第2話 さわれる真実

 図書艦リブラリア。

 そこには、人類の創世記から記されたハードコピーが眠っているというのだ。〈地球〉という場所について書かれたものも、そこには保管されているらしい。マスターがそう話す中、彼の声は一人の薄着の女性をユイナの隣に招いていた。

「やっぱり悠久の惑星に来て正解だったぜ」と、凛とした眉のその女性は言う。「ついにリブラリアを見たって奴に出会うことができた!」

 けれどユイナは、自分のことで精いっぱいだ。

「図書館なんて、ましてや〈地球〉なんて、私にとってはどうでもいい」

「図書館じゃねぇって。図書。図書艦リブラリア」

「はぁあ。彼氏欲しい。お金持ちの彼氏」

「私はソラー。この贋作氾濫時代に〝さわれる真実〟を追ってる冒険者だ。よろしくな」

〝さわれる真実〟。

 酔っぱらいの戯言だろうなとユイナは思っていた。たしかに、情報は基本的に当てにならない。ディープフェイクやハルシネーションで、あらゆる情報は汚染されている。どんなニュースもニュース以上の価値はなく、それが真実かどうかは実際その場面に触れた人しかわからない。ちょうど酒場のリアルタイム動画から、いくつかの報道が流れていた。

中央恒星統治機構C S Dは三連恒星〈ウスク〉星系の惑星周回軌道の不安定化を理由に〈エレウスク〉住民5,200名を中央救命回廊で難民ステーション〝エリードック〟へ移送すると発表したが、当該自治体は「そんな要請はしていない」と非難』

『辺境単独惑星〈ナジIX〉は住民投票でCSD生体ID法の導入を拒否。周縁自由連盟F R A評議会は「中央の監視にNOを付きつけ地方の主権を守った民主主義の歴史的勝利」と声明を発表』

『〈ヴォイド〉星系内の統一基本指針策定協議、CSDとFRAが決裂。両陣営のコルベット計6隻が〈ヴォイド〉ヒル球内でにらみ合いを続ける』

 ニュースは中央CSD地方FRAが主権を巡る争いの真っ只中で、それに関連したものばかりだ。しかしこれらの情報もどこかで情報が歪められ、真実はどこかで消失しているかもしれないし、していないかもしれない。

 ユイナたち人類の起源についてもそれは同様だった。ユイナが聞いたのは、どこか銀河の辺境で人類は自然発生したということ。もっとも確からしい学説では、人類はかつて〈地球〉という惑星で誕生し、紀元6億世紀頃、主系恒星が赤色巨星へ転化した際に〈地球〉は蒸発し、人類は方々へ離散したとされている。一方で、〈地球〉は実は潮汐カプセルに格納され巨大ワームホールでどこかの安全圏に避難しただの、主系の赤色巨星化はCSDの捏造で太陽系はいまも健在だの、さらには人類の本当の起源は〈ヴォイド〉周縁で〈地球〉史は外部植民を正当化するためにでっち上げられた歴史ドラマにすぎないとか、そうした真偽不明のうわさで情報は氾濫しているのだ。そしてどの情報ソースも情報汚染の可能性は否定できずファクトチェックは不可能で、もはやなにが正しいのか知る術はない。

「けどな、リブラリアは違うんだ」ソラーの声は急に酒精を抜かれ、真空のように透き通ったかのようになった。「あれは現在も続く情報汚染時代の中で星系内のミーム合戦がピークに達したとき、人類が改変不可能な真実を残すために作った文化保存船だって話がある。そこにはインクで刷ったいろいろなハードコピーを積んでいてな。〈地球〉について書かれた本や、天才たちが手で記した辞典や図鑑、日記、小説なんかが保管されている。ハードコピーは〝さわれる真実〟の塊だ。私はその頁を、この手でめくりたいんだよ。ディープフェイクもハルシネーションも跳ね返す真正面の真実……それが本当に存在するかどうか、自分の目で確かめたい」

 ソラーの熱量がカウンターの空気を急激に温める一方で、ユイナの酔いは霧散していた。ジョッキを置き、椅子を軋ませて立ち上がる。こちらは必死に働いているというのに、彼女は呑気な冒険者。それでいて楽しそうで、自分よりいい服を着ている。

「なぁユイナ」

「気安く人の名前を呼ばないで」

「気を悪くさせてすまなかったよ。でもお願いがあるんだ。私をキミの船に乗せてくれないか? 一緒にリブラリアを探してほしい」

 私の名前を出したマスターを睨み、そしてソラーに背を向ける。

「それが私になんの得になるわけ?」嫉妬と苛立ちが、自然と声に出てしまう。「次の流星を外したら、私は宇宙船どころか寝るベッドも差し押さえられるんだけど。それこそ流星みたいに気楽に旅してるあなたと違ってね」

「流星? 私が? 逆だろ」

 逆? 意味がわからない。舌先にまだ安ビールの苦みが残っている。酔っている客たちがおもしろおかしくこちらを煽ってくるが、無視して店を出る。赤い恒星と赤い空が紫色の草木やレンガ造りの貧しい町並みを照らしていて、少しだけ眩しい。ソラーは外まで追いかけてきた。

「乗せてくれるだけでいいんだ。また流星を追うんだろ? 手伝うよ。雇ってほしい。もちろん報酬はいらないよ、食費だって自分で工面する。その中でもし万が一、リブラリアを発見した時は、その時だけはどうか協力してほしくて——」

「お断り」

 一瞥すら向けず、忌まわしき愛船を停泊させている港へと向かう。

「……じゃあ、わかった」と言い、ソラーの足音が消えた。

 諦めたかな——とホッとしたところで、少しだけ不思議な後悔を感じる。感情としてはソラーが恨病ましい気持ちで一辺倒なのは確かだ。けれど、もし誘いに乗って自分も自由な冒険者になれていたらと、少しだけ想いを馳せてみたくなる。でも、そんな想像は危険だ。アルコールを振り払うように頭をふるふると横に振った。憧れてしまっては、今の現実の自分がより惨めに感じられるだけだ。私は私のすべきことをするしかない。ユイナは拳に力を入れる。

 と、背後で靴音が跳ねた。ソラーが小走りで追いついてきたのだ。掌には、小さなホロパッドをひらりと掲げている。

「いまネットに〝〈ヴォイド〉縁で図書艦を目視した〟って投下したんだ。そしたら、10秒で3,000リプ」

「10秒で3,000!?」

 決して多くはないにせよ、少なからず収益化は図れる勢いだ。

「真偽不明だろうと、情報に飢えている人は山ほどいる」

 ホログラムが放つ冷光に、ユイナの顔面蒼白が映り込む。

「お金に困ってるんだろ? どんな情報も金になる。もちろん流星を捕まえるほどの大金は難しいけど、私が自分のアカウントでコンスタントに状況報告していけば、小遣い稼ぎ程度の協力ならできると思うけど」

「……でもあの投稿でその勢いってことは。じゃあもしこれで、本当にリブラリア? を発見できたとして、それを投稿したら」

「そこはごめん」とソラーは爽やかに謝った。「リブラリアを見つけて情報発信しても、それで札束が降ってくるわけじゃないんだ。仮に座標を乗っけたとしても、その真偽を信じる人は少ない。情報はあくまで情報だ。どんな真実も他人にそれを証明することはできないんだよ」

 するとソラーはホログラムを閉じ、ユイナの前へと回り込んだ。

「だからこそ私が求めるのは〝さわれる真実〟ってわけ。ハードコピーのページをめくって紙の匂いを吸い込んだ瞬間こそが無二の、体験者だけの本物の情報、本物の価値。私はその体験にすべてを賭けて生きている。そしてようやく目の前に現れた、リブラリアを目撃したという体験者だ。だから私にとっては、ユイナ、キミしかいないんだよ」

 気付けばユイナは逃げ場を失っていた。引き返すこともできず、脇に寄ることもできない。そういう人生だった。そして今、その直線上にソラ―がいる。はぁとため息を吐き、ユイナは観念した。

「私が欲しいのは彼氏なのに」

「嘘つけ。お金だろ」

「私のなにを知ってるの」

 そしてユイナは3という数字を指で示した。

「月、3万。搭乗費用。それでどう?」

「んー2万!」ソラーが開き直ったように笑う。「いや、これでも情報収益って結構大変でさ? リプゾンビに収益かすめ取られることだってあるし」

「わかった。それでいいよ」

 またため息を吐いて、しかしユイナは頷いていた。

「よっしゃ!」と力強くガッツポーズをして。「これからよろしくな、キャプテン」

 ソラーは調子よく笑い、ユイナの肩をぱんと軽く叩いた。

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