第45話

「まさか、クラウスが先輩の部屋を訪ねていたとは思ってなかったな」


 帰り道を走る馬車の中で、レイは独り言ちた。


 夕食前の時間帯にこっそりと窓を叩くと、カーテンを開けたフォルトンは、にこりと微笑みながら窓からの訪問者を迎え入れてくれた。乾燥エルヴァンローズを使用した昏倒剤については、ねちねちと厭味を言われたものの、結果として丸く収まったことを手放しで喜んでくれた。また、デリンのことをフォルトンが知っていたことにもレイは驚かされた。経緯を聞くと、なんとも、いろいろと『持っている』男だなという感想にしかならなかった。


 呟いた独り言を、クラウスが微笑を浮かべながら拾い上げた。


「レイの知り合いを、私は多く知らない。その中でも、私とレイのことを応援していると言ってくれた者は、フォルトン氏しかいなかった。君を探す上で、訪ねるのは当たり前のことだと思うが」

「いや、だとしても日中大学に行くでしょ。というか、オリンが来たって先輩も言ってたし」


 馬車の中に置いていたかつらを指で弄びながら、レイはそう返した。しかし、しばらく間をおいてもクラウスから返答がないので、疑問に思って顔を上げると、クラウスが口元を押さえてそっぽを向いているのが見えた。


「……何」


 視線は合わないが睨みつけるようにそう言うと、クラウスが口元を押さえていた手を離しながら下を向いた。さっきまで隠れていた口元が緩んでいるのが見える。


「君の……その、話し方が……ルミアに向けるような砕け方で、少し、嬉しかった」


 言われて、レイはかつらを落とした。気を付けていたはずなのに、この男にそんな話し方をしてしまったのかと思うと、顔から火が出そうだった。それを知ってか知らないでか、クラウスがそっとレイの頭に手を回し、自身の肩に寄せてきた。


「誤解が無いように言うが、レイが普段私に使う話し方も、好きだ。どちらがなくなっても、きっと私は寂しい。ただ、先ほどの口ぶりは、君が少々拗ねているように感じて、余計に甘く響いた」


 クラウスの肩から感じる体温と降り注ぐ言葉に、レイは悶絶しながらも口を開いた。


「……お前はそう歯が浮きそうなことを、よく平然と言えるな?」

「素直になることの大切さを、君から学んだだけだ」


 その一言は、レイを完全に撃沈させた。何も言わなくなったレイを見下ろしてクラウスは微笑むと、そっと銀灰色の髪にキスを落とした。


「そう言えば」


 クラウスがレイの頭を撫でながら、ぽつりとこぼした。


「フォルトン氏との別れ際、何を受け取っていた?」


 その一言に、レイは眼鏡を直しながら体勢を整えた。――この男、やはり目ざとく見ていたか。嫉妬深いクラウスが見ていたならば、例え相手が信用しているフォルトンとはいえ、レイが何かを受け取ったことに対して何も言及しないとは思っていなかったが、それが今となるとは思わなかった。


「……内緒」


 仕返しと言わんばかりに、レイはクラウスににっこりと微笑んで返した。






 もう少し時間がかかると思われていた通信魔法機器は、思いの他早く届いた。届けに来た魔法技術部の職員から簡単に使い方のレクチャーを受け、応接室からクラウスの部屋に戻ると、レイは先日増設されたテーブルの上に箱を置いて、そのままお茶を淹れに向かった。メイドに頼めばいいのかもしれないが、まだ家の一員ですらないレイにはそれがとても気が引けた。


 クラウスの部屋には、簡単な炊事台がある。ポットでお湯を沸かす程度にしか使えなさそうな小さな魔力石がついた一口コンロと、飲水ができるぐらいは整った水道が一つ。備え付けられた棚に、ティーポットとレイがブレンドした乾燥林檎とサレッドセージのハーブティーの瓶が入っているが、レイはその瓶しか取り出さなかった。


 洗って伏せられているマグカップ2つに水を入れ、その水だけを宙に浮かせた。水魔法と火魔法の応用で水を沸騰させてから、茶葉を上から投入し、茶葉のジャンピングを手伝う程度にゆっくりと水流を作って蒸らす。こうやってお茶を淹れる時に部屋に広がる香りが、レイは好きだった。同じく洗って伏せられていた茶こしを取ってマグカップの上に置くと、こぼさないようにそっと空中で淹れたお茶を注いでいった。


 マグカップを二つ持ち上げてクラウスの方を向くと、クラウスが口元を押さえながら肩を震わせていた。何がそんなにおかしいのか分からず、レイはそのままクラウスの前にマグを置いた。


 ひとしきり笑い終わって、大きく息を吐くクラウスを見ていると、目尻に溜まった涙を指で擦りながら、クラウスは口を開いた。


「魔法でお茶を淹れる人を、初めて見た」

「……え、あ、あれ? 皆、しないもんなの?」


 レイはまさかの答えに動揺を隠せなかった。ただ羞恥で火照り、上がる口角を必死に隠した。その様子を微笑みながら見つめるクラウスが、マグカップを持ち上げ香りを嗅ぎながら口を開く。


「レイの家では普通か?」

「え、どうなんだろ」


 レイの一言に、一瞬クラウスが怪訝な顔をしたが、レイはそのまま続けた。


「少なくとも、ばあちゃんが俺に魔法を教えるときは、こんな感じで日常生活の動作を魔法で行うところから始めたから」

「ルミア仕込みか」


 マグカップに口を付けて、「おいしい。ありがとう」と礼を言うクラウスを見て、レイは微笑んで返した。


 箱から通信魔法機器を取り出し、椅子に腰かけながら魔力を流すと、容易に起動したそれはレイの魔力を読み取ってレイ宛ての新着メッセージを表示し始めた。溜まりに溜まった新着メッセージに辟易しながらも、レイはルミアにメッセージを送った。


 ――通信魔法機器をもらい受けました。そして、できれば早急に相談したいことがあります。ご連絡ください。


 送信した後に、少し他人行儀過ぎたような気もしたが、気を取り直して新着メッセージを古い順で表示した。一番上に表示されたのは、行方不明になったことを心配するフォルトンからのメッセージで、本当に迷惑をかけてしまったなと思いながら、通信魔法機器が復活したことと、改めて謝罪を送信した。


 レイがそう返した瞬間、通信魔法機器から青緑色の魔法陣が浮き出た。通信魔法機器がテーブルの上で小刻みに震え、レイはクラウスの方を見た。通話に出るように手で促されたので、レイは頷いて魔法陣に手を翳した。


 通信が繋がり、レイは応答した。


「はい」

「レイ、とりあえずアンタ、無事なんだね?」


 今度はいつもよりも冷静な音量で、魔法陣からルミアの声が流れる。しかし、内容は相変わらずこちらの安否確認から始まるのだから、レイは心配ばかりかけているなと感じた。


「大丈夫だよ、ばあちゃん。ごめん、忙しいのに」

「いいよ。珍しくお前から相談したいことって言われたら、時間を作らないわけにいかないさ……あ、ヴェーゼルゴンもいるが、問題ないかい?」

「問題ないよ。こちらも隣にクラウスがいる」


 そう言ってクラウスを見ると、レイの手を握ったまま、空いている方の手でマグカップを持ち上げお茶を飲んでいた。


「で、相談って言うのは?」


 本題に入ろうとするルミアに、レイは一度視線を泳がせた。


「相談事は二つあるんだけど、一つはできれば秘匿回線で話したい」


 そう言うと、クラウスの眉がピクリと動いた。対傍受用の加工が施されている通信魔法機器を使用していてもなお、秘匿回線を使用したいというレイの意図が、おそらくクラウスには読めなかったのだろう。秘匿回線での通話は、通話をかける側も受ける側も魔力の消費量が多くなる半面、傍受される危険性が低い。また、声に出さなくてよく、頭の中で思い描いた言葉がそのまま直接伝わるため、すぐ近くにいても、どんな内容で話をしているかがわからないという特性もある。


「……いきなり、物騒な話だねぇ」


 ルミアが呟くように言った。レイは少し唸りながら、


「そうでもないんだけどね、でも、念には念を入れておきたい」


 と伝えた。クラウスからの視線はこの際無視して話を進める。


「ばあちゃん、なんで俺爵位継いでるの? 父さんをすっとばした理由は? というか言っておいてくれないと驚くじゃないか。自分は大事なことはすぐに言えって言うくせに!」

「お前が通信魔法機器が使えない状態になるのが悪い! ……まぁ、子爵位で領地もないようなしがないものだけど、公爵家とやりあうってなったら、爵位ぐらい持ってた方が割と円滑に運ぶだろう?」


 確かに、子爵位だったとしても「爵位持ち」と「後継者」では天と地の差がある。弁護士からの扱われ方も違うし、手続きにおいても円滑に進みやすい。今回は伯爵位を持つマルキオン教授と子爵位を持つレイがいたからこそ、立件できた話と言っても過言ではない。


「あと、あの魔法薬店の名義、ヴェルノット子爵家としてるからね。もうアンタのもんだよ」


 不意にルミアの魔法薬店の所有権すら手に入ってしまった。ルミアの研究所については有難いとは思うが、正直あの村における店の立ち位置を考えると、持て余してしまう。


「それは有難いけど、俺がもし本当にクラウスと結婚するってなったら、子爵位はどうするんだよ!」


 言い合っている中で、クラウスが小さく「もし?」と呟いたのが聞こえたが、レイは無視した。


 ルミアは一瞬言葉を詰まらせてから、再度口を開いた。


「持ってりゃいいだろう? 結婚しても旧家の爵位を継ぐ者がいない場合は持っていく人だっているじゃないか」

「それは子供が複数人生まれた時に継がせられるからでしょ!? 俺もクラウスも男なんだけど!?」


 ルミアとレイがギャーギャーと言い合う隣で、ヴェーゼルゴンとクラウスがそれを静かに見守っていた。








 三日間の休日など、あっという間に過ぎてしまう。クラウスは王城に出勤してから、すぐに国王へ謁見要請を出した。おそらく今回は内容もないようなだけに、意地悪くずるずると引き延ばされるのだろうと思っていたが、異例の速さを持って整った。午後にお茶を飲むような時間帯に、「今なら」と突然声をかけられる無茶ぶりはいつものことだ。諜報部であることが露顕しないように騎士服を用意していたため、すんなり国王の執務室に足を運べた。


 見張りに参上したことを伝えると、執務室と廊下の間にある控えの間に通される。そして、クラウスは中にいた人物を見て驚いた。


「……レイ?」


 控えの間のソファに腰を掛けていたフロックコート姿のレイは、一度こちらから視線を外して苦笑すると、もう一度優しい光を宿した青緑色の瞳を向けてきた。


「どうやら、お互い考えることは一緒だったらしい」


 その一言で、クラウスはレイと思いは同じであることを知って歓びに震えた。クラウスが控えの間に入ると、後ろで門番が扉を閉めた。監視がついているため、レイのすぐ隣に座るわけにいかず、クラウスは仕方なくレイの向かい側に腰かけた。


「……いつから考えていた?」

喫茶店カフェで炭酸飲料を頼んだあたりから」


 レイの返答に、クラウスは一瞬考えた。レイが喫茶店に入ったのは三日前。クラウスと合流した際にはグラスの中身は空になっていたので、炭酸飲料を頼んでいたのかは分からないが、彼がディートリヒと話をした後であるのは間違いないだろう。


「その時、秘術官に頼んだのか」

「そう」


 不敵に笑うレイに、ため息を吐く。


「……相談もなしとは」


 そう言うと、レイはちらりと監視員を一瞥してから口を開いた。


「それについては、お互い様だろう。俺としては個人的な我儘のつもりだった。……余計な世話だと言われたらどうしようかと。君は、命を狙われたわけだし」


 ばつが悪そうに言うレイに、クラウスは苦笑で返した。自分がそんなことを言うと本気で思っていたのだろうか。レイの我儘など、過去我儘と呼べるものだったことなどないというのに。


「策はあるのか?」


 クラウスの言葉に、レイは諦念を滲ませながら目を伏せ首を振った。クラウスも同調し、小さく頷きながら話を続けた。


「無理難題を吹っ掛けられるかもしれない」

「かもな」

「君にこれ以上の無理を強いたくない」

「そう言うと思った」


 自分の言葉に何でもないように答えるレイを見て、クラウスの眉間に皺が寄った。額に手をやり、思わず俯く。


「レイ……次は何を犠牲にするつもりでここに来た?」


 その問いに対する答えは返ってこなかった。王の執務室の扉が静かに開き、監視員から入るように言われる。レイの瞳がこちらを見て、にっこりと笑って細まる。――大丈夫だ。そう伝えてくるその瞳に、クラウスは内心で何が大丈夫なのかと毒ついた。



 王の執務室は煌びやかな調度品に囲まれていたが、机は王自身の物と3人の補佐官の物しかなく、座って話をするような環境ではなかった。もともとそういうところではないので当たり前ではあるのだが。


 こちらの挨拶を待たず、国王が補佐官に目配せをする。補佐官3人が立ち上がって退出するのを待って、国王は老眼鏡を外した。


「十五分だ。タールマン」


 国王が短く指示を飛ばし、姿が見えないが部屋の中にいるのだろうタールマンが静かに対傍受・防音結界を張った。張り終わった結界を見て、国王が重く湿ったため息をつき、椅子に深く座り直す。


「ここじゃ一服もできん。私の機嫌は悪いかもしれんぞ?」


 そう言う国王の表情は、『どんな面白いものを見せてくれるのか』と期待に満ちていた。この表情をしている時の国王は、非常に面倒くさい。クラウスがこの後の話し合いのもつれを予感した、その時だった。


 視界の端に白色のローブが現れる。ぱっとそちらを向くと、タールマンが姿を現した。その行為に、国王自身が驚き目を丸くしていた。


 タールマンが国王との間に立ちはだかるような形で歩を進め、レイにじっと視線を送った。それに一歩も引かないと強い意思を持って見つめ返すレイの姿は、非常に気高いものを感じた。ほんの数秒の間をおいて、タールマンが小さくため息をついて、くるりと踵を返し、国王へ向き直った。


「ケイジン、私からもお願いしたい」


 タールマンが発したその一言は、この場にいる誰も驚かせた。


「正直、この馬鹿弟子が、上手い事やっていける気がしませんからね。そうすると、国が荒れます」


 辛辣な一言が襲い掛かる。だが、正直ぐうの音も出ないほどに正しい発言で、クラウスは表情に出さないことだけで精いっぱいだった。


「お願いします」


 レイが視界の端で頭を下げたのが見える。クラウスは国王を一度見てから、頭を垂れて口を開いた。


「我々被害者一同、ディートリヒ・フォン・レーヴェンシュタインへの温情をお願いしたく、参上いたしました」

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