五感を越境する物語:映画『国宝』

貴文を拝読し、あまりに鋭く、かつ情緒的に統御された文章に深い印象を受けました。
単なる映画評に留まらず、感覚論・身体性・メディア受容といった複数のレイヤーが内包されており、非常に高密度な言語空間が立ち上がっていたと感じます。

特に「共感覚」に関する扱いは、本来的には神経科学や心理学に依拠する言説でありながら、映像表現における実感的な“ずれ”や“浸透”を媒介として描き出されており、まさに芸術作品の受容を通じてしか語り得ない領域に踏み込んでおられました。
私自身、この映画『国宝』に接したとき、音響や画角、構成の微細な調律に「何かに包まれている」ような体験を覚えました。しかしそれを一言で説明する術を持ちませんでした。

本稿を読むことで、それが“共感覚的な干渉”として名指し可能な体験であったと気づかされ、なんというか目から鱗が落ちる思いでした。(言い過ぎかもしれませんがね)

とりわけ終盤の一節、「これはあなたの物語ではありません」は、強い倫理的示唆を含みながらも、観客の感情移入を過剰に制限しないという絶妙な距離感を保っています。
情動的な反応を誘発する映画であるがゆえに、その“感応の制御”の必要性を論じておられる点には、深い感受性と洞察を感じました。

本稿は、いわゆる感想文ではなく、「映画を媒介とした感性の探究記録」と言っても過言ではないでしょう。

他者の物語に触れたとき、私たちの感覚がどう反応し、どう危うくも揺さぶられるのか。そこに対する慎重な姿勢と、鋭敏なまなざしに、心から敬意を表します。
この文章に出会えたことを、ひとつの幸運として記しておきます。