第10章 決定的な証拠

「私は、やっていない!」

その声は、会議室に響き渡ったが、彼の足元は、まるで砂の上に立っているかのように、頼りなく崩れ始めていた。

「直接的な証拠、ですか…」

朧月は、影山の言葉を静かに受け止めると、ふぅ、と一つ息をつき、隣に立つ青年に視線を送った。青山は小さく頷き、ノートパソコンを操作し始める。

「実は、もう一つ、映像があります」朧月は続けた。「捜査の過程で、黒川部長から任意でご提供いただいたものですが…」

その言葉に、黒川はびくりと肩を震わせ、青ざめた顔で俯いた。社員たちの視線が、再び影山と、そして今度は黒川にも注がれる。

「黒川部長は、安全上の理由から、もう一台別にカメラを設置されていたそうです」

(何!?)

やがて、プロジェクターのスクリーンに、新たな映像が映し出された。それは、先ほどの廊下の監視カメラとは明らかに違うアングルからの映像だった。サーバールームの内部、少し高い位置から、特定のサーバーラックを捉えている。

時刻は、昨夜の23時過ぎ。 そこには、サーバーのコンソールを操作する人物の後ろ姿と、その手元が、比較的はっきりと映し出されていた。顔は判別できないが、服装や体格は、影山のものと酷似している。

「影山さん」朧月の静かな声が響く。「これは…昨夜、ある人物が問題のクリティカルサーバーの前で『何か』をされていた時の映像です。記録によれば、『禁断のコマンド』が実行される直前の時間帯ですね。確かに映像から顔は判別できません。しかし、この後ろ姿、この映像の人物は、影山さん、あなたじゃないですか?あなたはここで一体、何をされていたんですか?」

影山の全身から、再び血の気が引いた。 (な…!? なぜこんな映像が…!? 黒川…! あいつ、まさか…!) しかし、ここで崩れるわけにはいかない。影山は最後の力を振り絞った。

「そ、それは…!そうだ、思い出した。 先ほども言おうと思いましたが、私は、そこで緊急のメンテナンス作業をしていたんです。それでそこでサーバーを操作していたんです!」

声が上ずるのを必死に抑え、影山は叫ぶように言った。

「緊急のメンテナンス作業、ですか」朧月は、表情を変えずに応じた。

(…大丈夫だ。映像からは背中が死角になり…決定的な証拠らしきものは見当たらない…)

「…作業をしているのは、私です。確かに、それは認めます。…ですが、私は、そこで緊急のメンテナンス作業をしていたんです…。」

影山は苦しかった。

「では、作業をしているのはあなただと認められるのですね?」

朧月は言った。そして、手元のファイルから一枚の書類を取り出した。

朧月は、その書類をテーブルに置き、黒川の方を見た。 「黒川さん。この書類は、この会社の規定の一部をコピーしたものです。この会社の規定では、特に重要サーバーに対するメンテナンス作業においては、”いかなる理由があろうとも”、承認された手順書とチェックリストを手元に置きながら作業を実施することが義務付けられている。…そうですね?…過去に作業ミスによるトラブルがあったことから規定が厳格になったそうですね」

黒川は、蒼白な顔で、かすかに頷いた。

朧月は、視線を影山に戻した。 「この規定は、セキュリティ担当である影山さん、あなたも当然、熟知されているはずです」

影山は、唇を噛み締め、反論の言葉を探したが、何も出てこない。朧月は、その様子を冷静に見据えながら、再びプロジェクターのスクリーンを指差した。

影山はまだ決定的な証拠さえなければ大丈夫だと思っていた。

「では、もう一度、この映像を見てください。」

スクリーンには、キーボードを操作し、画面を見つめる影山の手元が、無情にも映し出されている。手元に紙らしきものはなかった。

影山の脳裏に、昨夜の自分の油断が蘇る。『チェックリストなんて必要ない。全ての計画は、自分の頭の中にある…完璧だ』。そう高を括っていた自分が。

「これほど重要なサーバーの、しかも緊急だとおっしゃるメンテナンス作業を、厳格な規定の違反までしてチェックリストなしで行う…。影山さん、そのような『メンテナンス作業』とは…、一体どのような『メンテナンス作業』ですか?」

朧月の言葉は、静かだが、逃れようのない重みを持って、影山に突き刺さった。

言い訳は、もはや完全に潰えた。もう言い逃れはできなかった。 直接的な証拠がないという最後の砦は、隠しカメラの映像によって崩され、苦し紛れの「メンテナンス作業」という言い訳も、会社の規定と自身の慢心によって、完膚なきまでに否定された。

影山は、もはや顔を上げることも、言葉を発することもできなかった。膝が、がくりと折れそうになる。全身から力が抜け、ただ俯き、わなわなと震える唇を噛み締めることかできなかった。

会議室の静寂の中、朧月の冷徹な視線が、完全に打ちのめされた影山の姿を、静かに見据えていた。

会議室は、水を打ったように静まり返った。社員たちは、変わり果てた影山の姿を、信じられないものを見るような目で、あるいは、安堵したような、しかしどこか冷たい目で見つめている。黒川は、蒼白な顔で俯いたまま、動かない。

プロジェクターのファンの回る低い音だけが、その重苦しい沈黙の中で、やけに大きく響いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る