天保銭と万博ドイツデー 1970

与方藤士朗

朝一番の特急「しおじ」で、いざ大阪に。

第1話 岡山駅上りホームから

「まもなく*番線に、9時22分発新大阪行特別急行「しおじ1号」新大阪行が入ります。ご乗車及びお見送りの皆様、白線より後ろに下がってお待ちください」


 岡山駅の上りホーム、現在では津山線と吉備線のホームになっているが、当時は山陽本線の上り列車のホームであった。関西や東京に向かうには、このホームかもしくは宇野線からくる列車用のもう一つ東側のホームから出る列車に乗らなければいけない。当時も今もそうであるが、岡山から広島や九州方面に向かう客よりも、関西や東京方面に向かう客の方が圧倒的に多い。その意味では、このホームこそが岡山駅の最も華やかな舞台であったと言えよう。

 そのホームに、広島を朝一番に出た特急列車が入ってきた。赤とクリームのツートンカラーの181系電車。かつては東海道本線を走っていた栄光の元祖特急電車ではあるが、新幹線開業後はこのように山陽本線などの特急列車に入っていた。この上り列車の最後尾は、かつて「パーラーカー」と呼ばれたもっとも豪華な車両であったのだが、山陽本線では需要も少ないため、既に普通車に改造されている。もっともその大きな窓枠だけが、当時の面影を残している。しかも、運転席のすぐ後ろにあたる部分には、かつての特別室が今もグリーン車として使われているが、こちらもめったに利用者はいない。とはいえ、普通車指定席となったかつてのパーラーカーであるこの車両には、それなりの客が乗っている。ただ時期が時期でしかも朝一番の列車であるため、それほど多くはない。広島以西からの客は、このあと10時50分に岡山を出る「しおじ2号」に乗車してくる。この列車は下関発の列車であるため、広島でかなりの乗客が見込め、さらに岡山からも客が集中する。

 元パーラーカーの乗車口には、岡山からの客が何人か並んでいる。そのうちの一人はなぜか、今はないはずの陸軍の軍服を着ている。その軍人風の客には背広姿で同世代の、とはいえ少し軍人さんよりは若い男性客が同行している。実を言うと、その軍服の紳士は元陸軍少佐であり、戦時中に陸軍大学校を卒業している。戦後警察予備隊に誘われたが、それは辞退している。家業である米屋をはじめ様々な事業を行っており、一時期は岡山市議会議員も歴任しているが、そちらの仕事があまりに忙しかったからである。山藤豊作元少佐に同行するのは、岡山大学理学部の堀田繁太郎教授である。戦時中に陸軍に志願したところ研究室の教授の計らいで入隊を許されないまま研究室に戻されたという経歴を持つ。彼を追い返した陸軍側の担当者が、当時姫路連隊の参謀付であった山藤豊作大尉であった。


「しかし山藤閣下、このご時世にこのお姿は、何とも・・・」

「いやいや堀田教授、この際これくらいで一つ大阪を闊歩してみるのも一興でありますぞ。ご心配なさるな。軍刀は携帯しておりません。銃刀法違反でケチつけられても仕方ありませんからな」

「それより山藤さん、その軍服にわざわざ穴をあけたのは、あれですか」

「そう、あれじゃよ堀田君。天保銭、な。わしらの頃は廃止されてしかも着用禁止になっておったからね。あなたが志願された時も、実は軍服にこの天保銭用の穴をあけておったが、いかんせん、いただいてもおらんしつけることも禁止されておった。しかし今や禁止する組織自体が消滅しておるから、ノープロブレムである」

「ノープロブレムでよし一本! そこは結構至極ですが、この軍服に天保銭を着用して、まさか明日、万博会場に乗り込むというのは、さすがに・・・」

「それはさすがにせん。背広も持っておるから、そちらで参りますよ。万博会場でこの格好は、さすがに人目を引きすぎるからのう。左側のテロに遇ってもたまらんがな。ま、テロ云々は冗談であるが」

「大学あたりをその格好で出歩かれたら、今時危ないですよ」

「大丈夫。その辺はちゃんと心得ておる。陸軍は三高京大の皆さんが思われとるほどのバカばかりではないのであります。一応、陸大で大いに戦術戦略を身につけておりますからな、そこらの抜かりはないですぞ」


 列車が入線。最後尾の最高級車だった大窓の車両に二人の紳士は乗り込んだ。その車両には、彼らの知っている人物が乗車していた。


「五反田君ではないか!」

 軍人一行の横の座席には、広島在住の知人らが乗車していた。

「や、山藤さん? いったい何ですか、そのお姿格好は?」

 広島の作家・五反田四郎が仰天して尋ねる。元陸軍少佐がそれに答える。

「今日はなぁ、ロイヤルホテル大阪でワタクシの陸軍大学校卒業記念式を行ってくださることになっておりましてな。27年越しに、その記念たる徽章をいただけることとなっておるのよ。まあ、模造品ではあるが。せっかくであるので、旧知の堀田教授にもご同行いただいて、ついでに万博に参ることにいたした」


 列車は、静かに岡山駅上りホームを出発した。ほどなく車掌が検札に来た。車掌長の案内放送の後、日本食堂の女性従業員による食堂車の案内が入る。朝食時はすでに脱しているからか、それほど客の入りはない模様。せっかくなので、早めの昼食や珈琲の一杯でも飲む客のための案内に余念がない。


「ところで、五反田君はどちらに?」

「実は私も、ロイヤルホテル大阪に参ります。実は本日、神戸のドイツ総領事館から招待を受けておりましてね、ハイネマン大統領が来日されて大阪にいらっしゃるので、その歓迎会が催されます。それに私ら夫婦とこちら日独協会秘書の金岡さんが招待されまして、伺うことになりました。金岡さんは明日あたり万博に行かれるそうですが、私ら夫婦はねぇ、あんなバカ騒ぎもいかがなものかと思いまして、正直気乗りしませんわ」

「そういわれると、私らもバカ騒ぎには違いない。五反田君はさすが辛口の作家さんであるから、耳が痛いことこの上ないものではある」

「いえいえ、山藤さんの場合は、思われるところあってのものでしょうから、別にとやかく申し上げることでもないかと」


 列車は旭川の鉄橋を超え、東へと快走している。次の停車駅は姫路。約1時間弱で到着する。この区間の表定速度は約90キロ。電車は朝の山陽路を一路商都大阪へと向かう。

 沿線にはつかず離れず、別線扱となる山陽新幹線の工事が着々と進んでいる。



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