもなく、地に赤い雫が落ちていく。


「もう良いだろう」


 散々に痛ぶった後、天使の腹へと固めた拳を撃ち放つ。


「あ゛ッ……」


 腹部が圧迫されたことにより漏れ出た声を最後にエルは地面へと倒れ込んだ。


「やはり地面に伏している方が似合う。さながら堕ちた天使だな」


 吸血鬼は心底楽しそうに笑いながら僕の方へと近づいてくる。


 足がすくむ、動けない。


 例え逃げたとしても意味が無い。


「小僧、お前はまだ若いが美味しそうだ。何とも食欲をそそる良い香りをしている」


 吸血鬼が次の獲物である僕の元へと近づいてくる。


 掠れた浅い呼吸の音が心臓の音と共に聞こえてくる。


 怖い、恐ろしい、心臓が止まりそうだ。


 吸血鬼の後方へと目線を向けると、エルがぐったりと倒れ込んで動かない。どういう状態かもわからない。


「涙は溢すな、せっかくの味が不味くなる」


 僕の顔へと手を伸ばしてくる。


 太く長い指に、どの刃物よりも強烈な長い爪。握り潰そうとしているせいか血管も浮き出ている。


 殺される。このままでは二人揃って殺されてしまう。


 死の恐怖が身体中に駆け巡る。死にたく無いと身体中の細胞が騒ぎ出す。


 吸血鬼の手はもう目先まで迫っている。


「鮮度を落とさぬよう一瞬で済ませる。動くな」


 あ…死ぬ…そう確信した時だった。


 吸血鬼は動きをピタリと止めた。


「……先約がいたのか」


「そういうこと」


 僕の後方から慣れ親しんだ声が聞こえてくる。


 振り返った目線の先には馴染みの吸血鬼が立っていた。


「アリアさん……!!」


「無事で良かった。湊音くん、遅くなってごめんね」


「大丈夫です…!でもどうして…」


「ふふん、戻っておいで」


 アリアさんの号令と共に僕の首元から小指程度の小さなコウモリが出てきた。


「これは…?」


「今日の朝こっそり付けておいたんだ。この子が湊音くんの危機を伝えてくれたんだよ」


「いつのまに……あ…!」


 そうか、額にキスをされた時…!


 あの時はあまりに衝撃的過ぎて気付かなかった…


「保険のつもりで付けてたんだけどまさかその日に役立つなんて、私の勘も冴えてるねぇ?」


 アリアさんはいつもの様子でけらけら笑っている。


 今までも恩人だと思っていたが、本当に僕の命の恩人になってしまった。


「貴様…この小僧に手をつけた瞬間に俺を殺すつもりだったな」


「さぁ?でも、獲物の横取りってつまりそういうことでしょ…?」


 笑みは消え、鋭い目つきを同族へと向ける。


 その視線は無感情にも感じれるほど冷たい。


 そんなアリアさんを僕は初めて見た。


「外見に似合わず下衆だな。だがこっちに倒れている小娘は関係なかろう?」


 吸血鬼は地面に伏しているエルを指差した。


 それを聞いたアリアさんは僕に目線を向けて『あの子は誰かな?』と確認の意を伝えてくる。


 獲物の横取り…先程の両者の会話から察するにどうやら吸血鬼同士では死に値する罪のようだ。


 大男が僕を見逃さざる負えないのもその規律、掟の所為だろう。


 ならばここでアリアさんがエルを庇う、あるいは保護をするのも横取りになってしまうのではないか?


 だとすればエルを助けてしまえばアリアさんは横取りの罪により殺されても文句は言えない…?


 どうすれば良い…?ここでエルを知り合いだと言って良いのかそれとも…


 見殺しにするのが正しいのか。


 馬鹿な、馬鹿なそんな訳が無い。


 ありえない。ありえないが…わからない。


 いつものように無難な答えがわからない。


 どうすれば良い?どうすれば…


「湊音くんに友達がいたんだね?私は嬉しいよ」


 僕の頬を優しく撫でる。


 その行動は『落ち着いて』と言ってくれているようだった。


 友達…その言葉を使う事を今まで無意識に拒んでいた。


 何故なら怖かった。その一言を放った時に否定される事が。


 例えその関係を築いたとして、のちに拒絶されるのでは無いかと考えると更に怖かった。


 いつも考えているのは無難にやり過ごすこと、相手を傷付けないこと。そして、相手に嫌われない様にすること。


 僕はこればっかりだ。


 でも彼女は僕とは真逆の考えを持っていた。


 無難という言葉はきっと辞書に無いし、相手の傷は知りもしない。そして、相手に嫌われようが自分の心情は決して曲げない。


 酷く冷徹で無遠慮。


 けれども、初めて話しかけてきた時の真っ直ぐな思いと手渡してくれたお守りは確かに温かかったんだ。


 そう、彼女は己の信条に誠実過ぎる天使。


 僕はそんな彼女と友達になりたいと思った。


 だったら、ここは一つ頼れる吸血鬼お姉さんにお願いをしてみても良いだろうか。


 懐に入れた天使のお守りを握りしめ、僕は前を見つめて口を開く。


「違う、あの子は友達じゃない」


 大男の吸血鬼はそれを聞いて不愉快な笑い声をあげる。おそらく僕がエルを見捨てたとでも思ったのだろう。


 外れた笑いを無視して口を開く。


 お願いをするために、声を出す。


 固めた意志を解き放つ。


「でも友達になりたい…!アリアさん…助けて!!」


 それを聞いたアリアさんは口角を上げて声高らかに宣言する。


「まっかせなさ〜い!!」


 

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