第6話 橘と遊ぶ その①

 五月四日。

 俺は図書館の帰り道、後ろから声が聞こえてくる。

「どいてどいて!」

 ピンクの髪色でツインテールをしている。

 その少女は勢いよく俺にぶつかってくる。

「うわ」「ぎゃっ!」

 俺は身体をもつれさせ、少女の上に覆い被さるようにして倒れる。

「ちょっと、どこ触っているのよ。この変態!」

 眼久さんとは打って変わって、こいつはかなりの元気っ子らしい。

「耳もとで騒ぐな。うるさい」

 こいつの声のボリュームはまるでスピーカー並だな。

 胡乱げな表情を見せてくる彼女。

「このたちばなに逆らうなんて、いい度胸しているっすね」

 こいつ橘というらしい。

 そしてけっこう図太い神経をお持ちのようで。

 何を言われても言い返せる自信があるのかもしれない。

「勝手に言ってろ」

 俺は立ち上がると、自宅までの道のりを歩く。

「なんでついてくる?」

 橘を見て苛立ちをぶつける。

「あたしもこっちなんで、変態さん」

「俺は蜜貝みつかい光二こうじだ。変態じゃない」

「じゃあ、さっき胸を揉んだのはなんです?」

 頭が痛くなる思いで橘を睨む。

「お前の胸など、揉む価値もないだろ」

「はぁ!? バカにしているっすよね!?」

 スタイルはいい方かもしれんが、それだけだ。

「きー! 何こいつ!! 許せないんだけど!!」

 橘はその場で地団駄を踏む。

 こいつ暴力的な奴に見えるが。

 ジト目を向ける。

「なによ?」

「いや、怖いから近づかないでくれ」

 俺は距離をとろうと少し足早に歩く。

「暴力が大好きみたいで」

「違うから。理不尽に対して怒っているだけだからねっ!」

 橘はビシッと人差し指を向けてくる。

「知るかよ」

 俺はそう言いスタスタと立ち去る。

「あっ。待ちなさい!」

 蒼い瞳をした橘はこちらを睨んでくる。

 可愛らしい見た目をしていて、野性味あふれているんだよな。

「なによ。引きつった笑みをして」

 粗暴でがさつでテキトーな感じの橘だ。

 俺は自分のアパートに向かう。

 と橘がアパートまでついてくる。

「お前、なんなの!?」

「キミこそ、何しているの!?」

 橘は怒りを露わにしている。

 俺は自分の201号室に行く。

 橘はそんな俺を素通りし、202号室に向かう。

「って。お隣さん!?」

「みたいっすね……」

 複雑な感情を見せる橘。

 俺もきっとそんな顔をしているだろう。

「じゃあ、これで最後だな」

「うん……」

 急にしおらしくなる橘。

「ぎゃっ!」

 ドアを開けると橘は大きな悲鳴を上げる。

「ご、ゴキブリ!!」

「なんだ。そんな奴か」

 俺は靴を持ち、ゴキブリをはたく。

 べちんと潰れる音がする。

「ぅう。怖かったよ~」

 抱きついてくる橘。

 そのえぐれた双丘が俺の腕に当たる。

 まあ、意外とあるんだよな。

 そのまま離れないので、仕方なく俺は自室に入る。

「俺、着替えたいのだけど……」

 さすがに炎天下の中歩いただけはあって肌着は汗で湿っている。

 それを早く脱ぎたいのだ。

 とりあえずエアコンはつけよう。

 片手で操作し、もう片方に抱きつく橘を見やる。

「虫、苦手なのか?」

「当たり前でしょう? 好きな人なんているの!?」

 いることはいるだろ。

 まあ、反論してもしょうがないか。

 飲み物を飲みたいが、冷蔵庫を開けるのにも一苦労する。

 牛乳パックをとりだし、コップに注ごうとする。

 だが、片腕が使えないとなかなかできない。

 あまつさえ、俺は牛乳を橘に零してしまう。

 白濁とした液体を、彼女の顔にかけてしまった。

「……くさい」

「それでも離れないんだな」

「うん」

 しおらしい彼女は悪くない。

 先ほどまであった威勢がそがれ、急にメスの顔をする。

 こんな背徳感、なかなか見られないぞ。

 こいつ、顔だけは可愛いしな。

 しかしこうもくっつかれてはやりづらい。

 俺は困惑しながらも牛乳を飲み干す。

「あたしの牛乳も飲んで」

 顔にかかった牛乳を言っているのだろう。

 って、それでも無理だろ。

「いやいや。無理だろ……!」

「ぅう。なら拭いて」

「分かったよ。たくっ」

 拭いて欲しいなら離れろよな。

 俺は手短にあったタオルで彼女の綺麗な顔を丁寧に拭く。

「うん。ありがと」

 タオルで拭き終えると俺はソファに腰をかける。

 橘が若干、立ち位置を変えているのがなんだか面白かった。

 さて。俺の好きなホラー映画でも観るか。

 俺は動画配信サービスで映画を選ぶ。

 それを見ていた橘が小さく悲鳴を上げる。

 まあ気にしてもしょうがないか。

 ホラー映画を流し始めると、露骨に嫌そうな顔をする橘。

「もしかして、ホラー嫌いか?」

「当たり前でしょう!? 好きな人がいるの!?」

 虫と一緒である。

「いや。いるだろ。少なくとも俺はホラー好きだぞ?」

「頭おかしいんじゃないの!?」

「なんで罵倒されなくちゃいけないんだよ」

 俺は理解ができずに橘を睨む。

 画面では髪の長い女がテレビから這い出ていた。

「ぎゃっ!」

 悲鳴を上げて目を閉じる橘。

「分かった分かった。今止めるからな」

 リモコンを操作し、一時停止。

 そしてテレビのチャンネルを変える。

「これでいいだろ?」

「う、うん。ありがと……」

 全然覇気のない笑みを浮かべている。

 まるでさっきまで威勢の良さは置き去りにした様子。

 ちょっとムラムラする。

 顔は可愛いものな。

「エロい顔すんな!」

 腹をどつかれ、カエルが潰れたような声を出す俺。

 そっと離れる橘。

「あんたはあたしに奉仕しなさい!」

 ビシッと指をつきたててくる。

「なら、お馬さんになりなさい」

「おう、ま……?」

 慣れない言葉の響きに戸惑っていると、苛立つ彼女。

「おおん? やんのか? こら!」

 橘がキレ散らかす。

 いや、なんで逆ギレしているんだよ。

 俺にはさっぱり分からん。

 こいつ何を考えている。

「いいから、おうまになりなさい」

「あ。馬、か?」

「そう、その馬!」

 俺がジェスチャーも加えて確かめる。

 得心いった橘はテンションが上がる。

「ええ。でも、なー」

「なん。お前、あたしと遊びたくないのかな?」

 あれ。これ遊びの話だったっけ?

 俺はますます戸惑いの色を隠せない。

「馬、乗りたいの!」

 あれ。こいつもしかして子どもっぽい?

 ワガママを言って気を引こうとしているのか。

 なるほど。なら適度に従うか。

 そして後で後悔させてやる。

「いいぜ。馬だな」

「ええ! そうだよ。大人しく従えばいいんだ」

 ボーイッシュな服装に違わず、少年っぽい声で応じる橘。

「あー。分かった」

 俺は地に手をつき橘を背中に乗せる。

 とはいえ成人女性だ。それなりに重い。

 五十キロほどだろうか。

 背中に負荷がかかる。

 俺はそのまま、真っ直ぐに歩き出す。

「ほら。お馬さん、こっちに行きなさい」

 橘の指さす方向へ歩く。

 俺はタイミングを伺いつつ、しばらくこいつの自由にさせる。

 タイミングを合わせ、俺は立ち上がる。

「ぎゃっ」

 橘が悲鳴を上げるとともに、ベッドに倒れ込む橘。

「ぐへへへ。俺にいい思いをさせろよ」

「ちょっ。何を考えているんだ。この変態!」

「ちょっと痛い思いをしなきゃ分からないみたいだな」

 俺はちょっとイタズラのつもりで橘の上に覆い被さる。

「ひゃっ。ええっと。やさしく、して……ください……」

 目尻にたっぷりと涙を浮かべつつ、顔を赤らめる彼女。

 え。なんかすごくエロい顔しているんだが。

 俺やりすぎた?

「いや、ごめん。調子に乗っていたお前をからかいたくて、つい」

「へ……? へ? へー! ああ、そう?」

 混乱しているのか、うまく声が出ない橘。

 ぷるぷると震える身体を起こし、俺を睥睨する視線。

 あ。やりすぎた。

 後悔先に立たず。

 俺は今更ながらに後悔するのだった。

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