第3話: 秘書・柴崎の証言

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《週刊誌WEB記事より》


『佐久間修の謎──「理想の経営者」の死に、政財界に波紋広がる』 “冷静沈着な戦略家でありながら、晩年は文化福祉に心を傾けた男。


複数の関係者が「完璧すぎる人」と語る一方、ネット上では「感情の見えない人物だった」との声も──


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報道の熱は冷めやらず、「謎」「衝撃」「真相」という言葉が、見出しに踊っていた。だが、どれ一つとして彼の素顔を映してはいなかった。


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葛木は、手帳にこれまでの証言を整理していた。


彼を讃える言葉は多い。  

財界、文化人、政界、教育界。  


だが、彼の“人となり”を語れる者は──いなかった。


最も近くにいたはずの妻さえ、「何もわからなかった」と言った。


ならば、彼を“最も長く見てきた他人”に話を聞くしかない。


柴崎玲奈。

佐久間の秘書を十年以上務めた女性だった。


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平日の午後、千代田区紀尾井町。ガラス張りの高層オフィスビルの一室。


佐久間修が代表を務めていたコンサルティング会社の本社だった。現在は妻の佳織が臨時の代表を務め、社内整理が進められている最中だった。


会議室の一角には、いくつもの段ボールが積まれている。

静まり返った室内は、まるで“遺品整理”の現場のようだった。書棚は空になり、壁にかかっていた絵もすでに外されていた。応接テーブルと椅子だけがそのまま残されている。


「……あの人の話、ですか」


柴崎は、薄く笑った。  

淡いグレーのスーツに身を包み、整った姿勢のまま、応接室の椅子に腰掛けている。


「正直に申し上げて、私、彼に何か“特別な感情”を持ったことはありません。仕事相手としては、非常に優秀で、指示も明確でした。でも……それだけです。」


淡々とした口調だった。


「彼は、常に合理的でした。社員に感情的になることもありませんでした。怒る姿も、笑う姿も──私、見たことがありません。」


葛木は質問を挟まない。ただ、彼女の話の端々に浮かぶ“空白”を拾い続ける。


「彼のことを、“聖人”のように言う人がいますよね。ですが、あれは……ただの投影だと思います。皆、自分の見たいものしか、見ていなかった。」


葛木はその言葉に、わずかに眉を動かした。


「あなたは、佐久間さんの“本当の姿”を見たと思いますか」


沈黙。


柴崎は、わずかに目を伏せた。


「……私も、結局、彼のことを何も知らなかったんだと思います。十年以上、一緒にいたのに」


言葉のあと、彼女の視線が宙をさまよった。わずかに噛み締めるような表情が、初めて感情の影を帯びた


葛木はメモを閉じた。


「他に、彼に近しかった人物は」


柴崎は少し考えたあと、言った。


「根岸淳さん。今は独立されていますが、以前は部下でした。社内で唯一、彼に“言い返した”ことがある人です」


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《SNS投稿より》

「佐久間修? 神格化されてるけど、昔から冷たい奴だったよな」


「いや、俺はあの人に救われたことある。表裏あるのは人間として当然だろ」


「死んだ後に美化すんの、やめたほうがいいって」


「同じ職場にいたけど、最後まで何を考えてるのか分からなかったな」


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葛木は、スマートフォンの画面を見つめたまま、そっとため息をついた。


彼らは皆、語っている。


だが、誰一人として──“彼の内側”には触れていなかった。

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