星の怪物の妄言

柳上 晶

第1話

 一つの小さな部屋の中。ベッドや机と椅子といった最低限の家具と、天井まで届きそうな本棚にたくさんの本が収められた不思議な空間にあなたはいた。床にまで侵食した本は、見方を変えればただ散らかしているだけのようにも見える。

 外に出る扉すらないそこはまるで、その気がないということを教えるためのようでもあった。動こうとも動けないあなたは棚の中にある『物語の書き方』なるものを手に取り、徐に開く。開いたページには物語の設定の作り方と書かれており、それぞれどう作り、どう考えるかなど詳しく書かれている。ただ、あなたはなんとなく手に取っただけで興味はなく、本を閉じてすぐ元の場所に戻した。

「その本、どうだ?私はあまり興味をそそらなかったのだが」

 不意にかけられた声に肩を跳ねさせ、声がした後ろを向くが、どこにも声の主はいない。まさかと思い上を向くと、ふわりふわりと浮いている男とも女とも言えない者がそこにいた。

 服装は室内にいるとは思えないもので、手の先まで隠れるパーカーと身の丈ほどあるマフラーを着けており、フードからはみ出ている髪はあっちこっちへはねて顔の半分以上が隠れている。

「初めまして。私のことは気軽にアルとでも呼んでくれ」

 ふわりと地面に降りてきて、あなたに話しかける。地面に足をつけているはずなのに、マフラーだけは重力に逆らいゆらゆらと動いているのが気味が悪く感じる。飛んでいた時はわからなかったが、あなたより身長が低く子供のようだった。

「君の名前は?」

「……なんでも」

「じゃあ男でいい?」

 無邪気に首を傾げるアルのあまりの無神経さにため息も出ず、冷ややかな目でアルを見るあなたは、数回の瞬きの末にまた口を開ける。こういった輩は、適当にあしらうのが吉だと判断したのだ。

「九楽……」

「ああ、九楽ね、わかった覚えとく」

 アルは少し戸惑いながら顔を背け、地面に積まれた本の隙間を縫って椅子を持ち出す。それをあなたに差し出し、座るように促す。そうして机から一冊の本とペンを取り出して自身はベッドに座った。

 本を開き何かしら書きながらアルは平然として会話を広げる。

「ここは本がたくさんあって退屈にならないだろう?君がどこらかきたかは知らないが、好きなように過ごしてくれ。ただ、私の話にも付き合って欲しい。あまり人が来なくて新鮮だからな」

「まあ、それくらいなら」

 あなたがそう言うと、本に向いていたアルの顔が上を向き、唯一見える口が嬉しそうに開いて、そこから怪物のようなギザギザの歯が見えた。そんな人の肉ぐらい簡単に噛みちぎれそうな歯を見せながら本を閉じて適当にその場に置く。

 前のめりになるアルに恐怖を覚え、少しでも離れようと体を後ろに倒すあなた。そんなことも関係なしに、洪水が起きたように話し始める。

「いやはや、それはとても嬉しい。感謝しなくては!ここで過ごしていくうちに生まれる疑問などを1人で永遠に考え続けるなど一向に前に進まなければ一瞬で答えを作り出してしまうから共に考え私の意見を聞いてくれる人が欲しかったんだ!私の疑問も晴れるし新しい意見を聞くこともできる!さてまずは人が生きることについてなのだが、人が生きるのはなぜか?というものよりなぜ死ぬのかという方に着眼点を持ちなぜ老いるのかなぜ死ぬように体が作られているのかという方向へ行き、例えば聖書に基づいた考えでいけば人を作ったのは神であり神をかたどって人を作ったのだよまぁその後土の塵から作っただの書いてあるが今は置いておいてそう神が自身をかたどって作ったはずなのに死ぬように作っているなんておかしくないかならば神にも死という概念があったってことだろ?でも見る限り死ぬことはないし寿命もなさそうだから外的要因で死ぬことなら可能なのでは!?神と実際に出会ったことがないから殺すことができないでも死の概念は持っている生きてる場所が違うんだから何によって死ぬかも違うだろいや待て脱線し始めたな?つまりはまぁ別次元では大丈夫な事柄がここでは合わなくて簡単に死ぬことができるじゃあ神がこの世界に現れたら殺すことも可能なのでは!?素晴らしい!」

 1人で一生話し続けるアルはもはや止まらず、会話というより一方的に語り続ける変人だ。段々と雑音のように聞こえる声にあなたは苛立ちを隠せなくなっていく。

 ガタンと音を鳴らして椅子から立ち上がり、アルに近づいていく。足元に積み上げられた本を時に倒し、踏みつけて、目の前に立つ。あなたが持っているのは殺意であった。

 あなたに見下ろされるアルは興奮した様子で、あなたの返答を待っている。

「おや、意見かな?遠慮なくしてくれ!」

 ワクワクといった様子のアルに向けてあなたは手を伸ばし、その細い首を両手で掴む。

「あ、え?」

「うるさいんだよお前……!」

「は――」

 首を絞める力を入れ、そのままの勢いで押し倒す。ベッドに横倒しのような形になり、抵抗するように手が添えられる。袖で隠れた手は見た目とは裏腹にかなり大きく、簡単に腕が折られそうな恐怖が芽生え、さらに力を込める。

「あ゙、ゔぁ゙…………ぅ」

 アルが苦しそうに呻き声を上げる。そこから大した時間もかけず、開閉させている口が開いたまま止まり、腕がパタリと倒れ動かなくなる。大した抵抗も何もなく、あっさりと死を選んだのだ。

 手を離せば、くっきりと首を絞めた痕が残っており、不健康で真っ白な肌に残る赤黒い痕があなたの視界に映る。それを見て気分が悪くなり、目線を逸らそうとしてアルの顔を見る。グッタリとして動かなくなったことをいいことに、殺人からも目を逸らしてボサボサの前髪をかき分ける。

 今の状態なら見えなかった目が見えるのではないかという考えに基づき行動に移す。しかし、前髪をのけて出てきたものは予想したものではなく、見たこともないものだった。目元を覆い隠すようにできた闇が広がり、今すぐにでも瓦解しそうな雰囲気を醸し出している。まるで深淵を覗き込んだような感覚。

「――――何してんだよ」

 体の中心あたりをありえない力で横殴りにされ、部屋の壁に叩きつけられる。

「ガハッ、う、は?」

 どさどさと本が雪崩れのように落ち、吹き飛ばされた方向を見ると、先ほどまで動きのなかったアルが起き上がり不満げな表情をしている。

「私を押し倒すだなんて、君は見境がないのか?それとも、急に発情したのか?」

 ふわりと宙を浮かび、本を踏まないように降りてくる。

「君がここにきた意味はわかったが、まさか殺人鬼だなんてな」

「なんで、生きて」

 あなたがそう言うと、アルはキョトンとしてから嘲るように笑った。

「馬鹿だな。いや、説明不足だったな。すまんな、昔から説明不足というか、大切なことをはっきり言わないことを指摘されたりしたんだが」

 そう言って空中で何かを摘む動作をして引っ張ると、何もないところから肩掛けカバンを取り出して何かを取り出そうとする。そこから出たのは一本のナイフだ。

「私はどうやら死なないらしくてね。試しにもう一度殺してみないか?」

 あるからナイフを渡され、まだ痕の残る首元に突き立てるように動かす。

 殺しきれていなかっただけで、ナイフを刺して仕舞えば本当に死ぬのではないかという考えが頭をよぎり、途端に手が震えだす。先ほど一瞬の躊躇もなくアルを殺した人物とは思えないほど怯える姿に、アルは少し首を傾げた後、パッと顔を明るくさせてあなたと距離を取った。そこらで浮かされているカバンを肩にかけ、両手を広げる。

「いやはや、距離の詰めかたをミスったな。ここはお互い、隠し事なしで自己紹介をしようか」


「私はアル。私はアルという者だ。死んでも死なないし生き返る体を持っているが自分でもよくわかってない!好きなものは本、嫌いなものは私より知能の低いやつだ!ただ、私は人を覚えるのが苦手でな、先ほどの日記に名前などを書いて忘れないようにしているんだ。あと、これも見せておこう」

 徐にフードに手をかけ外すと、手入れがあまりされていないボサボサの髪だけでなく、見たこともない木のようなツノがあなたに対して右側にだけ生えていた。反対側には根元あたりで折られたツノがあり、髪に埋もれそうなほど短くなっている。

 後ろ髪に腕を入れフードの中に詰め込まれていた長い三つ編みを自由にさせる。

 とうとう言い逃れができない現象を見せつけられ、あなたは息を呑む。だが、そんな怯えるあなたとは裏腹に、アルは楽しそうに話し続ける。

「ジャジャーン。いいだろう?特徴としては完璧だ!わかりやすくていい。このツノなど類をみないだろう」

「片方は、折れてるのか?」

「いい質問だな!君の前に来たやつに折られたんだ」

 人外であることを隠さず、むしろ嬉々として見せてくる。折られたということ、そしてそのままの状態で放置されていることから、ツノは再生しないしないということでもある。それがわかり、アルの体はなんでも再生するわけではないという結論に至る。それともう一つあなたは気付く。自分の他にも人は来ており、アルに対し平然と暴力を行使できるやつだと。

「ここにくる奴は大体頭のおかしいやつでな。大半の奴が私を殺してきたよ。君もその1人だ」

 アルが胸に手を当て、顔を上げる。そこから覗く首元にはあったはずの痕が消え去り、真っ白な肌に戻っていた。

 送り込まれた情報を必死に飲み込もうとするあなたにアルが近づき、下から覗き込んでくる。その姿は、子供でありながら真逆の要素を含んでおり、チグハグな雰囲気を醸し出す。

「さて、質問は後にして、君のことも教えてもらおうか」


「……俺の名前は九楽。両親を殺して山に埋めた後、家のベッドで寝て起きたらここに居た。好きなものも嫌いなものもないけど。強いて言うならお前のことは気に食わん」

「酷いな」

 適当に放り投げられていた本とペンをまた持ち、アルはそこにいろいろ書き始める。あなたの自己紹介を聞いて付け加えられた情報を書いているのだろうか。先ほどされた自己紹介の中に人を覚えるのが苦手と言っていたのでそれだろう。

 書かないと覚えられないなど、どれだけ人に興味がないのかとあなたは考えながら、自己紹介を続ける。その手にはアルに渡されたままのナイフがあり、落ち着きがないようにいじっている。

「落ち着いたやつかと思ったら、ただのうるさいやつだったから前言撤回する。お前の話は聞かない。静かにしていろ」

「嘘だろ!自分の発言に責任を持て!君が聞かなくても私は喋り続けるぞ」

「だから……!それをやめろと言っているんだ!」

 あなたは手に握られたままのナイフを振り上げ、ちょうどアルの体の真ん中あたりに突き刺そうとする。間一髪のところで腕を前に出され止められたが、刺さった箇所から黒い液体が垂れ始める。血が流れると思っていたあなたは思いもよらない展開に身じろぎする。

「そうか、勢いに任せれば人を殺せるタイプかな」

 ナイフを抜き袖で汚れを落とすと、カバンからナイフケースを取り出しナイフを収め、あなたに渡す。

「しばらくは静かにしとくよ。それは渡しとくから、やりたいようにしてくれ。ただ、本は傷つけるなよ。読むのはいいから」

 ナイフの刺さった箇所を撫でると、服についた黒いシミが消え、元から何もなかったかのように戻る。そうして振り向き背を向けると、天井近くまで浮き上がり本棚から一冊本を取り出し読み始めた。

 あなたはそれを見たのち、近くに落ちていた本を適当に取り読み始めた。

 そこからしばらくの間、静寂が訪れた。





「あの、あ、やべ」

 しばらくの静寂が破られた原因となったアルの言葉。仕方なくそちらを見れば、袖で口元を押さえてあなたを見た後、なんでもないとでも言うように手を振って顔を逸らした。

 あなたは仕方なく読んでいた本を閉じ、アルを見る。袖で口元を隠したまま独り言を呟いているようであり、声の音量を抑えようとしているようだ。

「……なんだ、何か?」

「いや、なんでもない。気にしないでくれ」

 そう言ってアルは顔を背けたまま本を棚に戻し、別の本棚から本を取り出してまた読み始めた。その態度が気に障り、本を置いて立ち上がり上を見る。手の届かないところまで浮かび上がり本を読んでいるアルにはどうやっても触ることができない。

「おい、言いたいことがあるなら言え」

「いやでも、私の話は聞かないと言っていただろう。それと、静かにしろとも」

「俺が許可してるんだからいい」

 その言葉を聞いた瞬間、驚くほどの速さで降りてきて一冊の本を片手に持った状態で興奮していた。あなたはそんなアルを見て反射的に口を塞ごうとした。

「この本で、うぶ」

 片手で口を塞ぎ、先ほどあったアルの暴走が起こる前に喋れないようにする。少しの間モゴモゴと口を動かしていたが、意味がないとわかると、まるで抗議するかのように顔をあなたに向ける。

 顔の半分が闇に覆われ、どこを見ているのかわからない顔に若干の恐怖を抱き、口を塞いでいた手を離す。

「長話には付き合ってられないから、簡潔に話せ」

「ふむ、了解した」

 さて、と前置きをしてアルは話し始める。

「先ほど話した内容を覚えているかな?私は生と死について考えるのが好きなのだが、それは生物に対して言えるものだ。ならば、その生物の定義とは何か?植物は入るのか?その場合、どういった場合になれば死んだと定義できるのだろうか」

「植物は意識がないだろ」

「そうだね、だが植物は呼吸をしているんだよ。それは生物の特権とも言えるだろう?とすると植物が死ぬ条件は何かな?人間と違って致命的な場所ではない限りいくらでも生えてくるからな」

「ならその致命的な場所を傷つければいいだろ」

「ふむ、そうだな……」

 また考え事をし始めるアルは、宙を歩くようにして壁の方まで進む。その先にある唯一本棚のない壁の前に立つ。手の先まで完全に隠れていた袖の中、形を変えるように蠢いた影の中から現れた黒い手を壁に当ててあなたの方に向き直る。

「実際に試してみようか」

 何を言っているのかと不審な目でアルを見ていると、手を当てていた壁の形が変わり、一つの素朴な扉が現れる。元からそうであったかのように存在する扉をアルが開けると、シンプルであり、何もない平原が広がった景色が現れる。

 あまりのことに目を見開いたまま動かないあなたの元にアルは近づき、手を取る。

「――――ッ」

 あまりの事に驚き、触れられた手を振り払う。そうすると、アルは驚いたように口を開け、考えるような仕草を少しする。

「驚かせてすまない。もう少し人間に近いほうが良かったかな?触るだけなら大して害はないのだが」

 そういうことではないと言いたげなあなたには目もくれず、アルは自分の手元を見下ろす。あなたは、アルが何をしているのかと考えていると、途端に闇のようだったアルの指先が人と同じような肌色に変わり、それが全体に広がる。そしてその手で目元を隠すと、広がっていた闇が収まり、完全に人の顔になる。ただ、その目は閉じたままではあるが。

 そこまでやって満足げな顔をしてもう一度、次はあなたに向けて手を出すだけで止まった。

「これなら大丈夫だろうか?」

「……そういうことじゃないが、どうなっているんだ」

「ふむ……ただ、人間の真似をしているだけさ。目だけは許してくれ。前に、どこを見ているのか分からないと言われたのでな」

 あなたは差し出された手を見てため息をつき、その手を無視して扉の先に向かう。あなたの後ろから「ひどいな、疲れるんだぞ」というアルの声がしたが、それも無視して進む。

 見事なまでに何もない平原ではあるが、おかしなこともある。果てが見えないのも、空が若干おかしな色をしているのも、申し訳程度の芝生も、何もかもおかしいが、それよりもおかしい、一歩足を踏み入れた時に感じた違和感。地面の感触。

「おい」

「うん?何かな?」

 あなたが後ろを振り返ると、案の定いたアルに話しかける。

「ここは外なのか?」

「いいや、違う。簡単に言えば、私の想像の中というものだな。すまない。外に出たことなどないから分からないことばかりなんだ。なんなら教えてくれないか?空の色は?地面の感触は?鼻腔をくすぐる香りはするのかな?植物はどのように生えているのだろうか?」

「それは……」

 そこまで言って、あなたは言葉に詰まる。そんな当たり前のことなど考えたことも、表現の仕方も、意識さえしてこなかったからだ。あなたにとって当たり前のことは、アルにとっては全て知らないものなのだ。

 アルは生まれてこの方あの部屋から出たことなどなく、たまに現れる人との関わりで情報を得ている。それゆえ、実際どうなっているのかなど知らないのだ。

 考え込み、地面を見るあなた。芝生の作りも甘く、緑色の薄い何かが地面から生えているような状態だ。

「さて、質問の続きといこう」

 その言葉を聞き顔を上げると、アルの背後にいつの間にか現れた木が存在感を放っていた。

「植物の中でも、木は1番生命力が強いと言ってもいいだろう。なぜなら切り倒しても残った切り株からまた枝を生やし葉をつけるからな。ならば、どうすれば死んだと言える?根まで掘り出し地面の上に出したらか?私としては地面の中に体の一部があるという状態では不死身とも言える気がするのだ根まで除去しないと新しく生えてくるともいうしな」

 また始まったかとうんざりした気持ちになりかけたあなたは、その場に座る。硬い地面の感触であり、土などが服に着きそうにもない。

 あなたのその行動を見たアルは、同じように地面に座り正座をしてぽんぽんと膝を叩く。

「膝枕でもしてやろうか」

「…………」

 やることなす事がとことんずれていることに、もう考えるのも面倒になり、無視してそのまま地面に仰向けに転がる。空は雲ひとつなく、太陽すら存在しない状態だ。

 黙り込んだアルをいいことに、あなたは自分が無意識のうちに遠ざけていたことを考え始める。

 時間も何も分からないこの空間は、どうすれば出られるのか。そもそもここに時間の概念はあるのか。ここに来てからかなりの時間はたっているが、空腹になりそうな心配はない。家に帰ることができるのか。

「おい、この部屋について教えろ」

「うん?それはなんでもいいのかな」

「いいから、わかることを全部だ」

 アルは正座だった足を崩し、体育座りのような形に変える。話す体制に入ったアルは、珍しく少しずつ考えながら話し始めた。


 ここは一つの部屋であり、どこにでも行けるがどこにも行けない場所。自分の知っている、また見たことある場所に行くこともできるが、部屋から出られないアルはどこに行こうとも作り物で、本当の外に出ることはできない。部屋にあった本はいつの間にか増えているもので、大体は人が来た時に数冊増える。一部は元からあったものだ。部屋の時間は止まっているらしく、空腹になることもなければ睡眠の必要もない。地球とは別次元なのか、地球では当たり前の概念がないこともある。


「人が来る間隔とかは?」

「ふむ、間隔はバラバラだが、大体1ヶ月ほどで消える……まあ、帰っているというのが妥当だろう」

「なら今、俺が来てからどれくらいたっている?」

「……まぁ、1週間経ってるかどうかってとこだろうな」

 その答えに、あなたはため息をつく。朝も夜も無く、時間がわからないこの状況。1日過ぎるのだけでも途方のない時間のように感じるのだ。

 あなたは立ち上がり、癖で地面についていた部分を払う動作をするが、特に何も無く、服の皺を伸ばすだけで終わり歩き出そうとする。そんなあなたの背中に向けてアルは話を続ける。

「時に、君は帰りたいと思っているのか?」

「――――は?」

 振り向けば、特に変わらない様子であなたを見ているアルが、首を傾げる動作をする。

「強く願えば、部屋は答えてくれる。元の場所に帰りたいと強く願っているのなら、そこに通じる扉が開かれるはずだ。そうすれば、今すぐにでも帰れるのだが――――」

 アルを見下ろす形で立っているあなたは、お守りのように肌身離さず持っていたナイフを取り出して、睨んだ。

「君は本当は、帰りたくないんじゃないか?」

「――――ッ違う!」

 アルを押し倒すようにしてナイフを刺す。肩あたりに刺さったナイフを引き抜けば、血液の代わりに黒い液体を散らし、流れ出す。その勢いのまま振り下ろせば、喉元に刺さり、痙攣をして動きが止まる。数回刺し続け、首が胴体と別れそうになり、もう一度刺そうと振り上げた腕は、下ろされることなく掴まれた。ハッとすると、口からゴボゴボと黒い液体を流したアルが何かを喋ろうと口を開閉させ、逆再生をしたかのように体内に戻っていく黒い液体がなくなりかけてからやっと声が発された。

「首だけはよしてくれ。死にたくはないだろう」

「――どういう、事だ」

「私も詳しくは知らないが、以前胴体を泣き別れにしてきた奴が精神を崩壊させた後自殺をしたからな。何かしらのことがあったのだろう」

 以前変わりなく平然とした態度のアルにモヤモヤとした気持ちになり、訳もわからず苛立つ。そんなあなたを見てかはわからないが、不思議そんな顔をする。

「やはり思ったが、勢いだけでなく冷静さを保った状態で相手を殺せる方が――――」

「部屋に戻る」

 アルの言葉を遮るように咄嗟に口に出す。そう言えば、やれやれと言った雰囲気でアルがパッと手を振り扉を出す。扉を開ければ、もはや見慣れてしまった、本だらけの部屋があなたを受け入れる。

 床に置いてある本を蹴散らすように歩く。

「ああ、そうだ。言うのを忘れていたが、そこのベッドは好きに使ってもいいぞ。肉体の時間も止まっているにしろ、休息は大事だからな」

 あなたが少し後ろを見れば、散らされた本を拾い、丁寧に整えているアルがいた。ただ、整えている先は地面ではあるが。

 あなたはアルを一瞥した後、ベッドに寝転がり、目を瞑る。ここの部屋に来てから理解の及ばないことが度重なり、精神的疲労が溜まっていたのだろう。

(願いに答えてくれるなら、こんなことにはならないはずだ)

 目を閉じたあなたは考えを整理する間もなく夢の世界へ向かった。





 夢。

 不思議な夢を見た。夢だと思えないようにリアルな夢だ。そこは、今いる部屋であり、少し違うものだった。

 本の数は少なく、床に散らばるほどはない。それでも本棚一つを埋めれるほどではあるが。そして、決定的な違いが一つ。

 アルともう1人別の人が部屋の中にいるのだ。それも、何やら楽しそうに話をしている。

母様ははさま!起きたのか」

 地面に座っていた一つ括りの人が身じろぎをして、顔を上げる。目元には目隠しをするように布が巻かれており、謎に和服を着ている。母様と呼ばれているその人に、アルはほとんど一方的に話しかけている。

 

「母様以外の人は来たりしないのか?」

 

「人間は簡単に死ぬな。……何、簡単に殺してはいけない?そう言うものなのか」

 

「どうしたんだ?いつにも増して暗い顔をしている。何かあったのか」

 

「定期的に動かないのはなぜだ?ずっと起きていて欲しいのだが。人間は寝ないといけないのか。まったく、不便なものだな」

 

 楽しげに話すアルは、今よりもだいぶ生き生きとしており、なんと言うべきか。ただ一つ言えることは、随分と幸せそうだと感じる。

 あなたはそれを俯瞰しているだけで、何もできないし動けない。2人が談笑している光景をただただ見守っているだけだ。

 ポツポツと喋る和服の人は、それでも気分が良さそうだった。


「――――アル。君は私のことを忘れる。それでも、その他の知識だけは忘れないように」





 ゆっくりと目を開ける。閉じる前と変わらない景色が広がり、少し胸を撫で下ろす。上半身を起こし周囲を見渡しても、夢で見た人はどこにもいない。それにしてはただの夢で終わらせれるものではないように思った。

 ふと、アルの姿も見えないことに気づき、急いで起き上がる。

 1人でこの部屋に残されるなどたまったものではない。

 急いで探そうとしたが、その気持ちは杞憂に終わり、部屋の角の方で本棚に埋まりながら寝ているアルを見つけた。

 寝息の一つも立てず、身動きのしないアルの姿はそれこそ死んでいるように見え、近づいて顔を見る。呼吸もしておらず、当然のように動かない。

 ふと、あなたはアルの首に手を当てる。脈すらなく、やや硬い肌を触り、かつてこの首を絞めたのだと思い出す。まるで人形のようだと思いながら触り、目元の闇に触ろうとすると、意志を持っているかのように闇が指に絡みつこうとする。

「お前は寝込みを襲うのが趣味か」

 ばっと手を離し、なんでもないと言うように目を逸らす。

「……逆にお前は、寝起きは口が悪いな…………」

「何だと?そうか……」

 静寂が訪れ、若干の気まずい雰囲気が流れ出す。アルはまた考え込む姿をとり、あなたはアルに振る話題がなくただアルを見つめるだけだ。

 気まずい雰囲気が耐えられず離れて本を読もうとしたあなたは、ふと先ほど見た夢を思い出した。アルが母様と呼び慕っていたあの人。アルは知っているのだろうか。

「なあ、お前は親とかいるのか?」

「ふむ?生まれてこのかた見たことはないな?」

「――なら、母と慕った人などは?」

「そう言うのも、今まで来たことはないな?どうしたんだ急に」

 今度は逆にあなたが考え込み始める。夢にしてはやけにリアルであり、姿も見たことがない人など夢に出るはずがない。それに、あのように話すアルもまた、見たことがないのだ。

「思ったのだが、私が話してばかりで、質問も君ばかりだな?私も君のことを聞きたいのだが、話してくれないのか?両親の話など気になるのだが」

 両親という単語を聞き、かつていた両親を思い出す。

 立派ではなかったが、人前に出しても恥ずかしくない人たちではあった。ただ、それが表面だけを見て判断したものだと気づくまでは、本当にいい両親だったと思う。

「聞きたいのか」

「ああ、非常に気になる!今まで親について話せる奴などいなかったからな!楽しみだ」

「話すとは言ってないが……まぁいい」

 そうしてあなたは、この部屋に来る前の忌々しい記憶を呼び覚ました。


 子供の頃の九楽は、よく癇癪を起こす子供だったとよく親が言っていた。そんな時代もあったはずだが、今の九楽は自分の意見を表に出さない落ち着いた大人になった。初めての社会に困惑しながらも頑張っていた。

 そんなある日、親が九楽を呼び出して話し始めた。焦りのような、なんらかのものに追われているような感覚をしていた。話の内容は金のことであり、借金をしてしまったため支払いを共にして欲しいというものだった。そこまでの余裕はないと反論しても、怒鳴り、言葉に耳を傾けてもくれない。最終的には、『産んでやって、育ててやったんだから、大人になって貢献するものだ』という主張をしてきた。そこから父親と殴り合いの大喧嘩に発展したのだが、そこまでで止まらず殴り殺し、残った母親の首を絞め殺した。

 そこから先はあまり覚えておらず、死体を運んでへとへとになり、ベッドに寝転がった。そうして起きたらこの部屋にいたのだ。


「へーえ。なるほど、面白いな」

「笑い事ではないだろ。それと、俺にとっては面白くない」

「いやすまない。人の人生だとは頭でわかっているのだが、実感がなくてな」

 アルはいつの間にか手に持ったペンで本に書き記す。あなたの話したことを書いているのだろうが、そんな大層なことでもないため恥ずかしさが勝つ。大したことでもなく、ただの大人の癇癪で起こしてしまった事件だ。

「親がいるのといないのでは、成長にかなりの違いがあるらしいからな。いただけマシだと考えた方がいい」

「こんな人殺しを産んで育てたやつでもか」

「人殺しを育てる才能はあったのだろう?」

 嬉々としてペンを動かしていたアルの手が止まり、つまらなそうな顔をする。

「私にも、母はいたのだろうか」

 その問いに、あなたは何も答えられなかった。夢の中で最後に聞いた言葉。それが本当であったとして、本当にアルに親がいたという証拠にはならない。

 アルが、持っていた本をグシャリと握り、綺麗に揃えられていた紙束が見るも無惨な姿になる。表紙さえもグシャリと歪んだ本を、アルは手で元の形になるように平らに広げ、適当なところに置く。

「ま、考えても仕方がないよな」

 まるで諦めたような顔をするアルにあなたは何も言えず、置かれた本を見る。

「……見てもいいか?」

「?ああ、いいとも。特に君が気になることは書いてないと思うが」

 あなたは本を拾い、読み始める。

 捲りづらくなった本に書いてあることは、今まで会ってきた人の名前や、性格、性別。部屋に来る前の状況。そして、自身に加えた危害と殺し方。

 何のために書いているのか、意味があるのかはわからない。ただ、忘れないためだと。


(何の必要があるんだこんなの)



 九楽。外見20代男性。髪は重め。

 両親を殺害し山に埋めた後に来た。←どうやって運んだかは不明。怒りに任せて行動に移るタイプ。初めも勢いに任せたものだった。

 被害

 首絞め。刺突。

 私は寝起きが悪いらしい。口が悪くなるので注意が必要。彼は唯一話を聞いてくれ、かつ質問をしてくれる貴重な人間だ。大切にもてなそう。






 それからというもの、アルとあなたの関係は深まったようで浅いままだ。

 くだらない話をアルがあなたに語り、適当にあしらいながら話を聞く。それは、無意識ながらもあなたに安寧をもたらし、時間の感覚もわからなくなるものだった。

 この時間が永遠に続くものだと、あなたはその時思っていた。







 何日かたったある日、アルがふと思い出したかのように話し出した。

「もうそろそろ、1ヶ月になるはずだが、やり残したことなどはないか」

 いつものように本棚から本を取り出し、届かない場所にあった本をアルに頼んで取ってもらった時に、思いもよらないことを平然と言われる。渡された本を持ったままあなたは固まる。

 アルはあなたの目の前で手を振り、反応を確かめている。

「どうした、驚いたのか?無理もない。なに、心配するな。そんなすぐではないから落ち着いて――――」

「ま、待て」

 あなたはアルの服の袖を握る。

「どうした?何か不安があるのか?体験はしていないが特に何もないはずだ。目を閉じればいつの間にか元の場所に戻っているはず…………確証はないが、問題はないはずだから――――」

「嫌だ…………」

「うん?」

 アルは不思議そうに首を傾げる動作をする。少し共に過ごしただけではあるが、それがただ動作を真似しているということを理解している。それがわかるほどにはあなたはアルのことがいて当たり前の存在になりかけていた。

 まるで子供のようだと思いながら、それでもやめられず袖をさらに握りしめる。

「帰りたくない……!」

 元いた家やそれを取り巻く環境を思い出し、身震いをする。この部屋とはかけ離れた、醜い現実。理解はしても、それを意識の中から遠ざけることしかできなかったのだ。

 この部屋が、あなたにとって望んだものそのものだったのだ。

 アルは空いている手を口元に当て、考える。

「そう言われても、仕方のないことだ。私の意思ではなく、部屋は部屋の考えを持って動いているからな。そうだな…………」

 アルは掴まれている袖を引っ張り、あなたをベッドの方へと誘導する。そうしてベッドに座り、少し前に見たように膝をぽんぽんと叩いた。

「膝枕でもしてやろうか?」

「…………」

 あなたはふらりと近づき、アルの隣に座ったかと思うと、そのまま横になり、アルの膝に頭を乗せる。冗談で言ったと思われる言葉を本気にして、行動に移した。

 珍しく驚いた顔をするアルに、してやったりと内心でほくそ笑む。

「君は、子供のようだな?また怒られると思ったのだが」

「怒られると思ってやるとか、お前は大概おかしいな」

 心を落ち着かせようと目を閉じる。

 ここにきた始めの頃は、散々アルに不躾な態度で接してしまったと反省する。ただ、そうなってもおかしくないほどアルも変なやつではあった。何度か殺してしまったこともあり、だんだんと不安な気持ちになる。もしアルが自分を見離そうとしていたらと考えてしまい、目を開ける。

 視界の中には、変わらずアルがあなたの顔を見ていた。

「ごめん。今まで」

「ふむ?それは何に対しての謝罪かな?」

「何度か殺しただろ。それに対してだよ。ごめん」

 目元が闇に覆われた顔は、表情の変化がわかりづらいが、今はきっと驚いているのだろうと考える。アルは、驚いたら固まるのだ。

 少しだけ間を空け、アルは、ははと軽く笑う。

「その程度か!別に何とも思っていないさ。何せ、私は死なないのだからな!むしろいくらでも殺してもらっても構わないくらいだ」

「冗談だろ……」

「冗談じゃないさ」

 アルの怪物のように大きく黒い手が、あなたの目元を覆う。程よい重さがのしかかり、視界が闇に覆われ眠気が襲いかかってくる。

「最低でも、今までの中で1番過ごしていて楽しかったさ。共にいたいぐらいだ」

 その言葉で、あなたの心は自身で驚くぐらい満たされた。不思議なくらいだ。

 それに言葉を返そうとするが、体から力が抜けていき、言葉を発することができなくなっていく。まだ、この場に居たいと願いながら、言葉を絞り出す。

 口を動かし、喉を震わせ、何とかして伝えようとする。しかし、それを届かすことはできなかった。


「――――アル」


 あなたは、意識が闇に落ちていく中、名前を読んでやったことがないことに気づき、後悔をする。

 意識だけの中、何度もアルの名前を繰り返す。願うように、頼むように。名も存在も知らない、何者でもない誰かに願う。何度も何度も何度も…………




 そうして、目を覚ます。

 質素で、どこか懐かしい部屋は、今までいた部屋ではなく、かつてあなたの住んでいた家の中である。部屋を出てリビングを見るが、人気はなく、人が住んでいる様子が全くない。だが、埃の類は少しも積もっておらず、大した時間は立っていないことがわかる。

 あなたはその場に座り込み、涙を流す。静寂の中、1人の泣きじゃくる声だけが部屋に響いた。もうあの部屋には戻れないのだと、本能で理解したのだ。

 何度も思い出し、繰り返し呼びかけられた記憶を呼び起こし、顔を上げる。窓の外には見慣れた景色が広がっており、外が存在していることに少しの感動を覚え、窓を開ける。

 少し肌寒く、優しい風が頬を撫でる。やや乾燥しているせいか、肌がさすように痛く感じる。空には星が散りばめられて、大きな一つの目のように満月が存在感を放っている。

 こんな、当たり前とも言えることも、アルは感じることができないのだと考えながら、外を眺める。その顔は、何かを映すことなく、ただ外の向こう側を見つめ続けた。

 そうして、いつかくる朝を待ち続けた。





「ふむ、帰ったか」

 部屋の中、一人残されたアルは一つつぶやく。久しぶりにここまで仲良くなったと気分をよくしながら本とペンを取り出す。

 九楽のページは、他の人よりも数ページ多く使っており、詳細なことが書かれている。

「さて、次はどのような人が来るのだろうか。楽しみだな」

 九楽のページに、一言書き加える。次に来る人とは、どれほど仲良くなれるのだろうかと考えながら、見たことのない本を手に取る。その本の背表紙に、『恋物語』と書かれている。

 それに対し、ふふと笑みをこぼし表紙を撫でる。

 そこには、アルにとって今まで通りの静寂の日常が繰り返されていく、つまらない日々がまた始まっていた。しかし、アルは今までより寂しくはなかった。

 楽しかった記憶があれば、次に期待ができるのだ。なぜならアルは、いつまでも生きることができるのだから。機会さえばまた会えると信じている。

 アルは、本をめくった。

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星の怪物の妄言 柳上 晶 @kamiyanagi177

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