第10話:僕らが世界を変えた日

 ──学会当日


 いつもよりも早く朝食をすませ、一張羅に身を包み通学路を歩く。

 横を見ればソワソワとどこか緊張している様子のクレアが目に入る。


「そんなに固くならなくていいよ」

「ううん、兄さんの今日の仕事は子守じゃないのだから、私は舐められないように胸を張っておかなきゃ」


 気合の入っているクレアに思わず顔が綻ぶ。入りすぎだとは思うが。


「クレアは楽しんでくれたらそれでいいよ。アカデミーに着いたらソフィアが案内してくれるから」

「ソフィアさんって兄さんと一緒に研究していた人よね。兄さんに魔法学部の友人がいて安心したわ。それも女性。兄さんは女っ気があるように見えなかったからびっくり」

「言っておくけど、決してそんなんじゃないからね。頼むから本人の前で言わないでおくれよ。それと、彼女は魔法学部じゃなくて戦術学部だから」


 戦術学部と聞いてぴしりと固まったクレアに袖を引っ張られる。


「どうした?」

「ソフィアさんってもしかして怖い人?」

「いや? 柔らかい雰囲気の育ちの良さそうな淑女だよ」

「へ、へぇ」


 確かにソフィアに会うまでは戦術学部は汗臭く上下関係の厳しい過酷な学部という印象があった。


「でも、喧嘩したら一方的に負けるだろうから刃向かわないようにしてる」


 日々身体を鍛え上げているソフィアと食事も忘れて日の当たらない研究室に籠る僕。勝つのは無理である。


「へ、へぇ」


 少し怖がらせ過ぎてしまっただろうか。クレアは胸を張ることを忘れ、モジモジし始めてしまった。

 そのまま無言で歩いているとアカデミーの門が見えてくる。

 学会が始まるまでまだ時間があるにもかかわらず、そこそこの長さの列ができていた。


「あそこに並んでいる方々は……」

「発表者たちだね。あそこで受付をして所定位置の番号札をもらうんだ。僕たちも並ぶよ」

「はい」


 発表者はそれぞれ割り振られた番号札を誰がどの発表をしているか分かりやすいように常に持ち歩くことになっている。

 聴衆にも発表者にも優しいシステムだ。


「こちら国際魔法開発学会発表者受付になります。身分を証明できるものはありますか?」

「これでお願いします」


 上着の内ポケットからアカデミーの在学証明書を出す。


「ここの学生さんでしたか。すごいですね。頑張ってください」


 手渡された“7”と書かれた番号札を証明書と一緒に仕舞い、ソフィアが待っているであろう研究棟まで移動する。

 その間にもクレアは物珍しそうにキョロキョロと辺りを見渡していた。


「すごいわ。一つの街みたい。いいなぁ。兄さんはこんなところで生活しているのね」

「クレアがアカデミーに入ったら、一緒に寮生活っていうのも楽しそうだな」

「私、一つ目標が出来たわ」

「それはよかった」


 大通りから外れ、静かな道を進むと見えてくる僕らの研究棟。

 さまざまな機材の出入りを想定して作られた大きい玄関で僕に気づいた人影が手を振っている。


「外で待っていたのか。中にいてくれてもよかったのに」

「そこで素直に待っていてくれてありがとうと言えれば満点よ」

「……待っていてくれてありがとう」

「はい、どういたしまして」


 ソフィアの手には今日発表で使用する資料が抱えられていた。


「はいこれ。他に何かあったかしら?」

「これで大丈夫。ありがとう。それでこの子が僕の妹の──」


 そこにはソフィアを見て目を見開いたまま固まっているクレアがいた。


「兄さん。その方はどちら様でしょうか?」

「え、言っておいたじゃないか。ソフィアだよ。今から案内してもらうんだからしっかり挨拶しておきなさい」


 クレアは不躾にもソフィアの頭から爪先までじっくり凝視した後、困惑、此処に極まれりといった表情でこちらに向きなおる。


「でも、あの方とっっても淑女よ」

「淑女だと言ったじゃないか」

「まぁ」


 ソフィアに淑女と言ったのがバレたじゃないか。

 こほんと咳払いを一つした後、再度ソフィアに向き合い姿勢を正すクレア。


「先ほどは取り乱してすみません。アスター・アルブレヒトの妹のクレアです。今日はよろしくお願いします」

「いいのよ。クレアちゃんのことは日頃から聞いているわ。兄に似ず可愛らしい子ね。今日は私がどこでも連れて行ってあげるから、行きたいところがあったら遠慮せずに言って頂戴」

「ありがとうございます!」


 挨拶を交わした途端に距離の近くなった女子二人。クレアはようやく緊張が解けたようで、アカデミーに来るまでの力んだ表情からいつもの優しいものに戻っていた。


「そうそう、アスター。ハンス教授は会場の中で案内しているみたいよ」

「わかった。じゃあ僕は行ってこようかな。妹をよろしく頼むよ」

「勿論。発表の時間が近くなったら私たちも行くから」

「兄さん、全力でね」

「任せてよ。行ってくる」


 独りになると分かった途端、緊張してきた。肋を突き破るかのような激しい拍動が僕の五感を鈍らせる。


「アスター。後ろ向いて」

「ん?──いってぇ!!!!」


 バシィンと背中を叩かれる。振り向くと少し痛そうに手をぷらぷらさせるソフィアの姿。


「よし、発表絶対見とけよ!」


 肝心な時にいつも彼女に助けてもらっている。報いるためにも頑張るぞ。

 僕は啖呵をきって目的の講堂へ駆け出した。



    ◇



 講堂に着くと既に準備に取り掛かっている多くの参加者が目につく。中には自分たちの研究を見にきてもらえるように周囲の人に勧誘を始めている人もいた。


 参加者たちの緊張感が頬を焦がす。改めてここがだと思い知らされる。


「やぁ、アスター。間に合ったようで何よりだよ」

「ハンス教授。案内はもういいのですか?」


 僕の持ち場の前にいたハンス教授に声を掛けられる。


「あぁ、もう落ち着いてきたからね。それにしても、思ったよりも落ち着いてるね。見られているのは研究だけじゃないから、リラックスしてやるんだよ」

「はい。任せてください。これでも貴族の端くれなので。頑張りますよ」


 そういえばそうだったね。と少し大袈裟に驚いた様子のハンス。


 ハンスの懸念も分かる。恐らく僕が参加者の中で最年少だろう。見た目だけでチープな研究だと判断されるかもしれない。人がいる時だけではなくいない時の立ち振る舞いも考える必要があるだろう。


 そしてその懸念は大当たりした。


 どんなに呼び込みをしても見にくる人は少なく、見にきた人も話半分で質問が投げ掛けられることもなかった。

 ここまでとは……思ったよりも厳しい戦場だと思い知らされる。


 この流れを変えるためには、大ホールでの発表に全てを賭けるしかない。


 大勝負の時間が迫る。講堂を離れ、大ホールを目指す。

 自分の胸ポケットに挟み込んだ番号札を撫でながら心を奮い立たせる。


 左手には試作品、右手には、脇に資料を挟み込んだ僕は肩でぶつかるようにして扉を開ける。

 ガヤガヤと僕の存在を気にも止めない大衆にぶつかりながら壇上を目指す。


 くそっ。思わず悪態をつきたくなる。



「頑張って下さいな」


 鈴の音のような声が僕の耳に届く。いや、大衆の耳にも届いたのだろう。振り返ると皆の視線が僕に向いていた。

 声の主はおそらくベールを被ったシスター。教会の人だろう。歳は若く僕より少し上くらい。不思議と惹きつけられる存在感を放っていた。


 この声によって壇上までの道がスッとひらける。僕の心も落ち着いた。


「ありがとう」


 壇上に上り観衆を見回す。最前列にはハンス、後ろの方にソフィアとクレアの姿を見つける。


 始まるまでの残り数分がこんなに長いとは。

 目を閉じ、落ち着こうとする度に早まる鼓動。冷静になる頭。コンディションは完璧だった。


 ──チンッ


 ベルの音に目を開ける。


「持ち時間は質疑応答込みで三十分。十分前にはベルの音が一回、終了時は二回なります。それでは「魔力増倍器官の応用と提案」の発表です。お願いします」


 アナウンスがかかり終わると、一呼吸おいて僕の口が開く。


「アルメリア帝国アカデミーのアスター・アルブレヒトです。魔力増倍器官の応用と提案ということで発表させていただきます。魔力増倍器官。知らない方が多いと思いますので簡単に説明させていただくと、特定の魔法生物が少ない魔力で魔法を発動できるように進化した器官で──」


 発表内容は講堂の時と変わらない。

 しかし今回は僕を囲うようにいる聴衆が僕を品定めするように、粗を探すように聞き耳をたてている。だから聞かせてやるようにこちらも丁寧に話す。


 僕の話す言葉はどのように聞こえるだろうか。夢物語だろうか。エネルギーを増やせるなんて馬鹿な考えだろか。受け入れられない提案だろうか。


 ──なら、夢から目覚めさせてあげようか。


 聴衆の皆についた嘘を許して欲しい。タイトル決めの時はまだ夢だったのだ。

 僕の発表はではないだ。


「机に置かれた二つの装置。わかりますかね? 一つは──」


 ランタンに魔石を入れればチカ、チカ、と今にも消えそうなあかりが灯る。


「私の家にあったランタンと呼ばれる照明機器です」


 誰かが鼻で笑った気がした。


「二つ目のランタンよりも二回りほど小さい機械が、今回私が製作した人工的な魔力増倍器官です」


 誰かが鼻で笑った気がしたが、誰かが息を呑んだ気がした。


「私に賭ける人は目の前の資料、紙類を押さえておいて下さい。飛ばされてもしりませんよ」


 誰かが笑った気がした。


「この今にも消えそうな灯り。魔力が切れそうなんですね。じゃあその魔石を取り出して、この機械にセットしますよ。いいですか」


 手品のようにタネも仕掛けもないことを示しながら手順を説明する。


「3、2、1、0」


 ──ビュオッッッ!!!!


 何枚かの紙を巻き上げながら魔力風が聴衆に吹きつけた。

 風の後には凪がやってくる。シンと静まり返った大ホール。パラパラと紙の落ちる音がよく聞こえる。

 僕も喋らない。皆が現実に戻ってくるまでは待つ。


 チンッとベルの音が響き、緊張の糸が切れたように大きく息を吐く聴衆。

 顔を見れば、信じられないものを見たという表情の者、何か企んでいるような表情の者、訝しげな表情の者と三者三様だ。


「今後の展望として、エネルギー効率の追求、規模の拡張などまだまだ詰めて、実用化に着手したいと思っています。この実験に協力してくださったハンス教授に心より感謝申し上げます──以上で私の発表を終わります。質問などございますでしょうか?」


 結局、ベルが二回鳴るまで質問が途切れることはなく、鼓膜が張り裂けるほどの拍手を浴びながら僕は壇上を下りた。

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