まだ見ぬ闇への反逆
次回のテーマは、ストリート――客に媚びたところで、結局裸にならなくては意味がない。だったら逆に、自分が思ったことをやろう――新月の脚本も、裏路地で駄弁る三人の女子の物語で、変なお金儲けに誘われたら、酷い目に遭ってしまう脱衣パート――というあらすじである。
ローテーションという意味では、その前にカリンたちの番があるはずだ。しかし、それさえもなく――その週のストリップ・ライブも中止――未定という言葉に偽りはなく、その後の展望の話もない。
かといって、代わりに他のバンドが入るわけでもない。ただ、単純に“入りがない”のである。人気がない――それが、このライブハウスの現状だった。
その事実に、紅葉は静かな焦燥をこじらせていく。何かしたいと思う気持ちは消えていない。だが、恨めしいことに――そもそも、己の生活さえもままならない自分が勤め先の経営を立て直そうなど、明らかに役者不足である。こんなとき、どうにかできそう――少なくとも、現実的な相談が成立しそうなのは――あの女しかなさそうだ。
紅葉は小さく息を吐く。美春とのやりとりのなかで隔たりを感じたあの日から、意図せず連絡を取っていない。先方も、何となく会いづらかったのだろう。ライブハウスにも現れていない。まあ、金さえあれば、他にもっと良い練習環境を用意できるか。
それで紅葉は気づく――カリンはきっと、いまも練習しているはずだと。それは、ダンサーとして――同業者として信頼しているということ。距離を取ったつもりなのに、心のうちには、ずっとあの女のことが残っていたらしい。
だから――
言いたくはないが、自分の知る関係者のなかで最も“金の匂い”がするのは、どう考えてもカリンである。ここで動いてくれるかどうかで、彼女の“本気度”も量れるだろう。同時に、それは“覚悟”を試す機会でもあった。ノクターンは、あくまで兄の写真のための練習場なのか、それとも――
カリンも紅葉と同様に夜型である。ゆえに――寝る前と思われる明け方にメッセージを送ってみた。
『次回のライブも、やっぱりないみたいですね』
ここまで露骨に避けてきたのだから、ブロックされていてもおかしくない。そんな不安も少しあったが――やはりカリンはカリンのままだった。
『どうしよう…』
わずか数分での返信。ションボリしているネコのスタンプもついてきた。いつものカリンである。
そんなカリンにこそ問いたい。
『私たちにできることって、ないですかね』
そう打った後、返事が来る前にもう少し付け加える。こちらは本気なのだと。
『ライブハウスを立て直すことは』
……自分がカリンの立場なら、『まずはお前も脱げよ』と返したいだろうなー……などと紅葉は自虐する。が、紅葉ひとりが脱ぐことでライブハウスが復活するほど、自分の裸体に価値などない。そのくらいは理解している。
ちまちまと小銭を稼ぐのではなく、ライブハウスの経営を一発逆転させるくらいの策――自分に思いつかないことを相手に求めるのは都合が良すぎるか――それでも、カリンなら何らかの打開策を見出してくれるのではないか――少なくとも、どれだけライブハウスのことを真剣に考えてくれているかが、これではっきりすることだろう。
だが、カリンからのレスはいつものように速かった。
しかし。
『明日、リリザさんも交えて相談してみよう』
鼓舞するように拳を掲げるウサギのスタンプ――即レスはやる気のなさからではなく、これしかない、という断固たる意志――いち踊り娘にすぎない我々にできることなどないのだから、然るべき人物と――これこそが、カリンの本気なのだと紅葉は受け止める。
そして――こんなときでも『夜野さんに相談』という選択肢が出なかったこと――カリンにとっても“その程度”の存在なのだな、と紅葉は薄ら笑いを浮かべていた。
紅葉は昼前までフロアでトレーニングに励んでいることが多い。だが、その日は少し早めに切り上げた。
『夕方4時、リリザさんと約束しといたよー』
こういうとき、段取りを組むのはいつもカリンである。一応、やり取りがあった時点で、紅葉もすぐにライブハウスの中を探してみたのだが、ダンスリーダーの姿は見当たらなかった。あんな早朝にいないなんて、本当に同じ場所に住み込んでいるのか、と疑わしくなってくる。
が、ともかく、リリザとアポを取れたのはカリンのほうであり、紅葉はその三〇分前に起床しておいた。いつものフロアの隅で目を覚ますと、そのままバーカウンターの水場で顔を洗って、ひとり控室のほうへと向かう。すると、リリザはすでにそこにいた。
「楓さん、お疲れ様です」
日中、リリザは控室でデスクワークをしていることが多い。夜野から押し付けられた事務仕事をこなすために。こんな状況でさえ任せっぱなしとは――経営責任者とは思えない無責任っぷりに、紅葉は日頃から溜めこんできた苛立ちにさらに上積みしていた。
とはいえ、夜野本人はいないし――何より、最も怒りたいのはリリザ本人だろう。その思いを酌んで、紅葉は静かにパイプ椅子を用意する。これから来るであろうカリンの分も合わせて二脚。
「今日は、お時間をいただきましてありがとうございます」
いつもの面接トークがつい出てしまった。が、リリザが他人行儀なそれを気にしている様子はない。
「カリンさんから話がありましたけど……やはり、ライブの次回予定の件ですか?」
まだ時間には早いが――それに、どうせカリンは遅れてくるだろう。なので、議題の概要だけ。
「私たちのライブどころか……この店自体、危ういんじゃないですか……?」
これからそんな話をするのだ。隠したり言い繕ったりしても仕方がない。そう思って単刀直入に切り込んでみたが――
「このライブハウスを潰すことなど、私が認めない」
ぞわっ――まるで、リリザの長い黒髪が蛇のようにうねったように見えた。
「例え、街全体が焼け野原になっても、このライブハウスだけは死守する。私がそう決めた以上、絶対」
目が座っている――普段の穏やかなリリザとはまるで別人のような形相――本気を通り越して、これは狂気――リリザがこのライブハウスに対して真剣に向き合っていることは伝わってきた。真剣を通り越して、執念ともいえる。自分に向けられているわけではないが、ここまでの怒気を、紅葉にいなすことは難しい。普段の人見知りとは別の事情で。カリンさん、早く来て――そう心のなかで祈ってみるも――カリンは例のごとく、五分遅れで到着することとなる。その間、紅葉は蛇に睨まれた蛙のように縮こまっていた。
「すいませ~ん、遅くなりました~」
控室の扉が開かれた途端、リリザの目元がふわっと緩む。これは、カリンに対する歓迎の現れ――ではない。単に、気持ちを切り替えただけなのだろう。何故なら、これからカリンが切り出すことはわかっているのだから。そのうえで、一旦保留――紅葉はようやく束縛から解放された思いだったが、同時に、いつ再び虎の尾を踏むか――“あの”リリザとは、カリンと一緒であってもできれば相対したくない。
紅葉の隣に用意されていたパイプ椅子に、カリンは座る。すると、リリザのほうから用件を切り出してきた。
「楓さんから簡単にお話は伺っておりますが……」
その語り口調は、普段のリリザである。だが、一歩間違えれば先ほどの狂気を剥き出しにしてくることだろう。カリンさん、言葉選びは慎重に――! 紅葉は固唾を呑んで隣の会話を見守っている。
「だったら、単刀直入にお願いしたいんですが……」
単刀直入はダメーーー! 紅葉は内心オロオロするが、ここで遮るようなことはできようもない。リリザはまだ、普段の様子を保っている。だが、どこでさっきの“スイッチ”が入るかわからない。あの恐怖の視線に耐えるべく、紅葉はひとり心を強く固める。
だが。
「ノクターンの現在の経営状況の資料を見せてもらっていいですか?」
「はい」
するりと話がついた。しかし、もし自分が用件を伝えていなければ、『何故?』というリリザからの問いの後に、その怒りが爆発していただろう。いや、爆発というより、怒りの渦に押し流されていた、というべきか。ともかく、ここでカリンが無事なのは、自分の犠牲のおかげに違いない――紅葉は何故か誇らしげな気持ちになっていた。
それはさておき、カリンとリリザの間でやり取りは進んでいる。
「当然、外への持ち出しやコピーは厳禁ですが……」
リリザからの注意事項を受けながら、カリンは書類に目を通している。だが、その表情は――かつて、コンビニでのバイト中に、紅葉が自分のダンス動画サイトで弱音を吐いたときのような――それだけで、芳しくないことが伝わってくる。
「……デフレってますねぇ……」
紅葉には、単語の意味はよくわからない。が、何となく良くない状況だということだけは把握できた。実際のところ――ここのオーナーである夜野は、集客を値引きだけに頼ってきた節がある。その結果が、安かろう悪かろう――利用者からの評判も芳しいものではなく、まさに負のスパイラルに突入していた。
ここで、あの日、自分に向けられたような、ありきたりな禅問答を返したらどうしよう――『リリザさんが目指しているのは、ライブハウスの存続ですか? それとも、事業の継続ですか?』――その問いだけで、リリザの逆鱗に触れるかもしれない。
戦々恐々と見守るが――カリンはため息をひとつ吐くと、書類をそっとリリザに返す。
「……また明日、こちらの書類を見せてもらっていいでしょうか。それまでに骨子は作ってきますので」
骨子? 何の? 紅葉にその意図はわからないが――ともかく、自分の動画サイトの一件とは次元が違う――カリンは本気で、何かに取り組もうとしているようだった。
そして、翌日――催されるライブもなく、その他の予定もなかったが、何となく――また明日――昨日のカリンの言葉が気になり、再び同じ時間に起きていた。そして、顔を洗って、控室を覗いてみると――
「あ、楓さん、お疲れ様です~」
おはよう、ではなかったあたり、楓が寝ていたフロア側は通らず、直接ここに来たのかもしれない。カリンは鏡面台のほうにタブレットを広げて、何か作業をしているようだった。しかし、カリンは上下ブラックのパンツスーツに身を包み、インナーは控えめな白のシャツ。足元にはヒールのない革靴が光っている。まるで、オフィス勤めのような無機質な装いだった。
「何を見てるんです?」
まるで経済ニュースでも眺めているような雰囲気ではあったが――そこに映っていたのは、ニュースどころか細かい文字と数字の詰まった格子状の表。
「いえ、ネットワークにはつなげないように、とのことで」
それは、いつものデスクに座っているリリザからの指示なのだろう。
「プリンタさえ有線っていうんだから、徹底してるよね~」
カリンは鞄から何かのケーブルを取り出し、それをタブレットとつなぐ。そして、何か操作すると、プリンタからドバドバと何かの書類が流れ出してきた。
「こ、これを……一晩で……?」
そこにびっしりと羅列されている文字列に、紅葉は圧倒されてしまう。
「要件だけ詰めれば文章自体は生成してもらえるから、あとは読み返して確認するだけだよ」
カリンは軽く言うが、これを読み返すだけでも紅葉にはウンザリさせられる。一体何をそんなに書いたのか――プリンタは最後の一枚を出力すると、動作を止めた。そこに書かれていたのは、それまでのような細かい字面ではなく、中央にわかりやすく、大きく――『ライブハウス事業拡大計画』――
「事業……拡大……!?」
まさに経済ニュースでしか聞かないような単語が、いま、紅葉の目の前にある。
「うん、無理はあるかもしれないけれど……やるしかないかな、って」
その笑顔は、誰かを守るために戦場へ向かう兵士のようだった。負けるとわかっていても、それでも戦わねばならないときもある――カリンの瞳には不退転の覚悟が宿っていた。
そんな勇姿に、紅葉は思い出す。オーディションを受けるたびに鏡の前で自分を奮い立たせていた日々を。しかし、どれだけ努力しても結果につながらず、やがて“申し込むこと自体”が目的になり――着信があれば不採用の返信しか思い浮かばなくなっていた。
今回も、厳しい戦いになるに違いない。しかし、いまは違う。立ち向かっているのはひとりじゃない。隣に誰かいるだけで、こんなに心強いものなのか――
「膝を抱えて泣いていても何も変わらないですしね」
紅葉がそう言うと、カリンも力強く頷く。
「……うんっ!」
同じ炎が、ふたりの中に灯っていた。このライブハウスを、もう一度輝かせるために。
いまにも飛び出しそうな紅葉たちに、リリザがねぎらいの言葉をかける。
「精一杯やってきてください」
だが、ここで――紅葉はゾクっとしたものを感じる。やっぱり、いつものリリザじゃない――?
「……貴女たちが話をまとめてきたら、オーナーには私から話を通す。どんなことをしてでも受け入れさせる。だから、あとのことは気にしなくていい」
それは頼もしくもあったが――一体ナニをどうするつもりなのか――紅葉は、憐れな男に少しだけ同情していた。
早速動き出そうとしたカリンに、紅葉もまた当然のように続く。だが、意外なことに、カリンから止められてしまった。
「ご、ごめん……その格好で交渉ってのも、ちょっと……」
どうやらこれからお金の話があるらしい。いや、それは紅葉とてわかっていたことだが。しかし、実感がなかった。紅葉の上下はいつものトレーニングウェアである。日常がダンス中心に回り始めていたため――少なくとも、就活用の正装は遠くの自宅に置きっぱなしだ。それを取りに戻るまで待ってもらって――いや、あんな安っぽい上下一式では、これから動かす金額の前ではいずれにせよ場違いだろう。何より、同行したところで、紅葉には何ができようもない。
結局は、適材適所――紅葉は久しぶりにその言葉を思い出す。ダンスチーフは、ダンサーとしてここで踊り続けよう――カリンを信じて。そして、『ストリッパー』としての『ダンスチーフ』とは――その意味を、紅葉は胸のなかで何度も問い続けていた。
***
アポイントメントは三〇分おきに――話が進めばその枠を超えるかもしれないが、その際にはキャンセルの連絡がいくように事前にメールを設定してある。カリンとて、話がすんなり進むとは思っていない。
だが――ここまでとは。
一軒目はあっさりと門前払い。正直なところ、そこではこの計画が論外であるということしか情報を得られなかった。
次の打ち合わせも迫っているので、カリンはコンビニのイートインでコーヒーを飲みながら、店内で計画書を読み直す。このまま何の成果も得られずにすごすごとライブハウスに帰るのは、期待して待ってくれている紅葉に申し訳がない。
だが、二軒目も同様の結果。しかし、残りはまだ四軒ある。いきなり融資を得られることは期待していない。ただ、その足がかりさえ得られれば、今後につながるものもあるだろう。
そして、それは次の三軒目で得られた。午後六時――金融業者『ライブ・ファイナンス』――事務所全体は無機質なオフィスビルの一角に収まっていた。壁紙は灰色で統一され、窓は小さく、外の光はほとんど遮断されている。フロアの中央には、簡素なデスクと椅子がいくつか並べられているが、それらの配置も整然としすぎていて、ここで人が働いているという気配を感じさせない。応接スペースはパーティションで区切られており、狭い空間に黒い革張りのソファと小さなテーブルが一組置かれている。客は一度に一組だけ――情報漏洩を避けるための措置なのだろう。
そして、黒服の男は、計画書の表紙を捲ったところで――
「……ストリップ……ねぇ」
小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。これに、カリンは目を光らせる。これか――! ここまでは簡単に目を通したところで鼻で笑われて一蹴――糸口さえ掴めなかった。どこで引っかかっていたのかと思えば……どうやら、『ストリップ』がネックだったらしい。
「ストリップ、というのはあくまで一例であり、他の方向へのシフトも検討しておりまして」
何故ストリップがダメなのか等は、いま考えるところではない。とにかく、目前の問題を回避することにカリンは集中する。
だが。
「他の方向……と、申しますと?」
問われて、さすがのカリンも答えに窮する。それが今回の計画の軸でもあったから。
「……例えば……ストリップを“名目”とした、もう少し過激な“脱法”サービスなど……」
とりあえず、出まかせで金になりそうな話を匂わせることで話をつなぐ。が、本当にその方向で進んでしまってもマズイ。
そしてこの一往復の会話の間に、カリンは別の道筋を見出していた。
「もしかして……ストリップ事業って、他の事業者からも同様のご相談がありましたか?」
『ストリップ』に対する反応が、不自然に短絡的だった。ここまでの二軒も、『ストリップ』に反応したと考えれば、あんなに軽くあしらわれたことにも辻褄が合う。ただし、貸金業者が他の融資先について口を割ることはありえない。それでも、何らかの情報を引き出すことができれば――
と思っていたのだが。
「それはもう、雨後の筍のごとく」
黒服からの回答に――カリンは自分の浅はかさを思い知り――すでに、大幅な方向転換を余儀なくされていた。いわば、撤退戦である。
結局のところ――一時流行して、取り潰しに遭ったストリップ劇場の後釜を狙う事業者は、夜野オーナーだけではなかったのである。この様子だと、本当に、うんざりするほどの打診があったに違いない。しかし、その計画には根本的な欠陥がある――それはおそらく、取り潰しに遭った理由――それを知らなければ次の手の打ちようがない。もしくは、別の迂回策が必要となる。
「それはお時間を取らせてしまい、申し訳ありませんでしたー」
カリンは書類をまとめて立ち上がる。あっさり引き下がった来客に、黒服のほうも営業スマイルを取り戻した。
「いえいえ、これも仕事のうちですので」
しつこく食い下がったところで勝機はない。一先ず残りの業者には明日以降に日時変更を打診して――カリンの思考はすでに翌日の戦いに向かっていた。
しかし。
「あら、久しぶりにストリップ事業ですか? 最近ご無沙汰でしたけど」
ふいに背後から聞こえる女性の声。カリンが振り返ると、そこには一見この場に不似合いな女性が立っていた。彼女は穏やかな笑みを浮かべ、ゆったりと近づいてくる。カリンよりも小柄だが、豊かな胸元によってスーツのラインが強調されていた。髪は長く、滑らかに流れ落ち、表情はおっとりしていながらも、瞳の奥には深く底の見えない闇を湛えている。
彼女の登場で――場の雰囲気がピシリと引き締まった。
「社長――っ!?」
部下である黒服は当然として。
「あ、いえ、出直してきますので……」
カリンもすぐさま逃げようとしている。この女の人は――ヤバイ――人付き合いの妙というべきか、関わってはならない相手だと直感していた。
しかし、女社長はカリンの帰り道を塞いで立ち退く様子はない。
「そちらの事業計画書を、見せていただいても?」
「いえっ、出直して――」
「……見せていただいても?」
微笑みは変わらない。だが、その声音には抗いがたい圧力が込められていた。この短いやり取りだけで、カリンの目尻には涙がにじんでいる。これまで高圧的に対応してきた黒服の男でさえ、ふたりを直視できずに俯いたまま一歩も動くことができない。
カリンは、まるで赤点を隠そうとしていた落第生のように、ビクビクと肩を震わせながら、両手で計画書を差し出す。まるで、その先に確定している叱責を待つ学生のように。
金貸し事務所の重々しい空気の中、女社長は手元の資料を淡々とめくっていた。静まり返る室内には、紙をめくる音とカリンの震える息遣いだけが響く。カリンは、涙をこらえながらじっと立っていた。背筋を伸ばしていたが、両の手はずっと震えている。
しばしの沈黙のあとに女性の口から漏れた言葉は――
「……中途半端、ですわね」
空気を引き裂くようなひと言に、カリンはビクリと身をすくませる。しかし、少し緊張はほぐれてくれた。この様子なら、ここから議論が広がることはない。求められた資料は提示したのだから、あとは畳んで帰るだけだ。
しかし、女社長の問いは、今回の計画の核心を突く。
「ライブハウスの中で、ストリップを催す……あなたがたが実現したいのは、ライブハウスの存続ですか? それとも、ストリップという事業ですか?」
カリンは、一瞬言葉を失い――そして、その意味に気づいて顔を上げる。
「……突き抜けるしかない……けれど、それは……」
取り潰しとなった劇場の二の舞になるかもしれない――その覚悟を持て、とカリンは突きつけられたのである。
突如ストリップ劇場が潰された理由は――もちろん、カリンとてそれなりに調べてきた。ネット上で。しかし、そこでは一切の情報が消されており、いまなお謎に包まれている。
そこへ名乗りを上げた数多の後釜たち。彼らは、過去の栄光の“残り香”を掬おうと、表立ってはストリップ劇場とは名乗らず、しかし中身はストリップそのもの――そんなごまかしの企画書を持ち込み、金を借りようとしてきたのだろう。その結果――街の金貸したちは辟易し、この事務所にも、無数の“失敗の予兆”が押し寄せたに違いない。
ただし――カリンの計画には他社と異なる独自の要素がひとつだけあった。
「こちらの……“複数人でステージに上がる”というのは興味深いですね」
意外な言葉だった。それは、メンバーのスキル不足を補うための苦肉の策だったのに――
しかし、結果は変わらない。
「……ですが、当社が融資することはできません」
女性はゆっくりと資料を閉じて、カリンへと返しながら淡々と告げる。しかし、カリンの顔に落胆の色はない。その瞳には、新たな光が宿っていた。まるで、霧が晴れたような、すっきりとした表情で答える。
「……これはもう、事業拡大ではなく……“新事業”ですね」
女社長によって、無責任に煽られただけのような気もする。危険かもしれない。でも――膝を抱えて泣いていても何も変わらない――って、楓さんなら言うだろうな――そう思うと、カリンにも不思議と勇気が湧いてくるのだった。
***
晴れ晴れとした表情で戻ってきたカリンに、紅葉は融資の成功を確信する。さすがはカリンだ、と敬意を込めて。
しかし。
「クラウドファンディングですよ!」
その第一声は、融資が成功した者のものとは思えない。
「新事業といえばクラウドファンディング! ストリッパー・グループを立ち上げるんです!」
「……はぁ」
カリンは久々に紅葉の塩対応を見た気がする。
「なんか、反応薄いよー……」
残念そうなカリンに、紅葉は事もなさげに答える。
「だって……」
それは、カリンが融資に走り回っている間に決めたこと。
「――私は最初から、そのつもりでしたから」
たしかに、リーダーからは脱がなくていいと許可はもらっている。だが、それに甘んじていたなんて、ダンスチーフとしての自覚が足りなかった。決して、男たちからの賞賛が欲しいわけではない。ただ、他のみんなが脱いでいく中――これまで散々ポルノを売り散らかしてきた自分の裸体に、こんなところで守る価値などない――もし、次にステージに上がることがあれば、もう逃げない――そう決めていた。
しかし――カリンは見抜いている。紅葉自身さえ気づいていない恐れを。自分が裸になってしまったら――それこそ、ダンスそのものを完全に観てもらえなくなるのではないか――必要なのは、カリンや新月、あやのたちが持っている『裸に対する自意識』――それが、紅葉にはまだ備わっていない。きっと、脱ぐことならばできるだろう。しかし、それに彼女の精神が耐えられるのか――
そんな深層心理を――
「はは……心強いというか、何というか……」
無理はしないでね――そう言いたげなカリンの曖昧な反応で、紅葉は気づかされる。自分の覚悟不足を。だとしても、引き返すつもりはない。
「で、新事業で、クラウドファンディングで、ストリッパー・グループってことみたいですけど」
カリンの土産話を紅葉はそのまま連結して復唱する。カリンとしても、紅葉の今後に対する懸念は一先ず置いておいて。
「現実問題……カリンたちは、ライブハウスの一企画のために招集されただけの“専属パフォーマー”にすぎないわけで」
その言葉に、紅葉の胸にも鈍いものが響いた。――わかっている。わかっているけれど、どこかで認めたくなかった。自分が“自立したひとりのダンサー”として踊っているのではなく、“ライブハウスのダンサー”としてステージを与えてもらっている立場なのだと――
「……その上下関係を、逆転させるんですね」
「その通りっ!」
カリンは目を輝かせる。
「ライブハウスの経営を目的としたクラファンは、そもそも、このお店自体にファンベースがないと成立しません」
そんなものがあったら、今頃廃業の危機になど陥っていないだろう。
「でも……“新しいストリッパーユニットを立ち上げる”ということであれば、それは“新規事業”ってことで!」
“新規事業”と聞くと――たしかに、“クラウドファンディング”という単語も連想できる。
「つまり、面白半分で金を出してくれる人もいる……と」
紅葉の皮肉交じりの言葉に、カリンは即座に反論する。
「面白半分じゃないよ!」
カリンは一段と声高に宣言した。
「これは、“伝説を蘇らせよう”という企画なんだよ! かつてあの劇場に通っていた人たちなら、きっと応えてくれる……そう信じて!」
「で、伝説……?」
主語が大きくなると、等身大で生活してきた紅葉はどうしても尻込みしてしまう。しかし、まあ……一時期流行して、それがパッタリと途絶えたのなら、ある意味伝説かもしれない。どっちかというと、希少生物の気もするが。いや、潰されたのだから、絶滅種だろう。それを復活させるとなれば――たしかに、勝算もないこともないかもしれない。
こうして――ライブハウス・ノクターン発『ストリッパー・グループ計画』が動き出した。
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