第8話:教師 瀬野勝彦(2)


 それから一週間後の金曜日、夜。勝彦は愛車を走らせていた。


 夜の十一時を過ぎているが車道を走る車は絶えない。それも高級住宅街だけあり擦れ違う車は外車ばかりで、軽自動車の勝彦はなんだか気後れしてしまう。

 だが更に走り区を幾つか跨ぐと交通量は徐々に減り、それに合わせて景色も変わる。一級品で揃えられた空間から、少しずつ、少しずつ、生活臭が滲んでくるのだ。

 豪邸は一般的な家屋に変わり、高層マンションも次第に階層が低くなり単身者向けが増える。まるで一流ホテルばりのエントランスが一般的なマンションのものに変わり、それすらもないアパートもちらほらと姿を見せ始める。

 更に走らせると今度は田畑が増え、自然が見え始める。都会と言えども土地すべて余すところなく近代化されているわけではない。


「こっちの方まで来るのは初めてだな」


 窓の外を眺めて珍しそうに話すのは亮也。


「随分と景色が変わりますね。同じ都内であっても自然が多いとうか、随分と田舎じみている」

「えぇ本当。まさか近くにこんなに自然があるなんて思いませんでしたわ」


 反対側の窓を覗いていた聡と、二人の間にちょこんと座っていた茜も興味深そうに話す。

 三人の様子をバックミラーで確認し、運転席の勝彦は笑みを零した。

 確かに周囲には田畑があり前方には森も見える。だが道は補整されており森の規模もさしたるもの。等間隔に街灯も設けられており、そもそも車を走らせて数十分で繁華街に出られるのだ。

 ここは一等地に住む者達のために用意された『作り物の自然の景色』でしかない。


 そんな景色を楽しそうに眺める三人の姿は勝彦には年相応に見え、微笑ましさすらあった。

 それに……


「肝試しなんて、白羽学園の生徒もそんな遊びをするんだね」


 意外だったと勝彦が話せば、バックミラーに映る三人もまた笑みを浮かべた。



 ◆◆◆



 聡が話した『面白い話』、それは今向かっている廃病院にまつわるものだ。



 森の中に残されたかつての精神病院。

 そこでは昔、入院患者に対し違法な薬物実験やロボトミー手術を行っていた。

 ある日患者の男が発狂し、ナイフを手に医師や看護師を殺してまわった。そして病院の院長を殺そうとし、駆け付けた警察に撃ち殺された。

 だが男は自分が死んだことに気付いておらず、最後の一人である院長を探して今も病院の中を彷徨っている……。



 そんな噂が、今から行く廃病院にある。


 もっとも、こういった噂はありふれたもので、廃病院どころか経営中の病院にだってあるぐらいだ。

 今向かっている先には確かに廃病院はあるし、そこがかつて精神病院を営んでいたのも事実。だが薬物実験やロボトミー手術を行っていた記録は無く、当然だが陰惨な事件の記録も無い。

 病院が経営をやめたのも時流に沿っての事だ。メンタル系の病症に世間が理解を示すと同時に診療施設が増え、自然溢れる森の中というメリットが不便というデメリットに変わった。経営は右肩下がりになり、潮時と見て病院は看板を降ろしたに過ぎない。

 施設を残しているのは、都内でありつつ些か辺鄙という立地ゆえ、土地価格が絶妙で買い手かつかないからだろう。


「みんな、こういう話は信じてるのかな?」


 勝彦の問いに、代表するように聡が肩を竦める事で返した。


「さすがに信じてはいませんよ。薬物実験だのロボトミー手術だの、果てには猟奇事件なんて、調べれば直ぐにデマだと分かります」

「わざわざ調べたの?」

「ネットで検索すればすぐ出ますよ」


 あっさりと聡が言い切る。淡々とした口調だ。噂がデマだったと落胆している色すら無い。

 それを聞き、勝彦は流れていく前方の景色を眺めながら軽く息を吐いた。


 昨今の子供は随分と冷めている。

 勝彦が幼い頃は、都市伝説や学校の七不思といった怪談話を常に誰かが口にしていた。どの噂もおどろおどろしく、トイレや洗面台の鏡、音楽室の肖像画、切れかかり明滅する電球……何もかもが怖かった。

 更に夏になると恐怖番組が続々と放送され、チープな心霊映像に震え上がったものだ。


 だが最近の子供はそれらに恐怖を抱くより先に現実を見てしまう。

 都市伝説や七不思議は調べれば直ぐに類似の話が山のように出てきて、トイレの花子さんが全国の学校にいる事を知ってしまう。夜中に不安になったとしても、携帯電話で陽気な音楽や動画を流せばすぐに気分は晴れる。

 恐怖番組はお笑い芸人やアイドルのアピールの場と化し、心霊映像に至っては自分達で撮影し加工して作りあげてしまえるのだ。


「最近の子はそういうのを怖がらないのかな。でも怖くないのに肝試しはしたいんだね」

「別物と言いますか、むしろ怖さを知るための肝試しですね。僕達は怖いという感覚を求めてるんです」

「はは、なんだか凄いね。これぞ怖いもの知らずってことかな」


 思わず勝彦は感嘆の言葉を漏らした。


『怖いもの知らず』とは、まさに彼等の事だ。

 心霊話については言わずもがな。同年代の少年少女が臆するような『大人』や『力の強い者』だって恐るるに足らず。誰であろうと彼等の前では頭を垂れる。

 それどころか将来設計や金銭面での『不安』と言える恐れだって彼等にはないのだ。


「僕が小学生の頃はみんな幽霊や学校の七不思議を怖がったけどね。あぁでも、中学生になると怪談よりもテストの方が怖かったかな」

「テストですか?」

「中学生の時はあんまり勉強してなくてね。……あ、この話も他の先生にはしないでね。それで、成績が悪いと親にこっぴどく叱られてさ。幽霊や祟りより、テスト返却や成績表の方が怖かったよ」


 勝彦が笑って話すが、聡も亮也も茜もぴんとこないようで不思議そうにしている。茜に至っては首を傾げて「成績が?」と呟いているではないか。

 だがそれも当然か。彼等は学園内で上位に入るほど優秀な成績を収めており、なおかつ仮に低い点数を取ったところで教師や親に怒られる事も無い。

 たとえ明日から全てのテストを白紙で出して成績表を1で埋め尽くそうとも、誰にも叱られず、輝かしい未来は変わらずに待ち構えているのだ。


 心霊や都市伝説といった怪異への恐怖は無く、現実への不安や怯えも無い。

 そんな三人が怖いものを求めて『こわいもの倶楽部』を設立し、今まさに肝試しに挑もうとしている。

 なんとも子供らしくなく、それでいて子供らしい話ではないか。


 そんな事を考えながら、勝彦は緩やかにブレーキを掛けて停車した。

 遠目に見えていた森が今は眼前に構え、手前に建物がある。


 件の廃病院だ。

 壁はあちこちひび割れ、蔦がまるで無数の手のように覆っている。背後にある森は夜だからか鬱蒼としており、梟の鳴き声が静かに低く淡々と響く。

 街灯も疎らにしか無く、繁華街を走っていた時は気にもしなかった月明かりの細さをここにきてようやく実感する。薄髄色の雲の合間から差し込む月明かりの頼りなさといったら。


 噂はデマだと分かっていても、目の前に聳え立つ廃病院からは言い知れぬ迫力を感じてしまう。

 思わず勝彦が生唾を呑んだ。懐中電灯を握る手に汗が滲む。


「い、良いかい。けして僕から離れないように。奥までは行かないよ。少し中を見るだけだからね」


 懐中電灯を手渡しながら教師らしい口振りで言い渡せば、三人が頷き返事をしてきた。

 なかでも「分かってるって!」という亮也の声は弾んでいる。瞳も輝いており、それほど楽しみなのだろう。

 対して茜は廃病院を前にしても態度は変わらずで、おっとりとした声色で「まぁ怖い」と話している。その声色にも表情にも怯えの色は一つも無いのだが。

 そして聡はと言えば、壊れた扉から屋内を覗き、露骨に眉間に皺を寄せた。


「……汚いですね」

「廃病院になって結構経ってるし、荒らしていく人がいるんだろうね」

「それに変な匂いもします」


 聡が手の甲で鼻を押さえて訴えるので、勝彦はスンと鼻を鳴らして周囲の匂いを探ってみた。

 なるほど確かに、ここは匂う。

 埃やカビの湿気た匂い。生ゴミが放置されているのか腐敗臭もする。野良猫や野鳥が入り込んでいるようで動物の糞もあり、それらが綯い交ぜになった匂いは筆舌に尽くし難い。


「気分の良いものではありませんね。せっかく来たので少しは見ますが、僕は先に車に戻らせてもらいます」


 早々に捜索打ち切りを言い出す聡の態度からは、嫌悪感がこれでもかと見て取れる。

 そんな聡を見て、そういえばと勝彦は思い出した。


 久我聡は潔癖症のきらいがあると以前に聞いた。

 あれは偶然三人の空き教室を訪れ、彼等の活動に興味を持ち放課後を共に過ごすようになったばかりの頃。

 学園長に呼び出され、三人がいかに重要な生徒であるかを聞かされたのだ。彼等の気分を害さないようにと念を押すように何度も忠告された。

 その忠告の一つに、聡の潔癖症についてがあった。

 もっとも潔癖症といえども日常生活は不便なく送れているし、勝彦の車にだって平然と乗っていた。あくまで『潔癖症気味』というだけだ。


 それでもこの状況は堪えられないのだろう。むしろ潔癖症のけの字も無い者だって、この光景と匂いには顔を顰めるはずだ。

 エントランスの奥へと進めばさらに匂いが強くなり、これなら病院らしく薬品の匂いが漂っていた方がマシだ。


「すっげぇ! マジで廃病院だ。注射器とかメスとか落ちてねぇかな!」

「精神病院だし、注射器はまだしもメスはそもそも置いてなかったんじゃないかな」

「それなら拘束具とか! ゲームでイカれたヤベー敵とかが着けてるじゃん!」


 亮也は随分とテンションが高く、精神病院や廃病院が舞台のゲームについて饒舌に語りだした。

 周囲を懐中電灯で照らし、散乱しているゴミや瓦礫を蹴り飛ばして面白いものはないかと探し始める。自分とゲームの主人公を重ねているのか、妙に念入りだ。

 対してさっさと用事を済ませたい聡は足早で、亮也を置いて奥へと進んでしまった。


「久我君ちょっと待って。北条君、鴨川さん、急ごう」


 好奇心を押さえきれない亮也はあちこち見て回り、いまだエントランス入り口付近に居る。彼の隣には茜も居り、亮也に倣うように椅子の裏側を眺めていた。

 だが聡は二人を置いて既にエントランス奥にある受付まで進み、それどころか左右に枝分かれする通路を進もうとしているではないか。


 ――あぁ、もう!


 開く距離に勝彦は声をあげたくなった。気分は遠足の引率だ。

 だがここで喚いても仕方ない。まずは聡を止めなくては。

 そう考え、早足気味にエントランスホールを突っ切り、今まさに右手の通路へと進もうとする聡に声を掛けようとした瞬間……、



 お……


 おぉおおオオオオをおおをぉ!!!!



 異常としか言えない音が周囲に響き渡り、勝彦は大きく体を震わせると同時に足を止めた。

 さながら十年近く打ち捨てられていた重機が無理やりに動かされたような音。重さと錆びれで軋み、このまま廃棄してくれと嘆き訴える、そんな重機の断末魔。

 音の原因も分からぬうちに異常事態だと脳が警告を発し、勝彦は異音が聞こえてきた背後を振り返った。


 そして、見た。


 エントランスホールに立つ一人の男を。



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