第3話:メイエリ・レイヴン
メイエリ・レイヴンにとって兄と姉が世界の全てだった。
だから、それらを奪おうとする者は敵でしかなかった。
「わたくしだって、もう何もできない子どもではありませんわ!」
本日、メイエリは一大決心をし、大きな一歩を踏み出していた。
家出だ。
家族の誰にも知られず、屋敷から外に無断で出る。そんな大きな一歩。
街中を歩く同年代がそれを聞いたら鼻で笑われてしまうかもしれないが、メイエリにとっては違った。
レイヴン公爵家。彼女が背負う家名は三大公爵家の一つであり、最も古い歴史をもつ。
そんな偉大な貴族の令嬢であるメイエリが同年代よりも特別な暮らしをおくっているのは当然で、家出という行為自体、許されないこと。
しかし、なぜ彼女は現在こうして隠し地下通路を一人で歩き、家出を実行しているのか?
本来の彼女ならこんな馬鹿げた行為はしない。貴族であることを、レイヴン家の一員であることを、誇りに思い生きているのだから、家出をしている暇があるのなら礼儀作法や勉学に勤しむだろう。
では、何故か?
ひとえに愛する姉のためである。
メイエリには兄と姉がいる。敬愛する家族で、メイエリ・レイヴンを構成するにあたって欠かせない存在だ。
そんな大好きな姉が、彼女の意思に関係なく婚約を迫られている状況になっている。
貴族の令嬢にとって婚約は政治的な道具として使われるのは当たり前のこと。メイエリ自身もいずれは知らない有力貴族に嫁ぐのは仕方のないことだと思っているが、姉は違う。
メイエリの姉は誰よりも特別で、自由な翼なのだ。
だから、間違っている。姉を取り囲む全ての状況が。
自分よりも一回り年上の兄が姉のために頑張っていたが、変わらぬ現状にメイエリは我慢の限界だった。
だからこうしてメイエリ自身が動いているのだ。
屋敷の中で頼りになるのは兄しかいない。兄以外の協力者が必要だった。屋敷に訪れてくる貴族は信用できない。なら、自分の足で見つけるしかない。
反対するメイドを脅して監視を潜り抜け、昔兄から教えてもらったこの地下通路を使い、街へと向かう。
屋敷から近くにあるが、ほとんど街を訪れたことがないメイエリにとって、一人で協力者探しをするのはリスクがあったが、かまってられなかった。
「着いた! ここですわね!」
扉を見つけたメイエリはドアノブを掴み開ける。
目に飛び込んだのは活気に満ちた街だった。
楽しげに道をかける子ども。露店で声を上げて客を呼び込む若者。ブティックで品定めをしている貴婦人。
どこからか吹く風はメイエリの夜のような紺の髪を撫で、夜の瞳は星が瞬くようにキラキラと光る。
屋敷から見下ろす景色よりもずっとずっと素晴らしいもので、本来の目的を忘れてメイエリは周囲を見渡した。
ああ、ここにいる人たちの営みを、この街の活気を守るためにも自分たち貴族は戦わねばならないのだ。
胸が熱くなるのを感じた。
目の前の景色に浸るメイエリ。油断しないように心がけていた彼女だったが、初めての家出、初めての光景……そんな初めてたちが彼女の極度の緊張を緩め油断を生んだ。
ドンッ!
後ろから強い衝撃がきて、視界が揺れる。そして身が軽くなった。いや、正確に言うと鞄を持っていたはずの手の重量感がなくなった。
盗まれた。
ぶつかってきたであろう男はメイエリが持っていた鞄を抱えて走り去っていく。
ここで協力者を得るために使う予定だったお金が入った鞄。
「きゃぁぁぁぁあ!!」
メイエリの判断は早かった。兄や姉とは違って非力な自分。いつもこういった時は護衛や家族に助けてもらっているが、今は一人。自分だけではどうすることもできない。
なら、やることは一つ。声を上げて目立つのだ。自分はひったくりにあったのだと主張するのだ。
周囲のものは何事かとメイエリを見る。こんなことで目立つのは屈辱だが、今はそんなプライド、邪魔になるだけだ。
反応する者はいた。だけど、走り出す男を恐れるように距離を置き、避けていく。
それもそうだ。なにせ男の手にはナイフが握られている。
「女、どけぇぇぇぇ!」
しかし、そんな男に対し、ひるむのではなく、立ち向かう者が一人。
女だ。思わず目を惹いてしまう色をもつ女。
黄金の波打つ髪。健康的な褐色の肌。そして、炎を閉じ込めたかのようなルビーの瞳。
メイエリは息をするのも忘れてしまうほどつい見入ってしまう。
本当なら暴漢から逃げろ、他の人に頼れと、自分とさほど年も変わらぬ女に警告すべきだったのかもしれない。メイエリが期待していたのはひったくりの男を止めることができる筋骨隆々の持ち主。不思議な美貌の女ではない。
だが、その必要もなかった。
「ぐえっ」
女が綺麗に避けたかと思ったら、ひったくりは前方へと転倒し、石畳の道路に頭を打ち付けた。
何が起きたのか分からない。
呆然とするメイエリをよそに女はメイエリに近づいてきて、手を差し伸べてくる。
「さぁ、アンタ。突っ立ってないで逃げるよ」
「え、ええと貴女は……」
「んなことより、行くよ。ああいう奴は追いかけてくる場合もあるから」
メイエリが戸惑いを露にしていると、女は面倒くさいとでも言うかのようにため息をつき、強引に腕をとって、隠れるように人ごみの中に飛び込んだ。
先程まで騒然としていた通りも日常へと戻り、浮いていたメイエリや女も群衆へと溶け込む。
「もう大丈夫だろ。ほらよ、これ」
しばらく歩いていたら、女は足を止め、握っていた手とは反対の手を差し出した。
いつの間に取り戻していたのだろう。その手には鞄が握られている。
突然の事態に混乱していたメイエリは鞄のことなどすっかり忘れていた。
「……感謝しますわ。わたくしはメイエリ。ところで貴女の名前は……って、あら?」
鞄を受け取り、メイエリは律儀に礼をし、感謝を述べる。
助けてもらったのだ。できればお返しをしたい。
謝礼として鞄のお金を渡すのはどうだろうか? しかし、いくらくらいがいいのだろう。庶民の基準がいまいちわからない。それに親切な女性だ。それこそ心強い協力者になってくれそう。
色々な考えがよぎったが、メイエリが顔を上げた時にはすでに女の姿がなくなっていた。
これはよくない。助けてもらったのに、それなりの感謝をするべきなのに、何もできずにいなくなってしまった。しかも恩人の名前も聞けてない。貴族としてそれはダメだ。
「まったくもう! どこにいってしまったのかしら!?」
メイエリは消えてしまった女はどこに行ったのか探し回る。特徴的な見た目をしているからすぐ目に留まるはず。そう思い、大通りを見るがそれらしき人物もいない。なら裏通りにいるのだろうか?
先ほどの女の行動からすると少し大通りを進んでから裏通りにいるような気がして、メイエリは歩みを進める。
「それで今回もお願いがあるんだろ?」
道の曲がり角、先ほどの女の声が聞こえた。
今日は運が良いですわ。メイエリは微笑む。それにしてもなんて善良な方なのだろうかとメイエリは心打たれる。
「さすが、話がはやいっす、姐さん! 今回もちょこっと依頼を手伝ってほしいんすよ」
つい先ほど自分を助けただけでなく、今度は別の人間に手を差し伸べてるのだろうか?
しかし、その考えもすぐに覆される。
「はいはい。で、何を盗めばいい?」
今、彼女は何と言った?
メイエリは混乱する。
盗むと言った。自分を助けてくれた人物が? 何を?
「レイヴン家の秘宝を盗んできてほしいんすよ」
メイエリ・レイヴンは自身の屋敷の宝を狙う盗人と出会った。
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