8月31日は選ばれた1人だけが登校する

まだ学校だよ

浅野 沙耶 18歳

2022年 8月30日

沙耶さや、学校から電話かかってきてるよ」


 眠る私の肩を叩いたのは、母の声だった。

 ぼんやりとした意識は、窓越しに聞こえる蝉の声で、残酷に叩き起こされる。

 ベッドから体を起こすと「沙耶!電話!」と1階のリビングから叫ぶ母の声が聞こえる。


「なんだってー!」

 負けじとベッドの上から大声を出した。だが、母から返事はない。

 私は、寝癖だらけの髪を掻き毟って、癇癪混じりにベッドを降りた。

 1階にいる母に聞こえるよう、踏みつけるように床を歩き、階段を降りる。

「うるさい!」

 母のピシッとしたひと言に、やり場のない苛立ちが湧き上がり、歯を食いしばって「んんんん!」と悶えた。

 それから、軽く深呼吸をして、リビングの扉を開ける。


「あんたいつまで寝てるの。ほら、担任の先生から電話」

 私は、何も答えずに、母のスマホを奪い取る。

 画面を見ると保留はされておらず、母と私の無意味なやり取りは、無情にも担任に筒抜けだったと悟った。

 私は、顔から火が出て、髪の毛が逆立っているのではないかと思うほど恥ずかしさを感じる。けれど、あくまで冷静さを保って電話に出た。

「もしもし?」

『おぉ、夏休み中に悪いな。ちょっと頼みたいことがあって』

 私は電話越しの担任の声に、、と思った。

 男性の体育教師である担任なら、私と母の声を馬鹿にしてくると思った。だが、気にも止めずに、淡々と要件を伝える。

 担任の予想外に、一拍返事が遅れた。

「頼みたいこと? 夏休み、明日で終わりですよ?」

 担任は微かに沈黙した。それから、大きく息を吸って答える。


『だからだよ。新学期が始まるからお願いしたいことなんだ』


 その声はとても低くて、聞き取りにくいと感じた。

 それなのに、凄く鮮明に私の中へ入って行った。

 耳で情報を聞いて、それを頭で理解するのではなく……もっと直接的で、反射に近い感覚だ。

 だからだろうか。


 ——私の全身を這うような不気味さを感じてしまったのは


    *


 お昼ご飯を食べた後、まだ太陽が高い位置から照る時間に学校へ訪れた。

 夏休みの校内は、独特の空気に包まれ、私は平日の図書館を連想する。

 何度も登校して、何度も授業を受けているはずの教室が、この世に存在しない場所のように感じる。

 開けられている窓から引き戸を通って生暖かい夏の風が吹き抜ける。

 それが、私の髪を撫でた。

「急に来てもらって悪いな」

「いえ」

 慣れ親しんだ教室で、私の対面に担任が座っている。

 学生用の机に座る先生は、場違いのおもちゃのようだ。

 子供のおままごとでお父さん役にされている怪獣のソフビ人形。


「この学校には、夏休み最終日にやらなきゃいけないことがあってな」


 夏の空気で満たされた教室へと溶け込むように担任は口を開いた。

 彼の視線は、誰もいない校庭に向いている。


「掃除とかってことですか?」

 私が質問を投げ掛けても、他人は視線を動かさない。

 そういえば、やけに今日の担任は爽やかに思える。

「いや、掃除ではないな。ちょっとした決まりというか……」

 担任の話は要領を得ず、歯切れが悪い。

 それとは対照的に、担任の着ているスーツはシワひとつなく、パリッとしていた。


 ——あぁ、そうか。


 私は、担任に感じていた爽やかさの正体に気が付く。

 彼の装いは、まるで、この為だけにめかし込んでいるようなんだ。

 

 ——私に、何かを伝えるためだけの正装


「この学校には、夜鷹よだかと呼ばれる存在がいる」

 担任は、小さく囁いた。

 窓から入り込む蝉の声に掻き消されてしまいそうな程、小さな声で。

「夜鷹ってなんですか?」

「本来、存在してはいけない者達の事だ」

 私は、笑いそうになる。だが、それを噛み殺して、言葉に変える。

「それ、本気で言ってます? 存在しないって先生、自分で言っているじゃないですか」

「存在じゃない、存在だ」

 担任の言葉に、もう笑いそうにはならなかった。

 言葉を一つ一つ真剣に言う彼の空気のせいだ。

 そう言った後に、彼は校庭に向けていた視線をゆっくり私へと向ける。

 

 私を見つめる双眼は、怒っているように思えた。

 いや、それだけじゃない。

 私は、この双眼を1度見たことがある。


 自分の父が死んだ時の母の瞳と全く同じだ。


「……その夜鷹に何をすればいいんですか?」

「ただ気づかないフリをすればいい」

「気づかないフリ?」

「あぁ、8月31日から9月1日になる瞬間まで、ただ気づかないフリするんだ」

 担任は、大きく息を吸って、それを吐き出す勢いに任せて話を続ける。

「何を言われても、何が起こっても、何が現れても——気づかいフリをしろ」

 私は、十分な沈黙を待った後で、答えた。

「どうして私なんですか? 先生も一緒にいてくださいよ。私、なんか怖いです」

「これは学生じゃなくちゃいけないんだ。そういう決まりなんだ」

「決まりって...なら、私じゃなくてもいいじゃないですか」

 担任は、大きくため息をついた。

 首を下げ、右手の人差し指で鼻先を掻く。

 それを見て、私の背筋が伸びた。

 これは、担任が誰かを叱りつける時の予備動作のような物だ。

「別に、お前がやらなくたっていいんだぞ。だが、代わりになるのは、お前の親友の子だ」


 担任のその言葉だけで、全てが決まった。

 

 明日の23時から0時までの1時間——私は、夜鷹と呼ばれる存在に気づかないフリを続ける。


 夜鷹は、代わりを探している。

 夜鷹は、現世に入り込もうとしている。


 私は、最後に担任へある質問を投げかけた。

「もし、私が夜鷹に気づいてしまったら、どうなるんですか?」

 担任は、私をじっと見つめて沈黙した後、ゆっくり答えた。

「8月32日に連れて行かれる」


 8月31日は、18歳以下の自殺率が最も高いらしい。

 それから、この学校でも、数年に一度、9月1日を迎えない生徒がいる。


 夏休み前の全校集会で流し聞していた話を、私は今になって思い出した。


 

 

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