モフっと少女の人生リスタート~白猫獣人のアイテム師は異世界に転生したい~

小鳥屋エム

第一部

第1話 目覚めてからのこと




 窓硝子を拭いていたシロイは、ふと顔を上げて外を見た。硝子越しに見える石畳の通りを若者が足早に過ぎ去っていく。彼は真っ黒なローブを着ていた。


「魔法使いだ」


 呟いたシロイの声は、十歳という年齢よりも幼く聞こえた。心細さのせいだろうか。


「魔法が上手に使えたらなぁ」


 魔法が得意であったら、引っ越してきたばかりのこの家もぱぱっと片付いたに違いない。

 残念ながらシロイに魔法の才能はなかった。才能がなくとも努力で身に着ければいいと言えたら良かったが、稀代の魔法使いと呼ばれた師匠の下で学べたのは数年だ。

 そもそもシロイが師匠に引き取ってもらえたのは家族からの虐待を見かねての保護だった。

 拾われてからの生活を思い出し、シロイは掃除の手を止めた。


「師匠、この世界に飽きたからって異世界に行かなくてもいいのに」


 長い眠りから目覚めて何十回、いや何百回、溜息をついただろうか。

 愁いを帯びた表情で、シロイは窓硝子の向こうをもう一度見た。

 石畳の道は細い。ここが馬車通りから外れているからだ。しかも王都の端にある。

 シロイが今いる家は何十年も買い手がつかなかったらしい。だからこそ、十歳の子供でも手に入れられた。

 シロイの視線は石畳から上に向かった。

 道の向かい側は色あせた煉瓦作りの壁が続く。ところどころに蔦が越境してきて垂れている。夜に見ると少々おどろおどろしい。明るい昼間であれば不思議なことに洗練された外壁だと思える。

 外壁の上空に視線を向ければ、雲一つない快晴が広がっていた。

 空の下には煉瓦塀の上部から覗く、等間隔に生えた木の樹冠だ。さわさわと葉が揺れる。葉の間から適度に光が落ちていた。丁寧に手入れされているのだろう。外側には蔦が垂れているけれど、もしかしたら庭師の計算かもしれない。


「深い森の中にいるよりはずっといいよね」


 怖い魔物に囲まれる心配もない。

 だから引っ越してきて良かったのだ。

 そう思うのに、シロイは何百回目かの溜息を漏らした。


「本当にやっていけるのかな。王都って、国の中で一番人が多い場所でしょ? そんなところでいきなり暮らすなんて無茶だよ」


 そこで顔を上げ、シロイは雑巾を手に振り返った。


「どうしてさっきから返事してくれないの。わたし一人で話してるみたい」

(おや、独り言かと思っていました)


 ひょこひょこと歩いてくるのは魔法生物のファビーだ。四つん這いだともっと早く歩けるが、二本足で歩くときは構造上の問題なのか可愛らしい動きになる。

 ファビーの見た目は貂である。実際はもう少し小さく、色も白い。その姿で彼は小首を傾げた。


(お掃除しなくとも綺麗なはずですよ? 僕が完璧に整えましたからね!)

「分かってるよ。でも、やることないんだもん」

(手持ち無沙汰、というわけですね。確かに暇です)

「うん。暇だね」


 雑巾を片付けると、シロイは椅子に座って天板に顎を乗せた。ファビーが半眼になっているのは「だらしない」と咎める意味でだ。彼は人間のシロイよりもずっと人間の作法に詳しい。

 シロイはそっと体を起こした。


「本当にここでお店をやって、生活できるのかな」

(心配性ですねぇ)

「だって、誰も来ないもん」

(まだ引っ越して三日目です。当然でしょう。商業ギルドに登録を済ませたのは昨日ですよ?)

「うん」

(宣伝もしていませんからね)

「せ、宣伝? するの?」

(しないと誰も来てくれませんよ。さしあたって、月に一度の大市に出店してみましょう)


 シロイは衝撃で天板に倒れた。ファビーが(あらら)と言いながらやってくるのが気配で分かる。彼は隣の椅子に飛び乗って、更に天板の上に立ったようだ。シロイの頭を小さな手で撫でる。


(師匠と約束したのでしょう? せっかくシロイが生きやすい世の中になったのですから、人との暮らしを楽しんではいかがですか)

「……約束してないもん。一方的に伝言があっただけじゃない。目が覚めたら、転生してるはずの師匠はいなくて『生きやすい世界に変わったから頑張って一人で生きるんだよ』って、そんな話ある?」

(一人ではないでしょう)


 顔を上げたシロイの前に、つぶらな瞳のファビーが小首を傾げて現れる。


「ファビーがいてくれて良かったけど~」

(安心しました。あなたのためにと創られた僕が『不要』だと言われたら身の置き所がありません)


 師匠は魔法魔術の研究者だった。

 転生を繰り返した末に、なんと魔法生物まで創ってしまったそうだ。それは有り得ないほどの技術らしい。ファビー自身がそう言った。

 そもそも師匠の伝言はファビー経由だ。一応、手書きのメモもあった。懐かしい癖のある字に泣いたのを思い出し、シロイはまた溜息をついた。


「師匠、いくら転生に飽きたからって、どうして異世界に転生しようと考えたんだろう。ねぇ、本当に師匠は異世界に行っちゃったと思う?」

(思いますよ)

「本当?」

(はい。とはいえ、僕が言っても信じられないでしょうが)

「信じてないんじゃなくて、信じたくないというか」


 長い眠りから目が覚めたシロイを、甲斐甲斐しく世話を焼いたのはファビーだ。彼を疑っているわけではない。シロイは口中でもごもごと言い訳した。


「師匠と会えると思っていたから、怖くても長期睡眠魔道具に入ったんだよ。目が覚めたら会えると思っていたのに」


 まさか研究途中だった転生魔法が成功し、本人が完璧だと自慢げに語った長期睡眠魔道具の方に問題が起こるとは夢にも思わなかった。

 そのせいで、シロイは三千年も眠っていたのだ。


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