第9話:完成。②

 ハンスの研究が終わるまでは待ちだ。時間ができたが、ハンスの言葉に上気した胸の奥が静まるまでは論文に手をつける気も起きない。


 知らない情報にここまで惹きつけられる心はいつだって自分を研究者だと教えてくれる。教会と魔法の関係。教会は何を秘密にしているのか。


 改めて自分に言い聞かせる。僕がいつだって大切にしているのはだ。これが第一だと。


 改めてタイムシートに目を通す。


「ええと── 回復魔法による細胞適合化“spooghスプーフ”、麻酔に代わる魔法を目指して、深海の新たな生活形態、魔力が身体に及ぼし得る弊害について、障壁の作成条件」


 凝ったものもあれば、シンプルなものも多いな。


「錬金術への否定〜質量保存の非反事象〜、魔法に対する解答……」


 研究タイトルだけでもそれぞれの特色が見て取れる。楽しそうになぞる指が一つの研究で止まる。


「“魔力増倍器官の応用と提案”──午前の最後の発表か。いい時間だなぁ」


 発表時間は前半のトリであり、そこそこ多くの人が集まることが予想される。

 いきなりの大舞台。注目されるための好条件は揃っている。ここまでお膳立てされたらやるしかない。


 昂る気持ちを落ち着かせるように目を閉じ深呼吸をする。


 ガチャリと扉の開く音に目を開けると少しびっくりするくらい多いサンドイッチを抱えたソフィアが立っている。

 彼女を見ると安心する。一人じゃないと思える。


「なぁ、ソフィア。さっきのあれもう一回やってくれないか」

「あれ?」

「ほら、“貴方はよくやっているわ”ってやつ」

「……どうしちゃったのよ」


 確かに柄にも無い言葉が口から出てしまったと思う。人に甘えたくなるほど弱っていたのだろうか。


「いや、やっぱりなんでもない。お帰りなさい」

「……ただいま。軽めのものを選んだのだけどサンドイッチでよかったかしら」

「軽め?」


 この量で? 両手で抱えるほどのサンドイッチが?


「アスターは自分の好きな分食べればいいわよ。私、全部食べられるから」

「そ、そうなんですか」


 今までは放課後のみの集まりだったから知らなかったが、意外と大食らいなのか。こんな細い体によく入るな。


「ハンス教授、どうだった?」

「協力してくれるって。今はハンス教授の実験終了待ち」


 ソフィアが隣の椅子に腰掛け僕の手元の紙を覗き込む。


「タイムスケジュールでたのね。あら、大ホールで発表できるの? よかったじゃない」

「あまり驚かないんだね」

「そりゃそうよ。アスターにお似合いの舞台だもの」


 そう見えるのか。自分だけ気後れしている場合じゃないな。やるときはやらないと。


「ねぇ、アスター」

「ん?」

「私はね、あなたのお母さんじゃないし、まだ恋人でもないの。だから貴方を甘えさせてあげることはできないわ」

「はいぃ。すみません」


 改めて言われると恥ずかしすぎる。火照る顔が熱い通り越して痛い。


「でもね、貴方を鼓舞してあげることはできる。背中を押してあげることはできる。そのためだったら手が痛くなるほど背中を叩いてあげるわ」


「──ありがとう。いつも助けてくれて」

「どういたしまして。何して欲しい?」

「サンドイッチが欲しい。そして論文の推敲手伝って欲しい」


 前が見えない。そして顔が温かい。


「お安い御用よ。じゃあ口開けて」

「いや、その量はむ──むぐッ」


 おおよそ一度に食えるとは思えない量のサンドイッチを詰め込まれる。

 抗議の意味を兼ねて彼女の方へ視線を送ると、顔を背けていた。

 耳が少し赤いのは僕の様子がおかしかったからだろうか。



    ◇



 先ほどの気恥ずかしい雰囲気はどこへやら、僕たちは論文の作成に熱を注いでいた。

 参考文献を読み込んで人間辞書と化したソフィアがいることでとんでもない速度で仕上がっていく。


「これ、少ないけど誤字、言い回しが怪しいところには付箋を挟んでおいたから見てくれない?」

「あぁ、ありがとう」


 少ないと言ってもやっぱりあるものだな。このページが終わったら少し見てみるか。


「あっ、でも待って」

「どうしたの?」


 ソフィアはずいっと体をこちらに寄せ、耳打ちをしてくる。

 僕は思わずその内容に耳を疑ってしまった。


「本当にそこまでする必要あるかな?」

「それくらい慎重になるべきよ」


 ソフィアは先ほど僕の前に置いた資料からいくつかの付箋を。まぁ、彼女がいうなら用心に越したことはないだろう。


 手持ち無沙汰となったソフィアは残ったサンドイッチをパクパク食べ始める。

 仕事が遅くてすみません。


 横からの視線に少し焦りを覚えはじめた頃、研究室の扉がノックされる。

 ソフィアが扉を開けるとハンスが顔を覗かせる。


「こっち終わったよ。それで、どうやって計測する?」

「トカゲの額に魔石を押し当てて魔力を回収する方法と、直接押し当てる方法、どちらがいいですかね」

「前者は上手くいくか分からないな。まずは後者でやってみようか。ちょうど二匹いるしね」

「了解です」


 ビオトープのようなものは水が濁っているためどこにいるか一見分からないが僕の透視スキルの前には関係ない。

 さてどの子を先に使おうか。


「スーさんでお願いします」


 ソフィアに心を読まれたような気がするがまぁいい。少し大柄なスーをガバッと水面から引き上げる。恐らくまだ放電はしていない。


「じゃあ、急ぎますよー」


 僕の声に合わせてハンスとソフィアが階段を駆け上がる。いやソフィア速いな。さすがのハイスペック。

 口をパクパクさせ風を感じているトカゲを尻目に無心で駆け上がる。


「押し付けるのはここでいいのですよね?」

「そうそこ。ぐいっといっちゃって」


 ぐいっ。瞬間弾ける魔力の衝撃にびっくりするものの、上手くいったようだ。


「じゃあ、部屋閉めるよ。三十分後にまた部屋開けよう」

「戻るぞー」


 僕の声で階段を素早く駆け降りるソフィアとハンス。ハンス教授も来るんだと思いながら、目を閉じて風を感じているトカゲを尻目に僕も後に続く。


「お疲れ様ですスーさん」


 ブクブク沈むスーを見送り元の場所に座ると、ハンスは僕たちの向かいに腰を下ろす。


「どうぞ作業続けて」


 ハンスがそんなこと言うが尊敬する教授が目の前にいるととても居心地悪い。

 ソフィアもなんだか気まずそうだ。


 僕がカチコチになりながら論文を制作していると、痺れを切らしたソフィアが横から改善箇所を指摘してくる。

 二人の視線に僕はどんどん小さくなってくる。椅子も半分くらいソフィアに取られている始末だ。


「君たち二人を見ていると、僕の若い時を思い出すよ」

「ハンス教授の若いときですか?」

「そう。ちゃんと研究者になる前は職を転々としていてね。ある日、貴族の舞踏会にランタン持ちファロティエとして家の前まで行ったんだ」


 そういうハンスは懐かしそうに、どこか寂しそうだった。


「そこで、屋敷から抜け出した貴族の坊ちゃんと仲良くなってなんやかんやあってアカデミーに来たのだけどねぇ。その時の彼と私は一心同体。かけがえのない親友だった。君たちは、私みたいにならないように仲間を大切にするんだよ。裏切ることは絶対しないように。特にアスター、君は私に似過ぎている気をつけなさい」

「似過ぎている、ですか」

「人に甘え過ぎないようにね」

「しませんよ」


 ソフィアからすごい視線を感じる。恥ずかしいからやめてくれ。



 三十分ほど経って出力された紙を見ると。どうやら既出の魔力波形だったようですぐに魔力を保存した魔石を入手することができた。

 僕は楽しくて仕方がない。入手した魔石を手のひらで転がしながら試作品模型の吟味にはいる。


 選んだ末に一つの試作品を手に取り、中庭へと移動する。


「じゃあ、実験始めますよ。上手くいけば魔石入れたらすぐ反応しますので」


 僕の背に隠れるようにしながらも覗き込む二人の返事を聞き心を決めるが、魔石を入れようとする手が震える。ソフィアに背中をさすられながら両手で一気に魔石を差し込んだ。


 ビュオッ!!──瞬間、突風が吹き荒れる。


 中庭の芝の向きを変えるほどの魔力風が小さな魔石から生まれたのだ。

 待ち望んだ現象に、痛いほどの高揚感が熱を持って僕の頬を焦がす。



 実験は成功だ。

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