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 陸軍省りくぐんしょう

 その三文字が持つ、国家権力こっかけんりょくという絶対的な重みが、資料館の静かな閲覧室えつらんしつにいる三人の上に、ずしりとかった。

 しかし、彼女の心は恐怖に支配されてはいなかった。

 むしろ、謎が深まれば深まるほど、その中心にある真実を知りたいという、古物屋ふるものやの娘としての探究心たんきゅうしんが、彼女を突き動かしていた。


「水上さん」


 志乃は、閲覧室の受付窓口に目を向けながら、静かに言った。


蕎麦屋そばやのおばあさんが言っていた、『気味の悪い男たち』…玄洋会の人たちも、この資料館を訪れたのではないでしょうか。もしそうなら、彼らがどの資料を調べていたのか、分かるかもしれません」


 その指摘に、水上ははっとした。

 そうだ、敵の足跡を追うことが、敵の目的を知るための最も確実な近道だ。


「…素晴らしい着眼点ちゃくがんてんです、志乃さん。行きましょう」


 三人は受付窓口へと向かった。

 そこに座っていたのは、人の良さそうな、しかし少し退屈そうな初老しょろうの館員だった。

 水上が、大学の身分証を提示し、穏やかな口調で尋ねる。


「実は、我々はある歴史研究の過程で、一月ひとつきほど前にここを訪れたという、数名の紳士の足取りを追っておりまして。東京から来られた、少し強面こわもての…背広せびろを着た方々だったと聞いておりますが、何かご記憶にございませんか」


 館員は、面倒くさそうに首を振った。


「さあ…東京からのお客さんなんざ、毎日ぎょうさん来られますでな。いちいち覚えとらんよ」


 しかし、水上が言葉を続けると、彼の表情がわずかに変わった。


「彼らは、この地方の、特に梓川あずさがわ上流の古い災害記録や、山岳信仰さんがくしんこうに関する資料を熱心に調べていたはずです。かなり強引な調べ方をしていた、とも聞いておりますが…」


 その言葉に、館員は思い出したように、ぽんと手を打った。


「ああ! あのやかましい連中のことかいな! いやはや、ひどい目にったわい。一月ほど前だったか、確かに来た。陸軍の者だと威張り散らしてな、閉館時間も守らずに、根こそぎ資料を持っていく勢いだった」


 陸軍。

 その言葉が、再び三人の間に重く響いた。


「して、彼らは、どのような資料を?」水上の声が、鋭くなる。


「そりゃあ、もう色々さ。あんたらが見ていたような、明治時代の古い新聞や災害記録は勿論もちろんのこと…一番熱心だったのは、古い測量地図だったな。それも、ただの地図じゃない。神社の場所や、古いほこらの位置まで、細かく書き込まれた、陸軍測量部りくぐんそくりょうぶが作った特別な地図だ。わしが止めるのも聞かずに、何枚も何枚も、写真に撮っていきおった」


 神社の場所が書き込まれた、陸軍の測量地図。

 玄洋会は、ただ神邑かむらの跡地を探しているのではない。

 その先にある、『日鎮ヶ岳ひずめがたけ』の山頂の社…『陽霊ようれいの玉』が眠る場所を、すでに見つけ出そうとしているのだ。

 

「それから…」館員は、何かを思い出すように天井を見上げた。「最後に、わしにこう尋ねていった。『この町で、一番腕の立つ猟師りょうしか山案内人を知らんか』とな。もちろん、あんな連中に紹介してやる義理ぎりはないでな、適当にごまかしておいたが…」


 その情報が、決定打だった。

 玄洋会は、すでに山へ入る準備を整えている。

 それも、ひと月も前に。


 礼を言って資料館を後にした三人の足取りは、これまでにないほど重かった。

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