究極の多様性ヒーロー「スーパー戦隊シリーズ」を語る!

一文字零

究極の多様性ヒーロー「スーパー戦隊シリーズ」を語る!

※このエッセイでは「魔進戦隊キラメイジャー」「機界戦隊ゼンカイジャー」「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」「王様戦隊キングオージャー」「爆上戦隊ブンブンジャー」「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」を取り上げます。最終回を迎えた作品に関しては、終盤のネタバレが一部含まれます。





 

 スーパー戦隊シリーズは、東映が制作する日本の特撮テレビドラマシリーズのことである。1975年の「秘密戦隊ゴレンジャー」から始まり、今年でちょうど50周年を迎える長寿シリーズである。

 基本的な特徴として、複数人のヒーローチームが色分けされたスーツを着て変身し、巨大ロボットに搭乗して悪の組織と戦うという構成になっている。作品によって世界観やモチーフは実に様々で、宇宙や動物、警察、乗り物など、森羅万象をほぼやり尽くしているのではないかと思うほどだ。


 そんなスーパー戦隊シリーズだが、私はここに「究極の多様性」を見出している。戦隊は、仮面ライダーやウルトラマンなどとは違い、初めからチームで行動することを前提としているヒーローだ。他にもたくさんのチームヒーローが存在するが、特にスーパー戦隊については、50年続くシリーズを通して「メンバーの個性」をとても大事にしている印象を受ける。

 まず、各戦隊を見ると、どれもカラフルで、一人一人模様や輪郭も違う。どんな人が見ても見分けがつく。その個性は見た目だけにとどまらず、各戦隊のメンバーは、みんな違った雰囲気を帯び、異なる特性や性格、得意なこと不得意なことを持っている。一人一人のキャラクターは極端なまでのユニークさを有しており、彼らが同じチームとして日々行動することで、個人の魅力の分かりやすさとメンバーの組み合わせの奥深さを両立している。

 彼らのシナジーが生む強烈なドラマが、生まれながらにして立場や性格の違う我々視聴者に普遍的に刺さる。ヒーローたちはいつも「私」ではなく「私たち」という主語で語りかけ、勇気や感動を与えてくれる。これがスーパー戦隊の一番の魅力なのだ。

 今回はそんな戦隊の個性と、作品そのものの本質について、実際に例をいくつか挙げて紹介していく。そりゃあもうたっぷりと。


 「魔進戦隊キラメイジャー(2020-2021)」では、モチーフの一つに「宝石」がある。キラメイジャーのメンバーはそれぞれ、絵を描く、演技、ゲーム、医療、運動といった様々な「得意分野」を持っている。彼らは心が輝いている時に発生する特殊な輝き「キラメンタル」の持ち主であり、これが戦士としての力の源となっている。

 戦士たちはキラメンタルの力で悪と戦う中、悲しみや苦しみ、強敵との対峙などで心が折れそうになる時もある。しかし、彼らは助け合う。お互いがお互いの足りないところを補い合い、輝きを失わない。一人では不可能だった巨悪との戦いにも、メンバーの力が合わさることで打ち勝つことができる。彼らは彼らだからこそキラメイジャーであり、一人でも欠けていれば成り立たないのだ。

 この作品の最終回タイトルは「君たちがいて輝いた」。

 キラメイジャーのモチーフは宝石。宝石は光を反射して輝く。彼らは輝きを反射し合い、ますます自身の輝きを増していく。自分がキラメくことは、誰かをキラメかせることにも繋がる。コロナ禍だった放送当時、キラメイジャーの「輝きの共有」は、こうした時代性を反映したテーマだと言える。


 「機界戦隊ゼンカイジャー」(2021-2022)は、なんとメインキャラ五人のうち生身の人間の演者は、主人公「五色田介人」ただ一人。残る四人のメンバーは、異世界「キカイトピア」から来た「機械生命体キカイノイド」だ。設定的に言えば人間ではないし、制作的に言えば演者は生身ではなくスーツアクターが演じている。しかも、五色田介人が変身する「ゼンカイザー」のメインカラーはまさかのホワイト。戦隊史上初めて、レッドがプライマリーメンバーに位置付けられていない作品なのである。

 こうしたいくつものイレギュラーを打ち出していくゼンカイジャー。五色田介人の口癖は「世界初!」だが、戦隊の伝統に縛られず新たな世界を広げていくゼンカイジャーの生き様は、最終的に様々な世界との共存を目指していく。実際、物語は全ての世界を閉じようとする悪「トジテンド」との最終決戦の後、数多の世界が我々のいるこの世界と交流を始め、さらに他文明との交流が進んでいくという結末を迎える。

 ゼンカイジャーの最終回タイトルは「最終カイ! 俺の世界、みんなのセカイ!」。まさに、閉じられた世界は本来みんなのものである、俺の世界はみんなのセカイでもあるというグローバルなメッセージが端的に表されている。


 「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」(2022-2023)。モチーフは「桃太郎」……だが、桃太郎要素は実はあまりなく、なんならメンバーにオニが混じっていたりする(オニシスター)。今作のテーマは「縁」。「ドンモモタロウ」に変身する「桃井タロウ」は、出会った人に「縁ができたな」と言い、自分のペースに巻き込んでいく豪快なキャラだ。そんな桃井タロウに振り回されながら、他メンバーは彼と絆を深めていく。

 戦隊随一のギャグテイストを持つ今作は、様々な謎要素を伏線として回収せず謎のまま残したり、珍妙な設定が結構複雑に絡んでいるのにあまり説明されないなど、物語の作り方としてはかなりトリッキーで高度なことをしているにも関わらず、最後には「まぁ色々変だけど、なんだかんだいい話だったなぁ」という情緒的な満足感をしっかりと感じられる作品だ。

 そして何より印象的なのが最終盤。桃井タロウはとある理由により記憶が徐々に消えていくことになる。今まで散々戦ってバカをやってきたドンブラザーズメンバーのことすら思い出せなくなってしまった後、タロウと今作の女性戦士「鬼頭はるか」は、ある日再び出会う。タロウはいつものように、あの日初めてはるかと出会った時と同じように、笑顔でこう言った。「縁ができたな」

 ドンブラザーズ最終回タイトル「えんができたな」。一度結ばれた縁は、たとえいつか思い出になっても、それは人生にとって大きな価値を持つものなのだろう。


 「王様戦隊キングオージャー」(2023-2024)。舞台は「チキュー」……と言う名前だが、我々の住んでいる地球とは違う異世界である。戦隊史上初のほぼ完全ファンタジー作品だ。キングオージャーのメンバーは全員がそれぞれチキューに点在する王国の国王で、強いリーダーシップを持つのが特徴。本格的な3DCGと、大河ドラマのような規模の大きく濃密なストーリーが魅力で、色んな意味で従来の戦隊らしさとは一線を画している。熱い展開が多く、新規層を多く取り込んだのも今作の功績の一つと言えよう。

 ここでも「異種族との共存」「立場の違う者同士が一致団結」といった要素が存在し、それらを「王様と民」という切り口で語っているのが特徴。また、我の強い王様たちが、互いを認め合い協調していき、だんだん「戦隊」が形作られていく過程も大きな魅力となっている。

 最終回タイトル「俺様たちが世界を支配する」は一見傲慢な物言いに見えるが、実際には世界を守る正義の心を持っている、いかにも王らしい切り口のセリフで終幕する。


 「爆上戦隊ブンブンジャー」(2024-2025)。トリッキーな戦隊が何年か続いた後、王道的な戦隊として登場した。車をモチーフとしており、フェイスデザインにはタイヤがでっかくくっついているという一見驚くような風貌。これはどんなヒーローにも言えることだが、奇抜な見た目でも、いざ動いている姿を見ればカッコよく見えてくるのがまた良さだ。

 作中一貫して使われるキーワードは「自分のハンドルは自分で握る」。まず、自分の人生という道を走るために、ハンドルをしっかりと握っていこう。その精神と車という要素を、これまた見事に絡めている。最終回タイトルは「君のハンドル」。まさにといった感じである。


 そしてついに現行作品である「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」(2025-現在)。今回はメンバーそれぞれが仲間でありライバルという関係性だ。この世界に散らばった「センタイリング」と呼ばれる指輪をすべて集めて、巨大ロボ「テガソード」に願いをなんでも一つ叶えてもらうため、指輪に選ばれた「ユニバース戦士」と戦いつつ、敵組織「ブライダン」とも戦っていくなかなか複雑な構成になっている。

 名前の通り、ユニバース戦士やゴジュウジャー、さらにはブライダンによって生み出された「ノーワン」と呼ばれる怪人まで、自分のフィールドでナンバーワンを目指すため戦っている。

 ある分野でナンバーワンになることは当然大変なことだが、個人的には、この作品はナンバーワンを目指す物語というより、自分がどの分野でナンバーワンなのかを探し出す物語なのではないかと思っている。作中、ノーワン達は自分の得意分野でゴジュウジャー達に勝負を仕掛けてくる。それはある意味では「自分らしく」の境地だが、戦うべき領域を見定める力を、彼らは持っている。そしてそれはゴジュウジャー達も例外ではない。彼らもまた、自分の得意を最大限に発揮して悪と戦っていく。こうした各自が「ナンバーワンになれる分野」を探求するプロセスは、多様性を前提とした現代社会における自己実現の模索と重なるところもあるだろう。


 ところで、「戦隊」には大きく分けて二つのパターンがある。最初から完成されたチームであるパターンと、出会いから始まったり、最初からグループとして集まってはいたけれど凸凹した仲から始まったりするパターンだ。近年は後者が多くなってきているような気がするが、私はキャラクターたちが人との関わり合いに苦労しながらチームワークを構築していく構成が大好きなので、非常にいい流れだと思って視聴している。

 逆に昭和の作品では前者のパターンが多く、まるで軍の特殊部隊のようなイメージが比較的強く打ち出されていたように感じる。それでもコミカルさとシリアスさのバランスは、初代「秘密戦隊ゴレンジャー」からすでに完成されていたと思う。


 さて、これまで挙げた戦隊すべてに通じるのは、それぞれが「自分らしさ」を見つけ出していく物語であることだ。自分が輝ける場所、自分が世界初になれる行動、縁で結ばれた自分だけの居場所、自分が支配できるような精神的な領域、自分らしくつっ走れる道、ナンバーワンになれるジャンル……。

 しかし、これらは決して自分一人だけで作り上げるものではない。人との関わりの中で、ある時から徐々に見つかっていくものなのではないだろうか。戦隊ヒーローたちが私たちに教えてくれるのは、多様な個性を持った人々が互いを認め合い、助け合い、時には衝突しながらも、共に歩んでいくことの素晴らしさである。

 こうした、モチーフを大きくて熱いメッセージへと昇華させている点は、スーパー戦隊の秀逸な伝え方だ。50年続く長寿シリーズが時代を超えて愛され続ける理由がここにある。私たちは一人ひとり違う個性を持っているからこそ、互いに補い合い、支え合い、そして共に輝くことができる。スーパー戦隊は、その「究極の多様性」を通じて、人生において最も尊いことを教えてくれているのだ。

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