第六話:亀裂と、繋ぎとめる者
* * 前話のあらすじ * *
匿都掘削現場で、匠はMIYABIの分析に基づき、作業員の命を護る「自律掘削システム」の導入を黒田に進言する。だが黒田は「現場は計算通りには動かない」と一蹴。匠の「理想」は、黒田の「現実」という厚い壁に阻まれ、二人の対立は決定的となる。現場からも孤立し、匠は苦悩する。
* * *
完璧な二つの「理想」が提示された仮設テーブルを、重い沈黙が支配した。
遠巻きに見ていた作業員たちも、何事かと息を飲んでいる。
腕を組んだまま、地質図のホログラムを睨みつけていた
そして、その巨体を揺らし、まるで心底うんざりしたかのように、吐き捨てた。
「―――却下だ」
その一言は、春の
「……え?」
匠が、信じられないという顔で問い返す。
黒田は、テーブルに叩きつけるように両手をつき、その巨体で匠に影を落とさんばかりに
「藤林先生、あんたの頭脳が
「現場はな、計算通りには動かねえんだ、コラァ!」
「そんな実績もねえシステムに、この国の未来と何千人の命を預けられるか!」
黒田の目が、燃えるような怒りの色を宿す。
「机の上で考えたお遊戯は、大学の研究室でやってな!」
その言葉は、刃となって匠のプライドを深く切り裂いた。
匠の顔から、人の好い笑みがすっと消えた。
だが、その隣で。
静流は、二つの「正義」の板挟みになっていた。
(ダメだ……!)
先生の技術は、間違いなく未来の礎だ。彼が言っていることは、論理的に一つも間違っていない。
でも、黒田監督の判断も、分かる。今、ここで働く人々の命を預かる者として、それは当然の「現実」だ。
どちらも正しい。
正しいからこそ、交わらない。
このままでは、プロジェクトが、日本の未来が、ここで壊れてしまう。
(どうすれば……どうすれば、この二人を……!)
彼女は、唇を強く噛み締め、必死に言葉を探していた。
「……お遊戯、ですか」
静流が口を開くより早く、匠の、震えてはいない、しかし氷のように冷たい声が響いた。
「黒田さん。……それは、あんまりです」
匠は、黒田の圧倒的な圧力を真正面から受け止め、一歩も引かずに言い返した。
その瞳には、もはや技術者としての情熱ではなく、自らの「道」を侮辱された職人としての、静かな、しかし確固たる怒りの炎が宿っていた。
「この技術は、ここで汗を流す人たちの命を……護るためのものです」
「古いやり方に固執して、人の命が失われる可能性から目を背けることの方が、俺は……」
「―――間違っていると思います」
「……何だと?」
黒田の眉が、吊り上がる。
「現場を知らねえ若造が、何を偉そうに!」
「その現場で、あんたの勘が外れて死人が出たら、どうするんですか!」
理想と現実。
二人の天才の、思想とプライドを懸けた「戦い」が、今、始まった。
対立は激化し、ついに一線を超えた。
「現場はな、データじゃねえんだ! 生身の人間が、五感で、肌で感じて動く場所なんだよ!」
「その五感を、AIで拡張して危険を回避するのが、俺の仕事だ!」
「機械なんぞを信じて、人が死んだら元も子もねえだろうが!」
「あんたの『壁』が、人を死なせるかもしれないんだぞ!」
決裂だった。
匠の「理想」と、黒田の「現実」は、完全に、修復不可能なほどに断絶した。
匠の提案は、現場のトップによって完璧に否定され、彼のプラスサムの思想は、ゼロサム的な合理性の前に「偽りの敗北」を
「……もういい」
黒田は、匠に背を向けた。
そして、遠巻きに見ていた作業員たちに向かって、再び
「野郎ども、仕事に戻るぞ! 休憩終わりだ!」
「……おう!」
「監督の言う通りだ」
「なんだ、あの若いの……」
作業員たちは、黒田の「現実」に同調した。
彼らは、よそ者である匠に、冷ややかな、あるいは非難するような視線を浴びせながら、一人、また一人と、自分たちの持ち場へと戻っていく。
匠は、自らが守ろうとしたはずの「現場」そのものから、完全に孤立した。
炊き出しのテントに、匠と静流だけが、取り残された。
ご婦人たちが片付けを始める、食器のぶつかる音だけが、やけに大きく響く。
匠は、自らの正しさを信じながらも、黒田に、そして「現場」という空気に、全く歯が立たなかった屈辱に、拳を強く、強く握りしめていた。
理想を拒絶され、現場から孤立し、国家プロジェクトの最前線で「居場所」を失う。
これ以上ない、精神的な「どん底」だった。
その、張り詰めた糸が切れそうな空気を、振り絞るような声が破った。
「―――お待ちください! 黒田監督!」
静流だった。
彼女は、このまま二人が決裂することが、プロジェクトそのものの崩壊に繋がることを、本能的に理解していた。
彼女は、去りかけた黒田の巨大な背中に向かって、必死に駆け寄った。
黒田が、
その、射殺さんばかりの視線を受け止めながらも、静流は
「監督のおっしゃるリスクは、重々承知しております!」
「ですが、藤林先生の技術も、未来の現場には必ず、必ず必要になります!」
「ですから、どうか……!」
静流は、深く、深く頭を下げた。
「……本坑の進行に影響は、一切与えません。どうか、シミュレーションと……実証用の、『小規模なテストライン』を設ける許可を、いただけないでしょうか!」
黒田は、自らの前に深々と頭を下げる静流と、その後方で、未だ屈辱に拳を握りしめ、諦めていない目で自分を睨み返す匠の顔を、見比べた。
そして、天を仰ぎ、大きく、大きく息を吐いた。
「…………好きにしろ」
その声は、疲労と、諦めが混じっていた。
「ただし、本坑の邪魔だけは、絶対にするな」
黒田は、それだけを言い残すと、今度こそ、背を向けて去っていった。
現場の喧騒へと消えていく、あまりにも巨大な「現実」の背中。
匠は、屈辱と、そして、与えられたわずかな「可能性(テストライン)」を胸に、黒田とは反対の、現場の片隅へと、黙って歩き出した。
静流は、去っていく黒田の背中と、
柔らかな春の日差しの下、二つの対照的な光景が広がっていた。
一方は、黒田の怒号にも似た指揮の下、轟音を立てて進む巨大な「本坑」の掘削現場。
もう一方は、その喧騒から遠く離れた敷地の片隅で、匠がMIYABIと共に、小さな自律掘削ロボットを黙々と準備する、静かな「テストライン」。
「現実」と「理想」、二つの「礎」が、同じ場所で、しかし、決して交わらずに存在していた。
匠は、自らの小さなテストラインから、黒田が指揮する巨大な本坑の掘削を、険(けわ)しい表情で見つめていた。
隣に立つ静流が、彼の懸念を察して声をかける。
「……大丈夫です、先生。データを取りましょう。いつか必ず、あの人たちも……」
その時だった。
匠のタブレットに、MIYABIから、緊急のものではない、しかし不可解なアラートが届いた。
『――匠様。本坑の最新地質データと、黒田監督のバイタル(ストレス値)の間に、特異な相関関係を検知いたしました』
匠は、眉をひそめた。
「……黒田さん、何かに気づいているのか?」
「え?」
黒田の「現場の勘」が、MIYABIのデータすら超える「何か」――この先に待ち受ける、未知の脅威を、予感している可能性。
* * 次話の予告 * *
理想と現実の亀裂が走ったまま、匿都掘削は過酷な夏を迎える。地下1700メートルを目指す現場で、黒田の指揮とMIYABIの管制が融合し、機械たちの交響曲が奏でられる。地上では地元の人々による炊き出しが、作業員たちの心を支える。だが、その順調さの裏で……。
第七話:夏空のシンフォニー
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