【2】

 最近、清水さんの機嫌が悪い。例の、スーパーまるやまの広告があまりうまく行ってないみたいだ。

 「まるやまって、男の人はあまり使わないもんね」

 毎日のように利用しているお店だけれど、男性のお客さんをみることはめったにない。そもそも、この地域は都心で働くビジネスマンの家庭が多くて、スーパーまるやまの利用者はそのほとんどがいわゆる専業主婦だ。男性に向けた広告の効果が薄くても仕方ないとは思う。まるやまに寄るたびにそんなことを感じていたので、つい思った通りのことを言ってしまったけど、清水さんの表情がみるみるうちに険しくなるのを見て、しまったと思った。

 「は?俺のマーケティングが下手だって言いたいの?」

 私は慌てて弁解する。

 「そうじゃないよ?清水さんがあの広告にどれくらい思いを込めていたかはわかってる、ただ…」

 「お前に何がわかるんだよ!」

 思わず肩が強張るのを感じる。清水さんがこうなると私が何を言っても無駄だった。私は必死でごめんなさいごめんなさいと繰り返すしかない。

 どうしていつもこうなっちゃうんだろう。清水さんは、私の感性が好きだと言ってくれる。奈緒と一緒にいると、自分にはない発想が得られて楽しいと言ってくれる。だから私もうれしくなって、自分が感じたことを素直に伝えようと思っているのに、どうしてだかいつも清水さんを怒らせてしまう。


 新しくできる塾のPR記事作りの仕事が回ってきたのは、その翌日のことだった。清水さんと喧嘩したばかりだったから、余計に気まずかった。地元の地域情報誌発行がメインの今の会社を選んだのは、いつかは広告の仕事がしたいと漠然と思っていたからではあるのだけど、清水さんにはまだクリエイティブは早いと言われている。普段は事務仕事がメインの私が、ごくたまに制作の仕事を手伝うと不満そうにする。ただ、この仕事の気が進まないのはほかにも理由があった。

 「喜多村さんって教員免許持ってるんでしょ?だったら塾のことも結構わかるだろうって思って」

 編集課長の永井さんにそう言われて断れなかったけど、私が教員免許を持っているのに教職につかなかったのは、自分が教師に向いていないとわかってしまったからだ。学校にせよ塾にせよ、教える仕事をしている人と接しているとみじめな気持ちになってくる。


 永井さんから聞かされた住所の場所は古いビルの一室で、「フリースクール・まなびのいえ」と書かれた看板だけが新しかった。塾だと言われていたのは、年配の永井さんには学習塾とフリースクールの区別がつかなかったからだろう。

 「どうも、お忙しいところありがとうございます。中溝といいます」

 にこやかに出迎えてくれたフリースクールの責任者は、私と大差ない、30代くらいの若い男の先生だった。はきはきとした喋り口調のなかに、わずかに関西弁のアクセントが感じられる。

 「マチカド情報通信社の喜多村です。本日はよろしくお願いします」

ぎこちなく名刺をさしだすと、中溝さんも「ああ」と思い出したようにデスクまで自分の名刺を取りに戻った。

 「まなびのいえ」はビルのワンフロアにあって、2つの教室と本棚やソファーのあるフリースペース、私が今案内されてているこじんまりとした応接室に分かれていた。教室では子どもたちが授業を受けているらしかったが、みんなタブレットを手に持っていて別々な作業をしているのを、先生らしき人が見て回っている。いわゆる学校や塾の授業とは趣が違う。フリースペースでは、自由に漫画を読んだりスマホで動画を見たりしている子もいる。

 「うちではAIを使った学習アプリをつかっているので、みんな一斉の授業というのはしません。今は数学と社会の授業をやってますけど、単元も難易度もバラバラです。スタッフはタブレットの操作を教えたり、生徒のやってる課題がレベルに合ってるか確認したり、学習プランの相談をしたりっていうのが主な仕事で、まあ先生っていうよりはチューターに近いですね」

 「いま、生徒さんは何人くらいですか?」

 教室には10人ほどの生徒がいるようにみえるけれど、フリースクールであればすべての生徒が毎日通うとは限らない。

 「中学生が19人、小学生が8人ですね。いずれは高校生も、と思ってます」

 「サポート校にするっていうことですか?」

 「そうそう。今の学校教育って全然時代に合ってないでしょ?子どもたちのニーズに応える、新しい学校が必要なんです」

 中溝さんの熱気が伝わってくる。私とそれほど変わらない年齢だと思うのだけど、こんな風に自分の信念を熱く語れる人がいるのかと圧倒される。とはいえ、今の時代フリースクールやサポート校はたくさんある。この近くにも似たような学校は、普通の人が興味を持っていないだけで実はいくらでもある。そういう競合とどうやって戦っていくつもりなのだろう。私がそれを聞くと、中溝さんは我が意を得たりとばかりにますます熱心に語りだした。話に熱が入ると、関西弁のアクセントが強まるようだった。

 「ひとつはAIの活用です。もう一つは福祉との連携。我々はもともと、放課後デイサービスをやっている会社でして、社会福祉士や公認心理士の資格を持ったスタッフも在籍しています。福祉のノウハウを持った会社が母体になっているので、発達障害みたいな特性を持ったお子さんのサポートもばっちりですよというのが強みですね」

 その後も中溝さんは、自分の学校や日本の教育の未来について熱心に話してくれた。ただ、私にはどういうわけかいまひとつ、PR記事として魅力のあるものを作るイメージが湧かなかった。

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