第6話 影の訪問者



路地に潜む影は、夜が深まるほどに濃さを増していた。

灯を落とした診療所の壁に油の焦げた匂いを含んだ風がわずかに吹き込み、窓辺に置かれた器が細かく震え、乾いた音を立てる。

そのかすかな音に紛れて、石畳を踏みしめる足音が近づいた。規則的ではなく、しかし乱れてもいない。軽やかで、獲物を追い慣れた獣の足取りに似ていた。


扉が叩かれたのは、闇が最も濃く沈む刻。

硬質な音が二度、三度。短く、ためらいを欠いた調子で鳴り響く。


リアナが小さく肩を竦め、視線をアレンに向けた。

アレンは机の上で薬瓶を揺らし続け、しばし沈黙を守った。淡い液体が瓶の内で揺蕩い、その光の揺らぎが彼の灰色の瞳に映る。やがて彼は瓶を置き、音もなく立ち上がった。


「開けるな。俺が出る」


重い蝶番が軋み、扉が外の闇を迎え入れる。

そこに立っていたのは三人の男たちだった。粗布の外套に身を包み、頭巾を深くかぶって顔の半分以上を覆い隠している。だがその眼差しだけは闇に浮かび、鋭く、冷えた光を放っていた。笑みも怒りも宿さず、ただ対象を計測する刃のような視線。


先頭の男が一歩踏み出し、低く言った。


「……先生。少し話をしに来た」


アレンは返答をせず、扉の木枠に片手を置いたまま相手を見返した。

男はわずかに顎を上げ、声を続ける。


「腕利きの医者だと聞いた。名はよく広まっている。だからだ――街には街の掟がある。この場所で稼ぎを続けたいのなら、相応の礼を払うべきだ」


外套の影の下で、硬貨の擦れる音がかすかに響いた。


「金だ。簡単な話だろう? 我々に差し出せ。そうすれば、お前の稼業は安泰だ」


リアナの喉がひくりと動き、息を呑む。

アレンは視線を逸らさず、わずかに首を傾げた。


「……つまり、恐喝か」


「恐喝、ね」


先頭の男は口元をわずかに歪めた。笑いとも嘲りともつかぬ影が浮かび、その声音は妙に滑らかだった。


「言葉は好きに解釈すればいい。だが我々は、ただ街の秩序を守っているだけだ。商人も、傭兵も、この街で飯を食う者は皆、分をわきまえている。お前だけが例外でいられると思うな」


「秩序、か」


アレンの声は低く、しかし氷のように冷えていた。


「秩序とは、金で買うものか」


「違うのか?」


背後にいたもう一人の男が、一歩前へ出て声を荒げた。


「この街は力で立っている。兵士も役人も、組合が金で養っている。その上で生きていくには、頭を垂れ、差し出すものを差し出す。それがここでのルールだ」


リアナの指が震え、衣の端を握りしめる。その恐怖は、無言のままアレンへと伝わった。

しかし彼は答えを返さない。ただ灰色の瞳を細め、沈黙の中で相手を射抜く。


圧迫するような沈黙。やがて先頭の男が再び声を落とす。


「……拒むのか」


その問いに、アレンはようやく口を開いた。


「誰の差し金だ。商人どもか、それとも役人か」


「名を問う必要はない」


男の声は曖昧で、それ以上は語ろうとしなかった。


「ただ知っておけ。お前が昨日仕出かしたことは、既に目をつけられている。助けた者の数より、恨みを買った数のほうが多い。お前の立場は、思うほど安泰じゃない」


「――ならばなおさらだ」


アレンの瞳が、夜を裂くように鋭く光る。


「俺は金を差し出さない。俺は医を為す者であって、犬ではない」


張り詰めた空気が揺らぎ、次の瞬間、低い笑いが路地に落ちた。


「なるほど」


先頭の男は短く嗤い、外套の下に手を差し入れる。


「いいだろう。ならば、別の方法で話をつけるしかないな」


その仕草に呼応するように、周囲の闇がざわめいた。石壁の影からさらに二つ、三つの影がにじみ出す。足音ひとつ立てず、ただ気配と呼吸だけを濃くしながら、診療所をじわじわと取り囲んでいく。


リアナの唇から、かすかな声が零れた。


「先生……」


アレンは振り返らず、冷ややかに言い放つ。


「中にいろ。ここから先は医療ではない」


外套の男たちはまだ武器を抜かなかった。問答の余地を残しているかのように、ただ相手を測り続ける。だがその眼差しはすでに、狩りの獣が獲物に注ぐものだった。


互いの間に沈黙が張り詰め、夜気が微かに震える。

それは嵐の直前に漂う圧のように重く、乾いた火薬の匂いを孕んでいた。


やがて訪れるのは、牙を剥く瞬間。

その予感だけが、夜の闇をいっそう濃くしていった。

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