第2話 泥んこ聖女、異世界に立つ
段ボールに捨てられた猫ですら誰かの癒しになるというのに、『私』ときたら。
おそらく異世界に転生する前の私は、どこか冷たく固まったひび割れたクズ粘土のような、そんな誰にも見向きもされない人間だった思う。
街の眩い明かりが消え失せた駅前。
終電を逃し、今月何十回目かになる漫画喫茶の住民になることを確定させた私――遠野美琴は、途方に暮れている真っ最中だった。
(ほんといつまでこんなことを続けていればいいんだろ)
毎日毎日、義務とも使命とも知れない残業を繰り返し。
趣味もなければ、熱中できるなにかもない。
通帳に記帳された額は右肩上がりに増え続けるばかりで、気づけばなんのために働いているのかわからなくなっていた。
「いっそ、パーっと派手に使える趣味があればよかったんだけど」
ふと駅前ホームの電柱に落ちている紙を拾い上げれば、高校生が手作りしたと思わしきイラストが目に入った。
「陶芸教室の生徒募集中、ね」
そういえばそろそろ実家に帰る時期だったっけ、と思い出し、スマホの予定帳を開けば『盆休み』と書かれていた日付はとっくに過ぎていた。
代わりに母親から『帰ってこないの?』というDMが届いていたが、
「――帰りたくても帰れないんだよなぁ」
スマホの電源を切り、ドカリと花壇のふちに座りこむ。
きっと幼い頃の私が見たら絶望していたことだろう。
くたびれたスーツにベッタリと肌に張り付くシャツ。
スマホの画面に映る顔には隈がくっきり浮かび上がり、土くれのように色が悪い。
「そういえば、しばらく土とか触ってないっけ」
昔は毎日のように触っていたんだけどな。
そういって懐かしむように花壇の土に触れれば、故郷の記憶が呼び起こされた。
寡黙な祖父と共に、土いじりをしていたのは遠い昔の話。
だけど、その色あせた記憶の底にある柔らかい感触は、いまも私の奥底でくすぶり続ける青春のすべてだった。
『陶芸』
それは粘土を望んだ形に成形して高温で焼成することにより陶磁器などを作る技術のことだ。
パッと見れば、ただ土をこねて、形を作るただの粘土遊びに見えるだろう。
だけどわたしはこの泥遊びを、誰にも見向きもされない無価値なものに意味を与えるこの世で最も尊い行いだと思っている。
そんな思い出の中で果敢に土と対話する祖父の姿は、中学生当時――あまり人付き合いのうまくなった私の憧れだった。
無口で滅多に人と関わらない祖父の無骨な手から作り出される作品の数々。
粘土をこね、形を整え、窯で焼きあげて、初めて命が宿った時の感動はいつ思い出しても忘れられない。
窯から焼きあがった皿や壺は、どれ一つ同じものはなく、私は幼いながらに、陶芸の魅力に取りつかれていた。
『いいか美琴、忘れんじゃねぇぞ。土ってのは命そのものだ』
それが祖父の口癖だった。
『俺たちが命を吹き込むんじゃねぇ。土が俺たちに自分の形を教えてくれるんだ』
『どうやってうまく作れるかぁ? んなもん、美琴がきちんと土と向き合って、願いを込めてりゃ、おのずと土の方から導いてくれる』
そういって事あるごとに粘土を触らせてくれた。
いまにして思えば、あれは不器用な祖父なりに人付き合いの苦手な孫娘を思いやってのお節介だったのかもしれない。
だけど初めて自分の手で不格好な湯呑みを作ったとき、私の心はどうしようもなく救われていた。
「……懐かしいなぁ。私もよくじいちゃんの手伝いをしては、子供たちに教えてたっけ」
自分なりに粘土をブレンドしては、寝る間も惜しんで釉薬の配合や成型方法に頭を悩ませたり、祖父に薦められる形で名のある品評会に作品を出して、入賞したりしたこともあった。
ゆくゆくは「いつかじいちゃんみたいな陶芸家になる」と少女に似つかわしくない夢を口にしたものだ。
だけど現実は非情で、夢はしょせん夢だった。
『――残念ですが思った以上に火傷の深度がひどく、指はもう以前のように動かないかもしれません』
予期せぬ落雷に打たれ、作業小屋も、大好きな祖父も何もかも失った火事の後。
医者の残酷な宣告に、私の陶芸家としての夢は閉ざされた。
そしてこれまで青春のすべてを陶芸に捧げてきた女子高生に、『普通の女子高生』との人付き合いなど出来るはずもなく。最近の流行すら知らない女子高生がクラスから孤立するのは、そう時間がかかることではなかった。
そうして次第に周りに馴染めなくなった私は友達すら作れず、唯一の心のよりどころだった祖父の死も受け入れられず、卒業と同時に逃げるように田舎を飛び出した。
そして陶芸家の夢を諦めてどのくらいだっただろう。
今では冷たく凝り固まった粘土のように、身を縮めて生きている。
「……もしあの時、勇気を出して諦めず陶芸家の道に進んでたら、どうなってたのかな」
不意に飛び出した未練の言葉に驚いて、慌てて首を振るう。
(いいや、――いまさら、なに都合のいいこと考えてるの)
この火傷がもう二度と直らないように。
自分が無価値になることを恐れて、大好きなものすべてから目を背けて逃げた人間が、いまさらもう一度陶芸に関わりたいだなんてどの口が言えるわけ?
「いけないいけない。つい、二十連勤が続いてて変なこと考えちゃった」
無理やり勧誘チラシから目を背け、気合を入れなおすようにして立ち上がる。
明日も残業確定なんだし、はやく休まなきゃ。
そして、ぼんやり痛む頭を押さえながら「今日もネカフェかな」と青信号の横断歩道を渡ろうとすれば、――不意に花壇の中から黒猫が飛び出すのが見えた。
赤信号。悲鳴を上げながら蛇行するトラック。雪崩れ込むように堕ちてくる花瓶。
全てがスローモーションに流れていって――
『だめえええええええええええええええっ!』
思わず、言葉にならない声を上げ、『わたし』はベットから飛び起きるように目を覚ました。
白い天井が視界に飛び込み、涙で視界がにじみ出す。
ドキドキと高鳴る心臓が落ち着いてくれない。
やけにリアルな夢だったけど、
(あれ? わたし、いったいなにしてたんだっけ?)
たしか初めてハイハイできるようになったんだよね?
それが嬉しくて、屋敷の中で飼っている黒猫を追いかけようとして、それで――。
(うん? なんか見覚えのない記憶が混じってない?)
と思ったら隣から思わず泣きそうになっている知らない女性たちの声が飛び込んできた。
「ハイネ様⁉ お目覚めになられたのですね!」
「急に倒れられて驚きましたが、無事にお熱も下がられてなによりですわ!」
「早くザナスティに連絡を!」
ハイネ? 貴女はいったい何を言ってるの?
『私』の名前は美琴なんだけど。
それにわたしのおじいちゃんはもう死んでるはずじゃ。
だけど声がうまく出ない。
それどころか自分の視界の中で、やけに小さい腕がチラチラ動くのが見えて、わたしの頭をさらに混乱させる。
あれ? なんでわたしのおてて、こんなに小さくなってなるの?
というか火傷の痕もなくなってるし、なんか体が思い通り動かないんだけどっっ⁉
(こ、これってまさか――)
そうしてわたしは恐る恐る、窓ガラスに視線を向ければ、そこには稲穂のような薄いプラチナブロンドの髪をした赤ちゃんと目があって、
『も、もしかしてわたし、異世界転生してるうううう⁉』
赤ちゃんベットに横たわる、わたしは言葉にならない叫びを上げて、第二の生――ハイネ・レイベリオンとしての産声を上げるのであった。
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