第41話

 レイが起きた時にはすっかり日は高くなっていた。昨晩の調律のことを察したのか、恐らく朝食の声がかからなかったのだろう。レイはレーヴェンシュタイン公爵家の優秀さに悶えながら、昼食が運ばれてくる前に、身支度を整えようと昨日脱ぎ捨てた服を探すと、ソファの背もたれにかかっていた。服に洗浄魔法をかけ、袖を通す。以前着ていた服がおそらくクラウスの衣装部屋にあると思うが、部屋の主が起きていないのに覗くのは少々憚られた。ベストを羽織り、ループタイを締めた。髪を低い位置で一つにまとめ丸く結い、レイはまだベッドで横になっているクラウスに視線を移した。


 昨日の夕方から日付を跨いでまで、休みを入れつつも調律スイッチが入りっぱなしだったあの男に、レイはとうとうキレてしまった。フェリンブル伯爵家の私兵やフォルトンに使った昏倒剤を噴射し、ようやく眠りに落ちた男は、恐らくまだ起きないだろう。


 自分の鞄からメモ帳とペンを取り出す。レイは、レーヴェンシュタイン公爵家の庭園に植えられていたものを思い出しながら、薬草のリストを書き始めた。


「今回置き換えた副作用の吐き気には、本当ならモラリン苔がいいが……ミルヴァの静葉で代用するか。血管拡張による頭痛はセリアの香花でいいとして、胃の不快感はどうやって取り除くか……吐き気がある時にあまり強い匂いが出るようなものは使用したくないな」


 考えながら、また即効性のあるもので作るとなると、すぐに飲むから瓶まではいらないか、なら綺麗なマグカップがあればいいか。と、リストにマグカップと付け加えた。


 そんなことを考えていると、控えめにノックがされた。レイはクラウスに視線を向け、起きていないことを確認してから静かにドアの前まで移動した。


 ドアを開けると、アルがティートローリーに二人分の昼食が載せて運んできていた。座って食べられるテーブルセットが置かれていないので、ソファのあるローテーブルに昼食が静かに並べられる。クラウスの分もあったが、恐らく食べることはできないだろう。


 レイはアルにお礼を言った後、事情を話して先ほど書いたリストを手渡すと、アルは恭しく頭を下げて退室していった。レイはそのままベッドに近付き、クラウスの顔をそっと覗き込んだ。先ほど覗いたときよりも気持ち悪さがあるのか、額に汗が滲んでいる。サイドテーブルに用意されていた水差しから洗面ボウルに少量水を注いで、タオルを濡らして絞った。クラウスの額を押さえるようにそっと汗を拭っていると、眠っているはずのクラウスから魔力が漏れ出し、レイの手首に絡みついてくる。無意識下でさえ、レイを求めてさまよい始める魔力に、一抹の不安を感じた。


 クラウスは、今どんな夢を見ているのだろうか。乾燥エルヴァンローズの副作用である深層心理を彷彿とさせる悪夢は、完璧に除去できたはずだ。それとも副作用関係なく、この男は夢の中でさえ、レイを探し回っているのだろうか。


「クラウス。俺はお前の隣にいるよ」


 レイはクラウスの手を握った。魔力を意識して多く放出し、クラウスの体にただ纏わせていく。普段クラウスが無意識に行うこれを、レイは意識して行った。クラウスの魔力が反応して、レイの魔力に擦り寄ってくる。離したくないとレイの体全体を包み込み、やっとクラウスの顔の緊張がゆるんだ。夢の中へ介入なぞできないが、魔力が魔法使いに与える影響は大きい。夢の中でも、レイを見つけてくれただろうか。


 結局、レイが昼食に手をつけたのは、スープがすっかり冷えてしまった後だった。






 クラウスの小さく呻く声が聞こえて、レイは目を覚ました。どうやら、眼鏡をかけたままクラウスの隣で眠ってしまっていたらしい。時計に目をやり時間を確認すると、もうそろそろ夕食の時間だった。覚醒した頭でクラウスを見ると、体を起こしたはいいものの、体調の悪さのせいで起き上がれないようだ。


「クラウス、無理するな」


 レイはサイドテーブルから空のボウルを素早く取ると、クラウスに差し出した。


「吐きたかったら吐け」


 クラウスはボウルを抱えるが、小さく首を振った。呟くように「そこまでじゃない」と力なく答えが返ってくる。枕をクッション代わりに背を預けるクラウスに、レイは手を差し出した。素直に手を添えてくるので、そっと解析魔法を行使し、体の炎症反応がないかを確認した。


「炎症は無い、か。気分は?」

「油断していたら天使に後ろから刺されたような気分だ」

「……それは災難だったな」


 よく分からないクラウスの比喩表現に、レイは首を傾げながらそう言うと、じっと重たい視線を向けられた。レイは視線を外して症状をメモしていく。


「吐き気、頭痛、他には?」

「レイ不足」

「それだけ軽口が叩けるなら大丈夫だな」


 レイはさらりと冗談を流して、広いベッドの上から降りようとした。不意に後ろから手を掴まれてクラウスに向き直ると、血色の悪いクラウスがすがるようにこちらを見ていた。


「……怒っているか?」


 クラウスがそう言うので、レイは口を曲げた。何も言わずにそのままクラウスを見続けると、ばつが悪そうにクラウスは目を逸らした。その姿に、レイはため息を一つ吐いて、こう言った。


「副作用はあれど、眠れて少し体は楽になっただろう? 調律したからといって、疲労がなくなるわけではない。ちゃんと寝ないと今度から調律しないぞ」


 クラウスの視線がそろりとこちらを向く。レイは腰に手を当てて、胸を張って言い切った。


「俺の隣なら、眠れるんだろう? なら、朝まで安眠枕にでもなってやるよ。枕は逃げないから安心しろ。……レーヴェンシュタイン家の皆が、心配している。さっさと元気になれ。……ったく、世話の焼ける奴め」


 そう言い捨てて、レイは今度こそベッドから降りた。クラウスが力なく自嘲気味に笑う。


「この体調の悪さの原因にそれを言われるとは」

「自業自得だ」


 いけしゃあしゃあと言ってのけて、レイはドアの方に向かった。


「調合してくる。ここじゃ、できる場所がない」

「何が必要だ?」


 そうクラウスが言って、ベッドサイドにあった小さなベルをリンと鳴らした。その音は小さいながらも耳の奥に響き、強く余韻を残した。おそらくベルに魔法機構が施されており、ある程度の範囲までその響きを届けるような仕組みになっているのだろう。きっともうすぐアルがくる。ここで調合してほしいと言わんばかりの行動に、レイは肩をすくめた。


「薬草の手配は依頼した。あとは、作業しやすいようにある程度の高さのテーブルがあればいい。調合台は、ここにあるしな」


 そういって、自分のループタイを持ち上げて見せた。


 そんなやり取りをしていると、部屋にノックが響く。クラウスが出ようとしたので、それを制止してレイが小走りでドアに駆け寄った。ドアを開くと、起きているクラウスを見てアルが表情を変えずに恭しく頭を下げた。


「おはようございます」

「……おはよう」


 アルの挨拶にクラウスがおずおずと返した。アルの顔がぱっと上がり、嬉しそうな驚きの表情を湛えていた。その反応に、レイは諜報部の面々がクラウスの人間らしい反応を見た時と同じものを感じて、やれやれと息を吐いた。


 クラウスがアルに調合できるようにテーブルがいる旨を伝えると、すぐに部屋から出て行った。その姿を見送るクラウスがどこか気落ちしたような顔をしていて、レイは声をかけた。


「……なんというか、ぎこちないな」


 レイがそう言うと、クラウスは意図を測りかねたのか、こちらに視線を移すだけで何も答えなかった。レイはそっとベッドに腰かけて、クラウスを見る。


「皆に頼ると決めたのだから、歩み寄ろうと自ら行動しようとしているのは分かったが……お前の家族だろう? 何故そんなによそよそしい?」


 レイは、シーツの上に出ていたクラウスの左手に、そっと自身の左手を重ねた。


「皆、お前を心配している。それはお前が雇い主だからじゃないぞ?」


 それを聞いて、クラウスは自嘲気味に微笑むと、ぽつりとこぼすように話し始めた。


「……疑問に思わなかったか? 使用人が全員、若い者ばかりだと」


 レイは、心の片隅に置いていた疑問に触れられて、静かに頷いた。かのレーヴェンシュタイン公爵家の、王都フィルドンにある居住の管理を任されているにしては、経験豊富な従者が一人も見当たらないのは、やはり何か理由があったようだ。皆がきちんと教育を施されてはいるものの、『主人と従者』という線引きが曖昧なところがあるように思える。レイはむしろ好感を持っているところではあるが、そういったところを諭せる年長者が、このレーヴェンシュタインにはいない。


「長く勤めていた者は、父が臥せってから、ディートリヒが皆解雇した。自身の立場を確立するために」


 静かに語られる事実に、レイは目を伏せた。クラウスが、使用人と一線を引く理由が垣間見えた気がした。


「今残っている者は皆、レーヴェンシュタイン公爵家の横暴さを見ている。新しく雇い入れた者もいるが、それはつまりディートリヒの息がかかっている者でもある。彼らが、本当の意味で私を受け入れるか判断するのは、私がきちんと後継者として指名を受けた後になるだろう」


 クラウスの瞳がどこか遠くを見ていた。レイはただそれを見ながら、どう声をかけていいか迷ってしまった。長く親しんだ者がいなくても、残ってくれた若い使用人たちを手放したくないと、レーヴェンシュタイン公爵家を守ろうと決めたこの男を支えようと決めたくせに、いい言葉が思い浮かばない。


「……一緒に、認めてもらえるように頑張らないとな」


 そうぽつりと呟いてから、レイはしばし考えて「ん?」と首を傾げた。直前の言葉と合っていない仕草に、クラウスもレイの方を見る。


「いや、俺を頑張らせたかったら、まずクラウスに頑張ってもらわないと」

「……何を?」


 素直に聞いてくる男に、レイはにやりと意地悪く笑って見せた。


「プロポーズ」

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