第3話甘い罠
「あれ! クロス君?」
僕がただ見つめることしかできなかった彼女が、本当に僕の名前を呼んだ。
声が震え、全身の血が熱くなるのを感じた。
「あ、お、お久しぶりです」
「もしかして、学園祭で配ったパンフレットを見て、わざわざ来てくれたの?」
彼女はすべてを見透かしているかのように微笑む。
僕は少し照れながらも、頷いた。
「はい」
「一人で来たの?」
「いえ、さっきまで友達と飲んでたんですけど、先に帰ってしまって。
僕はどうしてもこの店に寄りたかったので、ひとりで来ました」
「あら、そうなの」
彼女は少し驚いたような顔をした後、再び優しく微笑んだ。
その笑顔に、僕はドキッとした。
僕の頭の中では、今しかない!という警報が鳴り響く。
「あの、もしよかったら…僕一人なので、この後ご一緒してもいいですか?」
我ながら、精一杯の勇気を振り絞った。
「もちろん、全然いいよ、一緒に飲もう」
彼女の言葉に、僕は心の中でガッツポーズをした。
「ありがとうございます、よかったです」
「テーブルあそこだから、来て」
彼女が指し示したテーブルへ向かうと、彼女の部下らしき二人の男女がいた。
「こちらはクロス君、この間の学園祭で私たちのブースに来てくれた子。
こちらは私の部下たちの、田中さんと山田さん」
僕は深々と頭を下げて挨拶をした。
「はじめまして」
「はじめまして、山田です」
「はじめまして、田中です、今日はどうしてこちらに?」
田中さんの問いに、エリーズが答える。
「学園祭で配ったパンフレットを見て来てくれたみたい、友達が先に帰ってしまったから、一緒に飲みませんか、だって」
それを聞いた田中さんが、僕を気遣うように言った。
「ぜひご一緒したいんですが、私と山田はそろそろ帰ります」
田中さんは僕が一人で心細いだろうと気を使ってくれたのかもしれない、このまま二人も帰って、僕も帰ることになるのか?
しかし、エリーズは僕の不安を打ち消すように言った。
「いいわ、あなたたちは先に上がって、私はお店の人とまだ話があるし、せっかくだから来てくれたクロス君と飲みたいしね! ね、クロス君?」
不意に名前を呼ばれ、僕はとっさに間抜けな声で返事をしてしまった。
「は、はい!」
今のはなかったことにしてくれ、と心の中で叫び、もう一度しっかりと答える。
「はい」
エリーズは僕を見て、ニコッと笑った、彼女は、僕の間抜けな姿を可愛いと思ってくれているのだろうか? その笑顔に、僕は恥ずかしくなり、目をそらしてしまった。
田中さんと山田さんが帰る準備を整え、店を出ていくと、エリーズは二人を見送るため、出口までついていった。
僕は着席せず、立ったままエリーズが戻ってくるのを待った、内心はひどく緊張していたが、これ以上かっこ悪い姿をさらしたくなくて、ポケットに手を入れて平静を装った。
田中さんと山田さんを見送ったエリーズが席に戻ってくる時、彼女は僕の顔を見てまた笑いかけてくれた、その顔を見て、僕は照れくさくてにやけてしまった、にやけた顔を見せたくなくて、思わず顔を下に向けた。
ようやく二人だけで席につく。
「クロス君、注文は?」
「同じもので」
エリーズが僕の頼んだものを見て微笑む。
「ワインだけど大丈夫?」
「ワイン、好きです」
僕は見栄を張ってワインを頼んだ。口に含んでみると、それはものすごく苦かった、エリーズはワインを飲んだ僕の顔を見て、またニコッと笑った。
やっぱりバレてるのかな?
僕が見栄を張っていることを見抜かれているようで、少し恥ずかしかった。
そして、エリーズが穏やかに問いかけてきた。
「クロス君は普段何してるの?」
「大学に行って、バイトして、本を読んでます」
「本読むの!?」
「はい」
「すごいね! 頭がいいんだね」
「ありがとうございます」
「バイトは何をしてるの?」
「書店員をしています」
「そうなんだ! 本当に本が好きなんだね」
ワイングラスを片手に会話をする彼女の雰囲気は、とても落ち着いていて、大人な色気が漂っていた。
それに負けじと、僕もワイングラスを片手に低い声で話すよう意識した。
そして、エリーズがさらに尋ねてきた。
「実家から大学に通ってるの?」
「はい、家から電車で3駅分なので、距離はそんなに離れてないです」
「クロス君のご家族はどんな家族なの?」
その質問に、僕は一瞬言葉を詰まらせた。
正直に答えるべきか、迷った。
「家族は母と僕だけです、父は元刑事で、小学校3年生の時に事件で亡くなりました」
「そうなの、大変だったわね。
ごめんね、嫌なこと聞いちゃったね」
「いえ、もう昔の話なので」
すると、店の人が来てエリーズにこそこそと話をした。
僕には「もうこれ以上は売れません」という言葉しか聞こえてこなかった。
するとエリーズは、はっきりと答えた。
「そういう話は私にしないで、兄か父にして」
彼女と店の人が話している間、僕はどうやって彼女をデートに誘うかを必死に考えた。
考えて、考えて、考えても何も思いつかない。
彼女のことを何も知らないのに、どう誘えばいいか分からなかった。
(まずは彼女を知ろう)
店の人が去った後、僕は尋ねた。
「コールさん、普段は何をされているんですか?」
「私はエトワール商事で働いてるわ、休みの日は外に出かけるけど、特に何か趣味はないかな」
「アウトドア派なんですね」
「友達と出かけるくらいだよ」
「僕はたまに山登りをします」
「山登り、良いね! 私もたまにはハイキングして自然に触れたいわ」
チャンスだ。
僕の心臓が早鐘を打つ。
「今度よろしければ、一緒に行きましょうか?」
「え! いいの? 私、多分遅いし、足引っ張るよ!?」
「任せてください!しっかり僕がガイドします!」
「あら頼もしい、じゃあ、今度連れてって」
「お任せください!」
僕は顔の表情をあまり変えずにいたが、心の中では高揚し、叫び声をあげていた。
この上ない喜びだった。
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