わたしはピアノ

音野彼方

第1話

 わたし、電子ピアノ。

 わたしの持ち主はね、名前は……なんだっけ?

 子どもは「ママ」、旦那は「おい」って呼ぶの。本人はわたしに名前言うわけないしね。

 あ、そうそう、「さとみ」だったわ。


 付き合いは長いわ。かれこれ12年。この家の中で最古参よ。


 初めて会ったのはね、ショッピングモールの楽器店。

 若いカップルがやってきたの。さとみと、当時の彼氏よ。初々しかったわ。今はそんな面影、どこにもないけど。

 目をキラキラさせて、たくさんある中からわたしを気に入ったみたいでさ。なんとデート中に買っちゃったのよ。

 高くはないけど、安くもないのに。

 その時の彼氏の顔、今でも忘れないわね。


 そんなこんなで、わたしはさとみの相棒になった。

 一緒にたくさん、いろんな曲を奏でたわ。

 当時は彼女20代前半だったのかしら。いろんなことあるわよね。

 幸せいっぱいにラブソングのアレンジ弾いてた夜もあった。鍵盤をなぞる指が、それはもう軽やかで。一番、きらきらした音色出してたわね。こっちまでうれしい気持ちになってたわ。

 そうかと思えば、すごい顔でベートーベンの「悲愴 第一楽章」弾いてたこともあった。仕事で嫌なことでもあったのかしらね。鍵盤を押さえる指にこもる力がすごくって、受け止めるのも大変だったけど。弾き終わってさっぱりした顔を、すがすがしい気持ちで見送ったものよ。

 彼女、気持ちを演奏にぶつけるタイプだったのね。

 わたしは、そのたび彼女と一緒に気持ちを分かち合ってきた。


 わたしとさとみの中で一番印象深かったこと。それは、さとみがお母さんになったことね。

 さとみは赤ちゃんに自分のピアノを聴かせてあげたかったみたいだったけど、まぁ、理想通りにはいかないわよね。それどころじゃないみたいだった。

 昼も夜もなく起きて赤ちゃんの世話してる彼女を、わたしはそっと見守ったわ。寂しかったけど、仕方ないものね。


 その赤ちゃんも何年か経って少し大きくなって。さとみは、最近またわたしのところにやってくるようになったわ。

 やっと一緒に音楽を奏でられる。

 今度は何にする? いつも弾いてたハロー・ニュー・ワールド? 美女とモンスター? それとも、リラックスしたいなら悲愴の第二楽章かしら?


 それはそれはもう嬉しかったわ。


 でもね、ちょっと最近気になることが出てきたの。

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