第2話:魔法の言葉

 夜。我慢できずに僕は自身が通うアカデミーの研究室に来てしまった。


 人気ひとけのないこの建物は魔法生物の生態研究、魔法の仕組みの解析とその応用を主として取り扱っており、同志達が日々切磋琢磨している場所だ。


 ふぅ、とため息を一つ。いつものことだが、たった一人の研究室はやけに静かに、広く感じる。


 机の上に散乱したメモ用紙を片付け、実験動物の飼育部屋兼観察部屋と化している部屋へ移動した。


 この部屋にいる生物は「カスミヌマヘビ」という体長約二十五センチメートルの目が退化したトカゲである。


 この生物に備わっている独自に進化した魔力増倍器官。

 これを用いて、縄張りに入ってきた生物を無差別に襲う危険な生物であるが、飼育してみるとかわいいものだ。ちなみに二匹いる。


 それぞれ「スー」「クー」と名付けて可愛がっていた。


 従来の生息地の湿地、沼地を再現したゲージの中で動き回ることなくじっとしている彼らを観察するためには餌で釣るしかない。

 部屋の一角に出来上がった彼らの住処ビオトープのようなものに、肉をハサミで少量に切り分けて水面に落とす。


──バチィッ!


 瞬間、電撃が水面に走ると、それから少し遅れてスーとクーが水面に顔を出した。


「うん、ちゃんと生きてるねー」


 手袋をして優しく彼らを持ち上げる。

 お互いの電撃を通さないように進化している厚いゴム質の体表は、艶があり、手袋越しにもぷにぷにとした柔らかさを感じることができた。


 そのまま彼らに異常がないか隅々まで目を凝らして確認し、観察記録をつける。長時間水面から出していたり、人の体温に触れたりするとストレスになりかねないためこの作業に時間はかけられない。


 もう慣れたこの作業はものの数分で終わる。


 彼らの食事を見ていたらなんだかお腹が空いてきた。

 そんな時のために屋台で買ってきた肉串を鞄から取り出し頬張る。冷えてしまってはいるが、香辛料がピリリと効いたジャンキーな味に心が満たされていく。


「──こんなところで黄昏ながらの夕食かい? 祝日にも関わらず殊勝なことだね」


 トカゲにスキルを使ってみようかなんて考えながら肉串を頬張っていると、半開きのドアから半身乗り出すようにして覗き込む男に声をかけられる。

 いきなり声をかけられビクリと肩が震えるが、見慣れたキッチリ固められた黒髪、キリッとした目に胸を撫で下ろす。


「……ハンス教授。貴方も今日はおやすみなのでは?」

「いゃぁ、私研究熱心なエリートだからね。暇さえあれば手を動かしていたいのさ。まぁ、冗談はさておき、生徒がこんな時間にいると嫌でも気になってしまう。一応、管理責任者でもあるからね」


「すみません。少し試したいことがありまして」

「それは?」


 この人になら本当のことを話してもいいのだろうか。相談に乗ってくれそうな数少ない大人なのは確かだ。


「今日、成人の儀があって魔法を発現したんです」

「ほう、魔法。ぜひ教えてくれ」

「ええっと、他の人には内緒にしてください──透視です」


 数瞬、ハンスは顎に手を当て少し考える素振りを見せる。


「まぁ、神が何をするも自由か。透視。聞かないだね。火を出すわけでもなければ筋力や視力の底上げのようなでもない……。透視というからには物を透過するんだろ? 見える距離と精度は? 使用感は? 何か体に変化はあったかい?」


 好奇心に取り憑かれたように一人ヒートアップするハンスの勢いに思わずたじろぐ。

 魔法に関わる研究をしているハンスからすると珍しい魔法を持つ僕は金の卵を産む鵞鳥ガチョウに見えるのだろう。


「距離は視界に映る限り伸ばせます。精度は……肉眼で見ることができれば直感的にどこまでも細かく見ることができます。使用感は──」

「ん? どうした。使用感は?」


 言葉を探そうと机を指で小刻みに叩く。


「──自然です。なぜ今まで透視の存在に気づかなかったのか怖くなるほどに」

「自然、ね。今までの子は、“新しい自分が見つかった”とか“生まれ変わったようだ”とか新しい発見に喜んでいたんだけどなぁ」


 訝しむように眉を寄せるハンス。

 僕の心は彼の言葉の中に飲み込みづらいモヤのような息苦しさを感じて、小刻みに机を叩く音は無意識のうちに早くなる。


「そういうハンス教授はどうだったのですか?」

「私は例に漏れず新しい自分を見つけたね。もう何年も前だけど鮮明に覚えているよ。力が湧いてくるというかなんというか、あの石版を触るだけの儀式だけでここまでの変化が生まれるなんて信じられないなぁ。やはり、神様のお導きのおかげなのかな」

「ハンス教授、貴方も神にいい感情をお持ちでないでしょう?」


 その感情は研究者故だ。

 神の与える非理論的な多幸感は研究者の探究心を阻害する。

 個人を満たす多幸感だけでは繁栄は成し得ない。生活水準を上げる研究こそに意味があると僕は考える。


「ふむぅ……。困るなぁ、そんな言い方されると。でもまぁ、確かには好かんね」


 今後の君の為に、と前置きをした上でハンスは続ける。


「周りの人間は君が思うよりも賢く、狡い。それは自身の思想が裏打ちされた経験を元に形成されるからだ。君のような箱庭にいる人間は経験したことのない快楽も、歯が擦り切れるような苦痛も……。そんな人間にとって君のような頑固で苛烈な心を持つ君は恰好の的だ。いいように使われて何も成しえないまま、曖昧な存在のまま消えていく」

「……」

「いいか。神を信じろとは言わないが、信じる対象を持たない人間は立場も心も弱くなる。人には行動原理が必要なんだ。だからこそ何となくの自分の優秀さに縋っているようであれば今すぐ改めるべきだ」


 ハンスは会話をする気がないのか淡々と話し続ける。しかし、先程までの捲し立てるようなものとは違い、優しさを感じさせる物言いに僕は戸惑いを覚える。


「君も私も幼くして、そのを奪われた──そう。奪われたのだ。今は亡き者に縋るのも、恐怖を抱くのもやめだ。君はこれから色々なものを見て、いろんなことを経験するだろう。その時に足枷となるようでは申しわけが立たないだろう」


 僕は幼い頃に両親を亡くしている。そのせいかハンスの言葉に少し胸がざわめく。


「私たちは研究者だろう。自分のよく知る関係式も、外に出たら使えなくなるなんてよくあることだ。せっかくそんながあるのだから。色々見てみないと損だよ。善悪の判断結果は一番最後についてくるものだ。焦る必要はない」


 何せ箱に篭る研究者僕たちこそ“経験”に飢えているのだから──


「儀式の時に君も言われただろう。あの言葉──神から授かるその天啓こそが君たちの存在証明であり、生きる指針となってくるみたいな感じだったか。ふわっとした生き方で良かった子供からすると将来の不安がなくなる言葉と言えばいいのか……とにかく甘言であることには間違いないな。でも、研究者わたしたちにとってその言葉は邪魔な呪いにしかならない」

「……」

「自分の信じるものを見つけて貫け。だが、今日君に会えて良かった。同志が蝕まれる前に、ね」

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