怪物と呼ばれた俺は…

新刊ミヤノ

第1話 


人混みの中にいても、セナはいつも独りだった。




夜の街灯が滲む。縫ったばかりの傷痕が、痛みを通り越して鈍く熱い。

喧騒の向こう、遠く離れた高校の教室の窓明かりが揺れていた。

彼がそこに“居るべき人間”かどうか──もう何年も前に答えは出ていた。


だが、それでも彼は通っていた。理由は一つ。“彼女”が、そこにいるから。




「ベル…」




その一言だけが、血と煙の中で荒みきったセナの日常に、わずかな温もりを灯していた。


セナの本当の職業は「高校生」じゃない。彼は政府の地下組織に所属する非公開の諜報員──いや、“処理班”だった。

裏切り者の粛清、情報奪取、破壊工作──

どれも法に触れてすらいない、法の外側にある世界で。


今日も、彼は一人殺した。

呼吸と鼓動の区別がつかなくなるほどに、無感情で。



それでも、家路に着くたびに、思い浮かべるのは彼女の顔だった。




ベル。

かつては隣の家に住んでいた。

かつては、彼の頬を撫で、名前を呼び、泣いてくれた。


「セナ……その傷……」

「大丈夫。大したことない」

「……嘘だ。そんなの……大丈夫なわけない……!」




──あれは、まだ恋人だった頃のこと。


だが、セナが“裏の世界”へと姿を消してから、二人の関係は、少しずつ歪み始めた。




それでも彼は望んでいた。

ベルだけは、自分を信じてくれると。

たとえ誰も信じてくれなくても。

たとえ、忌まわしいと避けられても。




それは、セナが“人でいられる”最後の糸だった。




自宅に帰る──『ただいま』という声は無い。

親はいない。いや、正確には捨てられた。言葉の通じない他者たちの中で、セナは「怪物」と呼ばれていた。「差別」の意味すら、感情の泥に沈んでいた。


それでも──



『生きて、また明日も、ちゃんと会ってね』

『……また、ちゃんと隣にいてよ』




ベルの言葉が反芻する。──その一言だけでだけで、セナは、生きようと思った。


だがそれは長く続かなかった。





鉄のにおいが、雨のように降った。




路地裏に、崩れ落ちるベルの影。

彼女の制服は切り裂かれ、胸元には深い傷が走っていた。

「こいつが、セナの女か…いい見せしめにしてやる!」


 ベルの周りには武装している男が3人、この男はセナがマークしていた敵組織の残党だった。セナに組織を滅ぼされた恨みか、セナの恋人であるベルを人質にとろうとしていた。

「……っ……やだ……たすけ……て……」

震える指先が、虚空を彷徨う。


セナが駆けつけたのは、そのわずか数秒後だった。

闇に溶けるように姿を現したその目は、怒りでも悲しみでもない。ただ、殺意だった。



---


「そこから──彼女に触れるな」



刃が閃いた。


セナは、敵の一人の首を刈り飛ばした。


刃が閃いた。

武装した男の一人が、セナに突きを放つ。


「死ねやぁッ!」


鋭い刃先が胸を狙う――

次の瞬間、セナは半歩だけ前へと踏み込み、男の手首を掴んだ。


「……遅い」


掴んだ手首を強引にひねり上げる。

男の体が軸ごと持ち上がり、バランスを崩す。


「ぐあッ!? 腕が……ッ」


そのまま、手首をへし折るように極めて床へ叩きつけた。

鈍い骨の砕ける音が、路地裏に響く。


「ギャアアアアアッ!」


男は地面を転げ回り、断末魔を上げる。

セナの眼差しには一片の揺らぎもない。


「邪魔だ」


呻く男の顎に蹴りを叩き込み、脳を揺さぶる。

その瞬間、力なく体が弛緩し、絶命した。



「クックソ!!」


残った一人の男は刃物を逆手にとって、ベルを狙って

刃物を振り下ろそうとする、セナは咄嗟にベルを庇うように覆いかぶさった。

次の瞬間──


ザクリ、と音がした。

敵の短剣が、セナの左頬を裂いた。




血が飛ぶ。

視界が赤く染まる。

耳鳴りがする。

だが、それでもセナは止まらなかった。


「ッァアアアアア!!」




三人、五人、七人──

数など、もう覚えていない。

ただ、ベルに向けられた全ての“悪意”を殺すように、

セナは、怪物のように動いた。




そして──

戦いが終わった時。

その場に残ったのは、瓦礫、死体、そして……恐怖に震えるベルだった。


彼女は立ち上がり、セナの顔を見た。

血だらけのセナ。

額から目の下まで、真っ赤な裂傷が走る顔。


「……あ……」

「……ベル……無事、でよかった……」




セナが、微笑もうとした瞬間。


彼女の瞳が揺れた。




それは──かつて、セナが“拒絶された”ときに見た、

あの **「怪物を見るような、怯えた瞳」**だった。


「──セナ……あなた、なに……なの……?」




その問いは、

セナのすべてを砕いた。


ベルは、そのまま、崩れるように気を失った。






セナは、動けなかった。

その場に膝をつき、ぼろぼろに砕けた心を、

誰にも見せず、ただ、唇を噛んだ。




「また……同じだ……」


拒まれた時と同じ。

化け物を見るような目。

「俺は──俺は、守ったのに……」


なのに、なぜ、

一番守りたかった君の瞳が、

一番、俺を壊すんだよ……。




セナは泣かなかった。

涙は、もう乾ききっていた。




でも、あの瞳の記憶だけが、

また彼を深い深い孤独へと、引きずり込んでいくのだった──

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