第2話 『あれ』が気になる

『あれ』ってなんだ?


帰り道に必死に思い出そうとするが、なかなか思い出せない。これが歳をとるということだ。

そして、家の前にきてドアノブに触れたとき、一瞬心臓をつかまれた感覚が押し寄せる。


「しまった…夕食済ませること連絡してないじゃん…」


とはいえ、時間は前しか向いていない。ドアノブをひねる以外に選択肢はない。


「…ただいまぁ」

そっとドアを開き、のぞき込むように玄関に入っていった。


「おかえりなさい。ちょっと遅かったね。お疲れ様。ごはん食べるでしょ?」


妻の言葉が胸を射抜く。


「ごめん…。食べて来ちゃった。つい、学生の時…」

と言い訳を始めることすら許さんとばかりに、言葉を遮り


「はい?なんで連絡くれないの!?作っちゃってるじゃない!」


心の中で(ですよね?)と思いながらも、非があるのは自分なのでこれ以上の言い訳は控えた。

謝るしかない。これも営業のスキルなのだろうか、自然と「すいませんでした」と敬語になっていた。


ブツブツと文句を言われながらも、不思議といつも以上には責めてこない。

恐る恐るリビングに向ってる途中から、この老若男女関係なく誰もが好きな香りで理由はわかった。


なるほど。

カレーなら明日の朝でも食べれるし、一品ものじゃないから無駄にもならない。

妻の今日の態度が腑に落ちた。


その時。

店主の『あれ』という言葉が頭をかすめた。


「あっ…」


頭の中で記憶の糸が結ばれていく。


「カレーだ。あのお店、確かカレーが…あれ?なんのカレーだっけ?」


繋がりきらないその糸に、むしろモヤモヤは募っていく。


(スッキリさせてくれよ…)

思わず、店に行く前と同じようなため息がこぼれた。


翌日の朝の熟カレーは絶品だった。


「ありがとう。おいしかった!」

もちろん、妻のご機嫌は最優先だ。


「ちゃんと、今度から食べてくるときは連絡してよね!」

釘を刺されるも、自分は砂かと思うくらい、すぐ抜けてしまう。

男とはそうゆう生き物だと自分を慰めながら、またいつもの道を踏みしめた。


定時近くになり、そわそわが収まらない。『あれ』が思い出せないということがこんなに苦悩とは。

さすがに2日連続は…。とは思いつつも、妻にLINEを送った。


優斗「ごめんなさい。今日もご飯食べてくね(汗)」(送信)


既読とほぼ同時に、なぞのキャラクターが敬礼をしたスタンプが送られてきた。「了解」と。

普通なら、2日連続は怒るよなぁ、と思いつつも、この妻の寛大さに愛しさと感謝の意を込めて、スマホに向かって拝んだ。


ピコっと着信音がなった。


美紀「明日もいらないんでしょ?どうせ」


メッセージが送られてきた。あっ、怒ってた。


優斗「今日だけっ。ごめんね!」(送信)


それからの既読スルー。よし。帰ったら笑顔で謝ろうと、心に誓い、堂々たる決意で定食屋ケンちゃんに向かった。


――カラン


「いらっしゃい!」


まるでタイムスリップしたかのように、昨日のシーンをなぞっていた。


「おぉ!連日かい?家族とか大丈夫?」

今日もこの軽口は健在だ。


「大丈夫大丈夫。昨日は閉店間際にすいませんでしたね」


「なんもだよ」

と、オーダーをテキパキとさばきながら器用に返事をしてくれた。


ビールを頼んで、店主の手がすきそうな合間を見計らって、聞いてみた。


「昨日言ってた、『あれ』ってなんでしたっけ?ずっと気になっちゃって」


「そうくると思ったよ。てことは、忘れちゃってるってことだよね。でも、これは教えられないよ。」


まさか、「教えられない」といわれるとは想定外だ。


なぜ…。

ちょっとショックを受けながらも気もそぞろで何気ない会話をして、会計を済ませた。


「意地悪で言ってるんじゃないんだよ。それだけ特別ってことさ。親父の代からね」


答えが聞けないってことは確定た。

そのことに想像以上に落胆の表情が見て取れたのだろう。

店主はこういった。


「…うち、土曜日もやってるから」


何の宣伝だろうと思いながら

「はぁ…」


と気のない返事をしてして店を出た

…きっと何かあるのかな。土曜日だ。土曜日の昼に来てみよう。

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