EP 36
月なき夜の仕事
三日後の夜。
雲が月を覆い隠し、エターナルの街さえも深い闇に沈んでいた。
ゲドン男爵の屋敷は、その闇の中でさえ、富と権力を誇示するようにそびえ立っている。だが今夜、その傲慢な牙城に、四つの影が静かに忍び寄っていた。
黒装束に身を包んだ優斗、モウラ、エリーナ、そしてヴォルフ。彼らは、耳に装着したエリーナ作の通信機から聞こえる、互いの息遣いだけを頼りに、闇に溶け込んでいく。
『……ここだ』
ヴォルフの囁き声が響く。目の前には、屋敷の地下へと続く、古い水道の入り口が不気味に口を開けていた。一行は音もなく中へと侵入し、湿った暗闇を進んでいく。先頭を行くヴォルフの、狼の如き土地勘だけが頼りだ。
やがて、一行は屋敷の厨房へと通じる格子戸の下にたどり着いた。ヴォルフが特殊な工具で音もなく錠を外すと、四人は邸内への侵入に成功する。
『見張りだ。二名。10メートル先を右に曲がってくる』
ヴォルフの警告と同時に、一行は物陰に身を潜めた。やがて、欠伸をしながら二人の警備兵がやってくる。モウラとヴォルフは、アイコンタクトだけで互いの意思を確認した。
次の瞬間、二つの影が同時に飛び出す。モウラは、相手の首筋に正確な手刀を叩き込み、ヴォルフはもう一人の口を塞ぎながら急所を突く。二人の兵士は、声も出せずにその場に崩れ落ちた。
『……よし、書斎は三階だ。行くぞ』
一行は、まるで一つの生き物のように連携し、屋敷の奥深くへと進んでいく。魔法の罠はエリーナが解除し、物理的な錠はヴォルフがこじ開ける。順調すぎるほどに、計画は進んでいた。
そして、ついに一行は、最上階にあるゲドン男爵の書斎の前にたどり着いた。
『……この扉、内側から強力な魔力障壁が張られている。迂闊に触れば、屋敷中に警報が鳴り響くぞ』
『分かってる。私の“魔力キャンセラー”の出番ね!』
エリーナが、懐から取り出した複雑な魔道具を扉に設置する。
『いい? 効果時間は、きっかり3分間。それまでに、全てを終わらせるのよ!』
エリーナがスイッチを入れると、扉から放たれていた魔力の圧が、すうっと消えた。
「行くぞ!」
優斗の号令で、四人は書斎へと突入した。豪華な調度品に目もくれず、全員で手分けして証拠を探す。
「こっちにはない!」
「こっちもだ!」
焦りだけが募っていく。優斗は、冷静に部屋全体を見渡した。
(ゲドンのような用心深い男が、そんな分かりやすい場所に隠すか? もっとも目につく場所、それでいて最も警戒されない場所……)
優斗の視線が、壁に飾られた、趣味の悪い男爵自身の肖像画に止まった。
「――そこだ!」
優斗が指差した肖像画をモウラが力任せに引き剥がすと、その裏には隠し金庫が埋め込まれていた。
『時間が無い! どいて!』
ヴォルフが金庫に駆け寄り、指先に神経を集中させる。カチ、カチ……と繊細な音が響き、やがて重いロックが外れた。中には、黒い革で装丁された数冊の台帳が収められていた。モンスター密売の取引記録、奴隷として売買された者たちのリスト、そして役人デブーンへ送られた賄賂の額まで、全てが生々しく記されている。
「やった……!」
優斗が台帳を手にした、その時だった。
背後で、重厚な書斎の扉が、ゆっくりと開いた。
「――夜更けにわしの書斎で騒いでいるネズミは、どこのどいつかと思えば……」
そこに立っていたのは、だらしない寝間着姿のゲドン男爵本人。そして、その両脇を、全身を鋼の鎧で固めた、屈強な近衛兵が二名、固めていた。
「まさか、噂の猛牛娘の方から、わしの寝室に会いに来てくれるとはな。感心な心がけじゃあないか」
ゲドンの濁った瞳が、獲物を捉えた蛇のように、モウラをねっとりと見つめる。
罠だ。彼らは、初めから全てお見通しだったのだ。
逃げ場のない書斎で、四人は屋敷の主と、その最強の番犬に、静かに包囲されていた。
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