第9話
翌朝の鏡の中の僕は、見事なクマだった。目の下が真っ黒。父は「殴られたか?」と心配し、母は「コンシーラーあるわよ」と笑った。対して、ほのかは通学路で会ったとき、いつも以上に元気そうだった。肌はつるつる、髪は艶々。夜通し歌っていたはずなのに、どんな魔法だよ。
「おはよ、熊」
「誰が熊だ」
「わたし、クマだらけの湊、好き」
「前言撤回しない?」
「しない」
学校へ向かう道。朝の光に街路樹が透けて、鳥が少し遅れて鳴き始める。僕らは歩幅を合わせた。僕はギターのケースを背負っている。彼女も同じく。制服にギターケース。似合わないようでいて、意外と似合う。
「クラス、ざわつくかな」
「ざわつくよ。――でも、今日は笑う」
「笑顔、封印は」
「解除。必要なときだけ」
「危険物の取扱注意で」
「はーい」
校門をくぐると、案の定、視線が集まった。僕のクマに対する視線と、彼女の存在に対する視線。僕らは一緒に教室へ入った。担任が二度見したあと、三度目で笑った。
「二人とも、元気そうだな」
「元気です」
「元気です」
席につくと、周囲が口々に話しかけてくる。彼女は一人一人に目を合わせて、短く答える。笑顔は薄く、でもたしか。僕はその横顔を見ながら、心のどこかで「守る」よりも「並ぶ」のほうが正しいのかもしれないと考えていた。
昼、購買に行く。再挑戦。今日のおばちゃんは、僕らを見るなり片目をつむった。
「特別割引は、ないからね」
「普通に買います」
「はいはい。いらっしゃい」
彼女は今日、メロンパンだけをトレイに載せて、レジで「ありがとう」と小さな声で言った。行列は……ざわつきはしたが、崩れはしなかった。おばちゃんは淡々と会計して、彼女は淡々と受け取った。
普通の練習は、少しずつ、成果を出し始めていた。
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