第20話:サルビア帝国のソフィア
新しい研究室に通うようになって数週間。久しぶりに朝からアカデミーの研究室にいる。
いるというより呼ばれたというのが正しいか。呼んだ本人のソフィアは神妙な面持ちで僕の対面に座る。
「どうしたの? そんな改まって」
「少し、
唐突すぎるカミングアウトに頭が真っ白になる。耳を塞ぎたいのに本当か確かめたい。そんな矛盾を孕んだ心情が静かな頭にガンガン響く。
「そんな」
「来週から、少なくとも一ヶ月……長くて二年、三年──正直わからないわ」
「……ということは国の問題なんだね」
「そうね」
つまり、ソフィアが
内戦か他国との戦争か……。僕の頭で考えられるものはそんな物騒なものばかりだ。
「昨日、通知が届いたの。内乱の予兆があったって。まだ、私、サルビア帝国の女だから行かなくちゃいけなくて」
「聞いてるから。ゆっくりで大丈夫」
正直、腹がたった。ソフィアを泣かせる自分以外のものに。
彼女の横に移動し、肩を引き寄せ背中をさする。
「ねぇ、アスター。早く私を娶ってよ」
「……わかった。でも、今すぐにはできない。だが、君の帰りをただ何もせず待てるほど辛抱強くもない。」
だから──
「だから、僕がそちらに行く。必ず迎えに行く。そして君の父上に了承を得て、君を妻にする」
もうソフィアがサルビアに行くのは決定事項だろう。だからこうするしかない。
「サルビアが内戦に入ったら、アルメリアから出国できなくなるわよ」
知っている。内戦が起こればおそらくどの国もサルビアへの入国を許可しないだろう。
「それでも行く。どんな手を使っても。君は僕の妻だ。サルビアに取られてたまるか」
僕ってスペック高いから。そんなことを言いつつ、どうするかを頭の中で考える。誰が敵なのか、目的は何なのか、規模はどのくらいなのか、国外に影響は出るのか。全てが未知数。
でも、できることはある。そう信じて考えろ。
ポイントは内戦が起きた時だ。ここでの立ち位置で行動が全て決まる。
ならば──
「今日、
「アスター」
「君を守るために鍛えてるんだ。約束したろ?」
僕の袖を掴む強張った手は引き止めたいのか、引き寄せたいのか。ソフィアの葛藤が伝わってくる。
「……わかったわ。待っているから。早く迎えにきなさいね」
「うん。任せろ。研究も切りよくして、ソフィアと結婚して、人類も助けて、ついでに王女も助けて、あわよくば戦争も終わらせよう」
「ふっ、なによそれ」
彼女が笑うと嬉しくなる。この笑顔のためなら、本当にできてしまう気がする自分が怖い。惚れた弱みということか。
「ねぇ、アスター。なんで戦いって続くのでしょうね」
「敵がいるからでしょう。敵という言葉がある限りそれは間違いない。でも、終わる戦いと終わらない戦いには違いがある。それは敵を見つけたか作っているかの違いだ。前者は敵との勝敗で終わる。後者は終わらない。個人か国かもわからない誰かの利益のために続くんじゃないかな」
「そうね」
お昼まで、それまではソフィアと一緒にいよう。
ソフィアがアルメリアを去るまでにしたいことを全てしよう。
◇
「軍の編成に自分も入れて欲しい? 理由から話せ。アスター」
ルドルフ・アルブレヒトの眼光が鋭く僕を射すくめる。
昼を過ぎてから、アカデミーを発ち実家に帰り、叔父のルドルフとその妻、メリア。そして長男のエリックを前にして単刀直入に切り出した。
「私の恋人であるソフィア・ハインリッヒからの情報によると、サルビア帝国のなかで内乱の予兆があるとのことで、近々内戦に発展するかもしれません。その際にアルブレヒトに出兵命令が出ましたら、私も入れて欲しいのです」
ルドルフは眉間にできた皺を揉み解す。メリアとエリックに至っては目を白黒させ動揺を隠せていない。
「アスターちゃん、恋人いたの!?」
「母上、そこじゃないでしょう」
「……ハインリッヒ。元帥の娘か。ならその情報は確かな可能性が高いな」
当然ルドルフはハインリッヒを知っているか。これなら信用に値する出どころからの情報だとわかってくれただろう。
「それで、その娘はどうなる? お前の願いはその娘絡みなのだろう」
「王女の影武者として呼び戻されるそうです」
「まぁ、それは可哀想ね」
「母上、静かに」
横の二人のことはとりあえず置いといて、目の前のルドルフに集中する。
「アスター。なぜお前を軍事から遠ざけたか知っているか?」
「……私が幼かったからではないのですか」
「それは当主にしなかった理由だ。軍事は、もし何かあった時お前の両親に顔向けができないからだ。だから、研究者になりたいといった時は嬉しかった。領地から出たいといった時も嬉しかった。平穏に生きてくれるとわかって嬉しかった」
そんなことを考えてくれていたのか。僕は全然気がつかなかった。改めて己の未熟さを痛感する。
「生き方は自由だ。だから今のお前は研究者。だが、死ぬときは研究者でもアスター・アルブレヒトでもなく、アスターとして綺麗に死ね。それができないのなら自由を許すつもりはない」
ルドルフの低い声がズシンと体に重くのしかかる。
「でもそうだな。お前はこの家に奉公するつもりで来たわけでもなく、
「叔父さん……」
「以前よりも体格が良くなっている。トレーニングもしてるのだろう?」
「はい、格闘訓練、戦術指導、部隊訓練、指揮法、騎兵戦術、
やれやれと目を瞑り手で顔を仰ぐルドルフ。
「それも恋人のためか」
「守ると約束しましたから」
「まぁ! 素敵!」
「……母上」
エリックはもう母上としか言わなくなった。
腕を組み何かと葛藤するようにウンウンと考え込むルドルフ。
「アスター、有事の際はエリックの指揮下で部隊に入れ。エリック。アスターは一般兵と同じ扱いでいい」
「ありがとうございます!」
「あなた……なぜアスターちゃんを一般兵に?」
「先にもいっただろう。
ルドルフは僕の目的をわかっている。目指すはサルビア。国境を越えることだ。一般兵の方が都合がいい。
「父上の決めたことだからなにも言わないが、素人のお前に前衛を任せるわけには行かない。はやる気持ちも分かるがきちんと私の指示を聞いてもらうぞ」
「はい。兄上」
「アスターちゃん。今度恋人を連れてきてちょうだいね」
「はい。
「初めて聞いたぞ、そんなこと」
エリックとメリアに返事をすると、どこか呆れたルドルフの声が聞こえてくる。
「だいたいお前は、
「研究は順調です。実用化に向けて進めているところで、僕自身は恋人と楽しく過ごしています」
「そうか。それは良かった。そして、千里眼だったかな。スキルの発現おめでとう。皮肉にも戦場で役立ちそうなもので良かったな」
「それなのですが──」
クレアの文で知ったのか、千里眼と嘘をついたことをここでも白状しなければならないようだ。責められそうだな。
「実は千里眼ではなく、透視魔法でして」
「は?」
カランとペンが机から転がり落ち、乾いた音が鳴る。
「お前が? 透視魔法? クレアではなくてか?」
なぜそこでクレアの名前が出てくるんだ。メリアとエリックもルドルフの動揺の仕方に驚いている。
「アスター。司祭には千里眼と言ったのだな」
「はい」
「とりあえず、それは正解だ。よくやったと言っておこう」
怒られるかと思ったが、褒められてしまった。何が何だかわからないままルドルフの頭の中だけで話が進んでいく。
「透視魔法だとは人に話すな。なにがあるかわからない。メリアとエリックもいいな」
まぁ、言わないならそれに越したことはない。大人しく指示に従っておこう。
「そうか、とうとうか。私も気を引き締めようか」
「叔父さん?」
「アスター。お前はその目を大切にするんだぞ。代々人類が守ってきた目だ。この目があればどんな魔物も
僕がその言葉の意味を知るのはもう少し先の話だった。
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