第2話 逆行

――リッカルド様の死体を確認してほしい。

 そう言われるがまま、死体を確認しに行った。

 馬車の中で、ひたすらこれは夢ではないかとばかり考えていた。

 だって、今日もリッカルド様はいつも通りで。

 他の日と特段、変わりないように見えた。


 ……だから。

 だから、これは夢で。


 リッカルド様が死んだなんて、そんなこと、あるはずがない。

 ……あっていいはずがない。


 ただ、これは夢であるという希望に縋りながら、馬車に揺られた。



 ――だけど。


「……リッカルド様で、……間違い、ありません」



 死体は、紛れもなく、リッカルド様本人だった。

死因は、池での溺死だった。

聞いた話によると、そこはメリア様とリッカルド様の思い出の場所であるそこで。


 ――二人は、心中したのだ。

 溺死はとても苦しいと聞く。


 けれど、離れないように縄で手を繋いで死んだ二人の顔は、とても穏やかで。


 ──ああ。

私は。




 どうしようもなく、間違えてしまったのだ。


今になってようやく。

取り返しがつかなくなって、ようやく、悟った。



◇◇


 馬車に揺られながら、自宅に帰った後。


 ――明日からは喪主として、やるべき仕事がたくさんある。でも、今はショックだから寝込ませて。




 そういって、侍女を遠ざけ、自室に籠る。


 涙は、流れなかった。


 泣くよりも先に考えなければならない。


 どうすれば、どうすればリッカルド様は助かるのだろう。


 ひたすら、魔法の文献を漁った。

 このどこかに、リッカルド様を生き返らせる方法があるのではないかと。

 ただ、それだけを信じて。


 



「これも、だめ。あれも、だめ……」

 急がないと。

 明日には、リッカルド様の葬儀が行われてしまう。

 リッカルド様の葬儀が執り行われた後では、間に合わない。

 なぜだかわからないが――そのあせりだけがあった。


 今にして焦るぐらいならば、もっとできたことはたくさんあったはずなのに。


 自嘲しつつも、文献を漁る手は、止めない。


 ――その、ときだった。

『我と契約しないか?』


 ――低く、甘い声が囁いた。


「誰?」

『我はかつて──神だったもの。いまは、悪魔と呼ばれている』




 美しい青年が音もなく、私の目の前に現れた。




 短く切り揃えられた赤い髪は、確かに、この世界の人がありえる色彩ではなかった。

赤い髪をもつ人はこの世に存在しないから。

『三年。時を戻す。その間に、魔獣の心臓を三百我に捧げよ。そうすれば、我はまた、新たな神として君臨できる。そうすれば、女神の加護は必要あるまい』



 きっかけは、女神の加護だ。

女神に私たちの国から去られたら困るから。

ならば、新たな神を立てればいい。悪魔を神に戻すのに必要なものは、魔獣の心臓を三百だとして。


「あなたの、代償は?」

 この際、悪魔でも何でもいい。

 リッカルド様を助けてくれるのなら。

 でも、代償がリッカルド様なら、元も子もない。

 私に差し出せるのは、リッカルド様以外の全て。



 女神は、恋を望んだ。

 それならば、悪魔が神になったとき、加護のかわりに何を、望むのだろう。




 この国の土地はもともと、やせている。


 それを神の加護で維持している状態だ。


『そうだな……』




 悪魔は考えこんだあと、私を指差した。


『神になったところで、永久は退屈だ。我の退屈をお前が、殺せ』


 つまり、私に玩具になれということらしい。


「何年かに一人生け贄を要求するということ?」


『お前次第だ。お前がずっと、我の退屈を殺し続けるのなら、贄はお前一人で十分だ』

「……いいでしょう。契約、するわ」

 にやりと、悪魔が笑った。

 その笑みを最後に意識が途切れる。





 ――次に私が目を開けたとき、学園の入学式まで、時間が巻き戻っていた。





 私は、悪魔を神に戻すのに、魔獣の心臓を三百集めなければならない。魔獣の心臓──といったら、かなり物騒だけれど。




 魔獣の心臓。それは、文字通り心臓ではなく、通称だ。魔獣を倒したときに、魔獣の体内で精製された赤い鉱石を落とすことがある。


 その鉱石のことを魔獣の心臓と呼ぶのだった。鉱石はとても貴重で、大抵は倒した人が食べて自分の魔力を増やすのに使う。だから、市場には出回らない。


 だから、私は、私自身で魔獣を倒さなくてはならないのだ。

そんな私におあつらえ向けの学科がある。




 魔獣騎士科。


 私たちが今日から通う学園の学科のひとつだ。

学科は入学後に決めることになっている。

……以前は淑女科に通っていたけれど。




 女性の魔獣騎士は数少ないだけでいないわけではない。


 ならば、私でもできるはずだ。幸いにして、私の魔力量は多い。




 すべては、リッカルド様が生きる世界をつくるために。




 そのため、まず、私がやらなければならないことは──。



「ソフィア!? その髪、どうしたの!?」

 入学式が行われる会場につくと、友人のマリーが驚いた顔をした。

「うん。私、魔獣騎士科に入ろうと思って。それなら、長い髪は邪魔でしょう?」

 実際、数少ない女性の魔獣騎士の髪は短かかった。

「魔獣騎士科に入るなんて、どうして……。ソフィアは私と一緒に淑女科に入るんじゃなかったの?」

 マリーはとても困惑していた。

 ……当然だわ。

 普通の令嬢ならば、まず魔獣騎士科になんて、入らない。

 よほどの物好きか、食い扶持に困っている人だけだ。


――私は、曖昧に笑って誤魔化そうとした。


 そんなときだった。

声をかけられたのだ。


「君も魔獣騎士科、なの? よろしくね」


 聞き間違えるはずのない、声だ。

その声をもう一度聞けることに、これ以上ない喜びを覚える。




「はい。よろしくお願いします。──リッカルド様」

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