EP 7
神の指
「腰痛? それは、なんだ?」
ワンダフの問いに、集まっていた獣人たちも不思議そうに首をかしげる。この世界には、老化や疲労による慢性的な腰の痛みを指す、的確な言葉が存在しないらしい。
「説明するより、やってみた方が早いですね。長老様、少し失礼しますよ」
優斗はそう言うと、杖をついて立つワンダフの背後に回り、その腰にそっと手を添えた。そして、長年の経験と解剖学の知識に基づき、凝り固まった筋肉の的確なポイントを探り当てる。
「ここ……そして、ここですね」
優斗は指先にぐっと力を込めて、特定の経絡――ツボを指圧した。
「はふぅっ!?」
ワンダフの口から、カエルの潰れたような奇妙な声が漏れた。鋭い痛みが走ったかと思えば、その直後、体の芯からじーんと痺れるような、今まで感じたことのない快感が広がっていく。
「長老、ベッドにうつ伏せになってください。本格的にやりますから」
優斗は指圧を続けながら、落ち着いた声で言った。その声には、先ほどまでの気弱な青年とは別人のような、専門家としての自信が満ち溢れていた。
「が、ああ……き、気持ち良い……! わ、分かった……! おい、誰か手を貸せ!」
長老の一声に、周りにいた屈強な獣人たちが、慌ててワンダフの体を支え、近くの家から運び出された簡易ベッドへとゆっくりと寝かせた。
うつ伏せになったワンダフの背中に乗り、優斗は静かに目を閉じて精神を集中させる。服の上からでも、その筋肉の張りや骨格の歪みが、手に取るように分かった。
そこから、優斗の独壇場だった。
指圧、マッサージ、揉捏(じゅうねつ)、軽擦(けいさつ)。専門学校で学び、実務で培ったあらゆる技術を駆使して、長年の負荷で石のように硬直した長老の腰を揉みほぐしていく。
「ぐぅぅ……!」
「おお……長老様の唸り声が……」
「な、何をしているんだ、あの人間は……?」
周りを取り囲んだ獣人たちは、見たこともない光景に息を呑んだ。ただ腰を揉んでいるだけに見えるのに、里で最も気難しい長老が、まるで赤子のように身をよじらせ、苦悶とも歓喜ともつかない声を上げている。
「そこだ……ああ、そこが……! ぐ、ぐふぅぅ……!」
ワンダフの全身から力が抜け、完全に身を委ねていく。
モウラもまた、その光景を驚きと尊敬の入り混じった瞳で見つめていた。ドアを開けてくれた時とは違う、専門的な技術に裏打ちされた、本物の優しさ。それが、今の優斗から溢れ出ていた。
やがて、額に汗を浮かべた優斗が、ふぅ、と息を吐いて長老の背中から降りる。
「……とりあえず、今日はこのくらいにしておきましょう」
ベッドの上でぐったりとしていたワンダフが、ゆっくりと、震える腕で体を起こした。そして、おそるおそる、自分の腰をひねる。
「……な……」
ワンダフの目が、驚愕に見開かれた。
「痛くない……!? あれほど長年わしを苦しめてきた、あの鈍い痛みが……消えておる……!?」
彼はベッドからスッと立ち上がると、屈伸をしたり、軽く跳ねてみたりした。その動きは、まるで10歳は若返ったかのように軽やかだった。
「おお……おおお! なんということだ! 神の指かっ!」
長老ワンダフは、信じられないといった様子で自身の腰と優斗の顔を何度も見比べると、感極まったように叫んだ。その声は、ワギュウの里の隅々にまで響き渡ったのだった。
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