第10話 十日ほどかけて地下一階の魔法陣を解析した
十日ほどかけて地下一階の魔法陣を解析した。かなり難解で緻密なものだった。とても楽しかった。謎を解き、仕組みを明らかにしていくのは気持ちが良い。
魔法陣はそこに設置された場所にある魔力を使う。その呪文や紋様が残っている間ずっと効力を発揮出来る。それはつまり、たとえば地面に描いたものであれば砂でかき乱すことで、あるいは紙に書いたものであれば上からインクを垂らして汚すことで簡単に無効化できる一方で、金属や石に深く刻み込めば半永久的に有効であるということだ。
この聖墳墓の魔法陣はまさにその深く刻み込まれた部類のもので、物理的に魔法陣を消去するのは難しい。
こういう時の対処法はひとつだけ。その魔法陣の効果を相殺する魔法をぶつけてやれば良い。強固な魔法陣ほど必要な魔力は大きくなるが、そういう時は全部ではなく部分的に無効化すれば良い。一部無効化なら必要な魔力も相対的に小さくなるからだ。
隠蔽する魔法を相殺するということは暴露する魔法を使うということ。言葉にするとどうにも妙な感じがする。実際には魔法陣に書かれた呪文や紋様をひとつずつ対応させる形だ。抽象的に意味を反転させるようなものではなくて、1+2=3という結果に対して3-2=1で戻すような作業である。
よく知られた呪文ならそれを解除する呪文も当然にある。今回取り組んだ魔法陣は、初めて見る術式ではあったものの、分解していけばよく知られた呪文に行き着いた。古い魔法陣だからか、脆弱なために現代は使われてない呪文も多かったし、回りくどいだけの非効率的な紋様も少なくなかった。つまり、術式さえ紐解けば案外、解呪は簡単だった。この魔法陣を構築したのは優秀な魔法使いだったことは間違いないけれども、千年以上も経てば技術は進歩するのである。
一番凄いのは千年以上も文字や線が消えないように魔法陣を聖墳墓に刻み込んだ職人かもしれない。
魔法陣対策も整えたところで私たちは地下三階水道を目指して聖墳墓に潜った。地下一階は十日かけて充分調べたので素通りして、今度は地下二階だ。
地下二階は祭祀場となっている。地下に設けられたのは迫害を避けるためと言われている。オルデア教団が生まれたのは人魔大戦前後の頃で、当時は新興カルト宗教団体扱い。帝国からの弾圧もあったらしい。私にとっては外国の歴史なので詳しくは知らないのだけど。
真ん中に立てられているのは聖母像だろうか。作成した人の癖が強く感じられる。本来は身体のラインを隠すはずのローブが、肌に密着していて、なまめかしい姿となっている。なんならちょっと透け感まであって、これは聖母像じゃなくてこれは性母像なんじゃないかと思う。オルデア教団迫害の理由の一端ではないかと邪推してしまう。
そんな聖母像にまたもやグレイトホラスパイダーがいて、糸を巻き付けて絡み合っている。
『薄い本が書けそうだな』
『兄様はなにを言っているの?』
「うーん……これはえっち」
私たち兄妹がこそこそ話している一方でアエラスが直截的な感想を口にする。
「オルデア教団ってわりと解放的な宗教だよな」
「神様は産めよ増やせよ地に満ちよとおっしゃいました。それは人のあまねく欲求を是認することでもあります。寛大である神様は、それが人の道を外すものであっても受け入れますが、同時に報いも与えます。結果的にはすべての人々を救済してくださいます」
「なんかよく分からんが、都合の良い神様だってことはわかる」
セレファインは苦笑した。
「不都合で不条理な世界の中で、何か一つくらい都合の良いものがあったって良いでしょう?」
「そういう考えもあるのか」
アエラスが感心している。私もなーほーねと思った。
「でもセレファインは禁欲的だよね?」
「メルさんは僧侶をなんだと思ってるんですか……」
「なまぐさ」
私は即答した。
「……そういう人がいることを否定はしませんが、みんなそれなりに真摯で誠実ですよ」
「紳士であることと変態であることは両立するから微妙に反論になってないな」
アエラスが混ぜっかえす。
「ボクは変態じゃありません」
「そこは否定するんだ」
「先を行きましょう」
グレイトホラスパイダーを避けて壁際にそって歩き、地下三階へと続く階段に向かう。
「このフロアは調査しなくて良いの?」
「祭壇は後から作られたものです。本来はここが居住区でした」
「まるで見てきたように言うね」
「……下調べは徹底的にやりましたから」
「なーほーね」
研究家が聖職者になるのは良くあることだ。いや……むしろ聖職者がその道を極めた専門家になるのかも。どちらにしろ、セレファインはそういうタイプの僧侶らしい。
地下三階へと続く階段はフロアの隅にこぢんまりとある。あまり多くの人が通ることを想定していない作りなのだ。それどころか、人が来るのを拒んでいるかのようですらある。
すれ違うことのできない一人分の幅の狭い螺旋階段を降りた先が地下三階の水道である。いまでは使われていないが、時折、騎士や冒険者が技術者たちとともにここに降りて、掃除や修繕などの維持管理を行っている。放っておくと水が街中に溢れてきてしまうからだ。
魔物が住み着く水道を作るなんて……と思ってしまいそうだけれど、因果関係は逆だ。水道を作った後に、水場を求めた魔物たちが集まってきてしまったのだ。山を流れる川から引っ張ってきているせいで、水と一緒に魔物もやって来るのである。地下三階へ続く階段が狭いのも、元は魔物対策だったのだろう。
そんな地下水道だけれども構造は単純でただ一本の水路と、その脇に狭い通路が設けられているだけだ。天井は低くて圧迫感がある。水路の流量は多くない。水面から底まではくるぶしくらいの深さだと思われる。
上流に向かえば山中に、下流に向かえば河川域に出る。どちらも都市の外だ。
「どっちから調べるの?」
「少しお待ちください」
セレファインは天井をちらちらと見ながらゆっくりと歩き出した。何かを探しているようだ。その間、アエラスと私は魔物が近寄って来ないように警戒を強めた。
やがてセレファインは立ち止まって上を見上げ、壁に手を当てた。
「ここですね」
「そこに扉があるのね?」
私にはただの薄汚い石壁にしか見えない。
「ここが地下一階に描かれた魔法陣の中心です。魔法陣から送られてくる魔力が集まっているのが感じ取れます。メルさんも確かめてみてください」
「私にわかるものなの?」
「メルさんの方がボクより魔力探知は上手でしょう?」
「……うーん」
剣である兄様の気配を感じとったセレファインの方が余程鋭敏なようにも思ったけれど、そこを言い合っても仕方がない。ともかく私はセレファインに近づいて、その付近に集まっているという魔力を探ることにした。
――ぜんっぜん、わからん!
五秒で諦めた。万物には魔力が宿っていて、私に感じ取れるのは地面や壁、天井、空気、水といったそれぞれの魔力のゆらぎだけだ。
「ゆらぎの中にうまく隠蔽されています。針の穴に糸を通すような繊細さですが、感覚を研ぎ澄ませればわかるはずです」
私の心を見透かしたようにセレファインが言う。
――感覚を研ぎ澄ませろと言われても……ゆらぎの中ねぇ……
試しに石壁の魔力のゆらぎに意識を強く向けてみる。特に何も変わったことは……
……いや、あった。
泡立つ波間の飛沫に隠れて垂らされた、蜘蛛の糸のように細い流れが。こんなもの、そこにあると思って探さないと見つかるはずがない。しかし一度見つけてみれば、他にもたくさんの流れに気づくことができた。それぞれのゆらぎの中に紛れ込ませているから、普通なら見逃してしまう。全体で見るととても自然で……不自然なほど自然な。
「これ、本当に千年以上も見つからなかったものなの?」
「魔力の異変に気づいた人はいるかもしれません。実際、魔力の淀みの報告が年に数回上がってるみたいです。でも魔法陣のことを知らなかったらこれが人為的なものだなんて、何年経っても気づけないとは思います。むしろ、時が経つほどに忘れられて……碑文が失われ、写本も偽書と認定されている現在、これに気づくのは難しいでしょうね」
「……実はこれ凄い発見なのでは?」
「俺もそう思ってた」
アエラスが同意する。
「まだ確定したわけじゃありませんよ。さあメルさん。魔法陣の撹乱をお願いします。ボクの仮説が正しければここに扉が現れます」
「わかった!」
私は魔法の杖を引き抜いた。
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