ウォッチ・ミー・オア・ダイ
biza
1-1:もう1つのプロローグ
「いい風だなあ! 最高だぜ、ロイド!」
幌馬車の中から御者台へ乗り出すようにして、ダンが叫ぶ。
隣のリシェルが、ダンの肩に寄りかかって笑う。
「ロイド様のおかげでこんな旅ができるなんて、ありがたや〜」
「ははっ、お前らがせっついてきたんだろ」
ロイドは馬の手綱を引きながら、陽に焼けた顔を楽しげに緩めた。
騎士の家に生まれたこの若者は、父親に頼み込んで家の馬車と馬を借りてきたのだ。
古くも丹念に手入れされた馬車が、今は仲間5人の“冒険”に使われている。
馬車は白昼の街道を、ゆったりと進んでいた。
青々とした草原が、夏の陽差しとそよ風に揺れている。
馬車の車輪が巻き上げた砂塵が、静かに後ろへ流れていった。
「ねえダン、村に着いたら一番に見たいのは何~?」
「そりゃ決まってんだろ。祠とか祭壇とか、そういうヤバそうなとこ! ……あとは夜に、な?」
ダンはわざとらしく声を潜め、リシェルの腰に手を回した。
「やらし〜」
リシェルはキャッキャとダンを小突きまわした。
「モルフェダの伝承を調べるって話じゃなかったのか」
本を閉じる音と共に、荷台の隅のルークがぼやく。
隣のセラは、居心地悪そうに視線を泳がせていた。
「理由なんて、スパイスだよ」
ロイドは片眉を上げて肩をすくめた。
「退屈な毎日から抜け出す。それだけでいいんだ」
「呪われてるって噂だけどな。あの村は……」
ルークが細かな説明を加えようとする。
「その呪いを俺らが解明すれば、一躍英雄さ。なあ、ロイド」
「ああ、兄貴の鼻を明かしてやる」
ダンが遮り、ロイドもまた優秀な兄への対抗心を燃やす。
「危なくないといいけど……」
セラが呟くと、ロイドが振り返った。
「大丈夫。僕がいる」
腰のショートソードに手をかけ、爽やかに笑う。
セラは少し頬を赤らめて目を逸らした。
—
馬車が街道を外れると、空気が変わった。
整備された道は途切れ、石だらけの地面が車輪を揺らす。
両脇の木々は立ち枯れ、白い幹が骨のように空を指している。
先ほどまで飛び交っていた鳥の声も、いつの間にか消えていた。
馬車を引く馬が、2度足を止め、鼻を鳴らした。
「まだ着かないの~。ダンのお尻が4つになっちゃう」
リシェルが御者台に向かって不満を漏らす。
「あの丘を越えたら見えてくるはずだ」
ロイドが指差す先に、砂色の岩が転がる丘があった。
その時、丘の上に馬車が一台、姿を現した。
車体は古びており、赤錆が金具の継ぎ目から滲み出ている。
1頭しかいない馬は痩せ細り、歩くたびに膝がかくんと折れる。
坂をまるで滑り落ちるように降りてくる。
「珍しいな。この先はあの村しかないはずだが」
ロイドは馬を止めると、手を振った。
「やあ、ちょっといいか!」
近づいてきた馬車の御者が顔を上げた。
大きな日除け帽の下を見て、全員が息を呑んだ。
御者の男は、右目が真っ白に濁っていた。
肌は皺だらけで、極端に赤黒かった。内臓を悪くしているような色だ。
「何か買っていくかね」
男は、歪んだ顔を更に歪ませた。歯が何本も抜けているのが露わになった。
「あ、ああ。いや、僕らはモルフェダに行くんだけど、あんた村の方から来たのか?」
ロイドは面食らいながら尋ねる。
すると男は無事な方の左目を剥いた。
「やめときな。肝試しなら他所でやるこった」
喉が干上がっているような声だった。
「それはどういう……」
「はいは~い、ためになる忠告ありがと〜!」
セラが不安げに聞き返すのに被せるように、リシェルが声を張り上げた。
「じいさん、それじゃ赤ん坊だってビビらねえぜ」
ダンとリシェルは、ひょいと馬車から飛び降りた。
2人は行商の荷台に回り込むと、品物を物色し始めた。
「お、酒あるじゃん」
「呪い除けもある〜。効くかな」
「シッ、効くわけないだろ。あの顔見ろよ」
「確かに〜」
無遠慮に品物を触り、小声で笑い合う2人。
男は渋面で睨んだが、何も言わなかった。
セラは改めて聞く機を逃し、黙り込んだ。
ダンが酒を樽ごと担いで帰ってきた。
リシェルは果物、パン、紙包みの小さなお菓子などを買い込んでいる。ちゃっかり呪い除けも持っていた。
「ほらよ、ありがとな!」
ダンは銀貨銅貨を数枚取り出し、御者台の男に投げつけた。
男は突然のことでキャッチしきれなかった。硬貨は男の胸元に当たり、御者台の金具に跳ね返った。
地面に散らばった銀貨が、陽光を受けて輝いた。
行商の痩せ馬が驚き、前脚を持ち上げて嘶く。
荷台から品物が転がり出ていった。
男が悲鳴を上げ、御者台から振り落とされた。
「ぶはははっ、マジかよ!」
「ちゃんと受け取って〜!」
ダンとリシェルは、腹を抱えて笑っていた。
—
「もう行こう。日が暮れる」
荷物を戻し終えた所で、ロイドが言った。
「でも……」
セラは男を振り返る。
行商は地面に座り込んだまま、立ち上がれない様子だった。
「早くしろ。呪われるぞ」
「もうあたしらがやれることないって」
ダンとリシェルが急かす。
セラは唇を噛み、小さく頭を下げた。
「……ごめんなさい」
馬車が走り出した。
セラはこっそり振り返った。
男はまだ腰を擦って座っている。
しかしその目は、酷く忌々しげに5人を追っていた。
「恩知らずども。消されるぞ」
その呟きは、セラの耳に届いた瞬間、風に攫われて消えた。
—
5人を乗せた馬車は岩だらけの丘を越えた。
揺れは一層酷くなる。
行商とのやりとりが、幌の中に気まずい空気を残していた。
「みんな、見えたぞ」
御者台のロイドが、殊更明るい声を出した。
4人が幌から身を乗り出す。
馬車が進む道に横たわるように、物見櫓が細長い影を落としていた。
管理用の小屋らしきものが、寄り添うように建っている。
道はその横、薄暗い谷の奥へと続いている。
「モルフェダの入り口だ」
ロイドは脅かすような低い声を出した。
リシェルがふざけた悲鳴を上げて、ダンにしがみつく。
ルークは眼鏡を押し上げ、周囲を観察し始めた。
セラだけが、唇を引き結んでいた。
あの男の声が、まだ耳に残っていた。
——消されるぞ。
それが何を意味するのか。
この時の彼女には、まだ分からなかった。
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