流星のすみか
丸山弌
第1話 流星漁師
それは奇妙なうわさだった。
宇宙を彷徨う図書館に、人類の創世記から記されたハードコピーが眠っているというのだ。〈地球〉という場所について書かれたものも、そこには保管されているらしい。
だがそんなことよりもユイナは、もう人生を放り出したい気分だった。追っていた流星が主星〈ヴォイド〉の降着円盤内へと逃げ、取り損なったのだ。おかげで収穫はゼロ。亡き両親が背負った借金は一向に減る気配をみせないどころか、赤字操業で状況は悪化の一途を辿っている。一体いつまで流星漁師なんて続けなければならないのだろうと頭を抱える。
「はぁ。図書館なんて、ましてや〈地球〉なんて、私にとってはどうでもいい」
「いやだから」と、居酒屋の安ビールを手に、ユイナの横に座る顔を真っ赤にした酔いどれ女子が酔いどれ口調で言う。「図書館じゃねぇって。図書艦。図書艦リブラリア」
だから、どうでもいいって。
っていうか、あなただれ。
「はぁあ。彼氏ほしい」
現実逃避をして、借金をして賄っている生活費が質の悪いアルコールへと変わり、胃に注がれていく。
*
ユイナは流星漁師だった。
この星域の主星、小型ブラックホール〈ヴォイド〉が遠くで恒星のように降着円盤を発光させている。〈ヴォイド〉の周囲には複数の恒星系が公転していて、各恒星が文明を持つ惑星を複数抱えている。近傍には小惑星帯が存在していて、それぞれの重力に引かれて周囲には流星が後を絶たない。様々な方向から様々な速度で飛来する流星を捕まえるという仕事は、危険なものだった。けれど流星によっては希少な原子を含んでいることもあり、その一発を当てられたらでかい。ユイナは代々流星漁師の家系で、宇宙船も祖父の代から受け継がれている。しかし両親は、危険な〈ヴォイド〉近傍での漁の最中に流星同士の衝突に巻き込まれ、共に亡くなっている。
ユイナが酒を浴びる低階層惑星〈エレピット〉は、〈ヴォイド〉から最も近い、時間が緩やかな惑星だ。故に文明は常に古く、別の恒星系から来る船は数時間のうちに平気で100年200年を経験して帰ってくる。安居酒屋に来る時間が軽やかな文明の面々は、常に100年200年を経た最新技術を携えている。つい今しがた若い飛行士が出航したかと思えばすぐに戻ってきて、若々しかった黒髪が白髪となり、皺が深く刻まれた老体になっている。面々からは「ずっと若くて羨ましい」と言われるが、文明は時間の早い方でより発展し、より発展した文明の方が人々は幸せに暮らすことができている。
「私だっていつか〈エレアイル〉に行きたい」
そう都会惑星の名を出してみるが、裕福な人々が暮らすその星は、ユイナのみすぼらしい身分ではあまりに不相応だった。
そうしてこの日もいつもどおり祖父の遺産でありユイナの商売道具であるボロボロの採掘船ウィンドキャッチャー号へと乗り込み、流星を探すため宙の沖に出る。主系恒星〈ピット〉が放つ赤色系の光、それが荒廃的に照らす〈エレピット〉から遠く離れ、星群探知機を起動させ〈ヴォイド〉ヒル球内を放浪する。特に理由はないが、今回は〈エレピット〉が所属する恒星系のより内側の領域を探索することにした。
コクピットは三世代の改修の痕跡が折り重なり、補修跡だらけの操舵席の前に、ホログラムと旧式デジタルモニタが同居した多面クロノメーターが宙に浮かんでいる。中央フェイスは〈エレピット〉含む各主要惑星の進行時間、右側面は〈ヴォイド〉星域標準時間、左側面は乗員の主観経過時間を淡い白色のフォントで刻んでいる。フロントシールド越しに広がる景色は、ガラス玉を並べた漆黒の天蓋のようだった。しかし機首を回転させると、その光景は一転した。闇より深い闇の球体――ブラックホール〈ヴォイド〉の観測不能領域、すなわち事象の地平線が虹色の降着円盤を帯び、まるで宝石を呑み込む渦潮のように静かに、しかし確実に時空を捩じっている。
その時、探知機が反応した。流星だ。相対的な速度から捕捉可能で、それでいてでかい! 流星の構造を走査すると『走査完了──希少金属含有流星。主要元素、Fe含有率Fe:78.9%、Ni:8.0%、希少金属、Ir:3.2%、Os:2.8%、Pt:2.5%、LiD:2.5%、Pu-239:1.5%、Co:0.6%。推定総質量313kg』と表示された。見たことのない物質も含まれているが、それよりなにより貴重な原子Irがこれだけの割合で含まれ、コアとして大量凝結している。億単位の価値がある、一生に一度出会えるかどうかの超大物。これを捕まえれば少なくとも当面の生活は安泰だ。借金だってほとんど返せるだろう。しかしその軌道は、ユイナの船が接触する頃には〈ヴォイド〉の降着円盤内へと到達する。あそこは大小さまざまな塵で溢れており危険な領域だ。戦艦級の大きな船ならいざ知らず、三世代に渡る働きを見せているウィンドキャッチャー号の老体には少し堪えるだろう。そういえば、両親の死もその領域だった。無理はよした方がいい……コンソールを握る手の力が緩むが、ユイナは改めてグッとそれを握りなおした。
いや、私は今のこの生活を脱するんだ。そのためにはあの流星が必要だ。
ユイナは、船を全力推進させた。
降着円盤の内部は、鉄錆色のプラズマとダイヤモンドダスト状のシリカ粒が入り混じる濁流だった。電磁嵐が閃光を放ち、コリオリ渦が雷鳴のようなX線バーストを生み、粒子嵐が装甲をサンドブラストのように叩く。推進ノズルを吹かすたび、緑青色のイオン尾がせわしなくちぎれては渦に飲み込まれていく。ユイナは表示パネルに浮かぶ小さな赤い菱形を指で弾き、ターゲットにマーキングを付す。〈
そうだ。こんなところで死んでたまるか。
私の裕福な生活はまだはじまってすらいない。
コクピットのあらゆる操作系を丹念かつ瞬時に確認し、機体の制御を図る。しかし一向に状況はよくならない。
こうなったら奥の手だ。
ユイナは長年使っていない古い手動スラスターを起動させ、錆とともにエアが噴出、勘のタイミングでその弁をすぐに閉じる。その折、漆黒の空間に長大船体が浮かんでいることに気付いた。あまりに大きな旗船だ。座標を確認すると、事象の地平線すれすれの最終安定軌道上。
「なに、あれ」
ユイナの呟きが合図とでもなったかのように慣性制御が復帰し、機体が気を取り戻したかのように揺れた。手動スラスター制御がうまくいったのだ。ユイナは夢中でスロットルを手前へ引き、船の姿勢を立て直す。船が唸り声をあげながらも回頭に成功し、加速、加速、さらに加速をする。そしてついに、降着円盤の濁流から飛び出した。艦体をこすったプラズマが尾を引き、ブラックホールの深い影が背後へと遠ざかっていく。ひとしきりのところでエンジンを止め、〈エレピット〉への慣性航行に切り替える。ふぅと操縦席の背もたれに身体を預け、汗をぬぐう。
今のはヤバかった。思わず死を覚悟してしまった。けれどこれからのことを思い出すと、いっそ死んでしまってもよかったのかもしれない。自身の破滅が近いことを悟り、背筋が冷たくなっていく。
そうして、ユイナはいつもの安居酒屋へと戻ってきたのだ。
大物を取り逃がしたショック、大幅に消費した燃料代、そしてボロ船修復費用に頭を抱え、アルコールで自分すらも壊していく。
「もうホント最悪」そう愚痴りながら「そういえば」と、〈ヴォイド〉の最終安定軌道上で見かけた大型船の話をポロッとマスターに零した時だった。
「おいユイナ! それ、うわさの図書艦リブラリアじゃねぇのか!?」
マスターのその大声が、ユイナの人生を大きく変える厄介者を引き寄せるのだった。
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